62 かわいいですよね
「全く。夏休みだというのに、研究室に籠って何をやっているんだね?」
そう言うのはこの研究室の主で、教授である平成美だ。
「ホイーラー=ドウィット方程式にコラッツ予想……こっちはポアンカレ予想……なんでこんな数式を……しかもクレヨンで描くなんて、随分とエキセントリックなことをしているね」
机に手をついて、覗き込むようにして見ている教授。
アンジュちゃんが描いた数式の紙と、その姿が相まって、いかにも研究者らしく見える。
「わざわざそれを清書する。暑さでおかしくなったのかい?」
おかしいのは教授の方だと思う。
顔を上げて教授を見る。
椅子の上に乗っかっている。
そう。小さいのだ。
改めて上から下まで見る。数秒で事足りる。
「な、なんだ? どうした?」
そう。大学教授だと言うのに、見た目も大きさも小学生なのだ。
それなのに、二人の子持ちだと言うじゃないか。
しかも、子供は高校1年生と中学3年生。
これが、経産婦に見えるだろうか?
「な、なぁ、栗栖……なんとか言ってくれ」
「あ、ああ。すいません。教授が今日も小学生やってるなって思いまして」
「だから、それはやめろと言っているだろう」
教授が板書すると下の方にしか書かないので見えない。
最近は脚立が置いてあるが、脚立が邪魔で見えない。
と、まぁ一癖も二癖もある人物である。
「まぁいいや。で、これはなんなんだ?」
「もらいました」
「そうか。もらったのか…………え? だ、誰に?」
言っていいものなんだろうか。
アンジュちゃんと教授。どっちの背が高いのか。
あ、そっちじゃないわね。
「く、クレヨンで描くなんて……でも、これは確かに……」
教授も数式を見ていく。
「これ、あってるんじゃ……」
「それを今、確認してます」
まぁ、確認してそれがあってるかの確証は持てないんだけどね。
そんな時、二人しかいない部屋で、私の腰のあたりを引っ張る感覚があった。
「あら、アンジュちゃん」
なぜかアンジュちゃんがいた。
「ま、待ってくれ、え? いつから? いや、どこから入ってきて……」
教授が狼狽えているが、今はどうでもいい。
「今日はどうしたのー?」
「かけたからあげりゅ」
そう言って手渡してくれたのは、またもや謎の数式。
「ありがとー」
「こんかいはじしんさく」
「あら、ほんと。よく描けてるわねー」
ついつい頭を撫でてしまう。
「あの栗栖が……」
信じられないと言った顔でわたしを見る教授。
教授とはもう少し話し合う必要があるわね。
そして、教授が机に乗っかって、アンジュちゃんの描いた数式を見る。
「!?」
全く。机に乗るなんて行儀が悪い。
まぁ、身長が低くて、椅子からだと見えないんでしょうけど……。
しかし、教授も研究者ね。
アンジュちゃんより数式を優先するなんて。
まぁ、わたしは逆なんだけれどね。
そして、少しすると、研究室のドアがノックされた。
「ん? 桃原あたりかな? どうぞー」
「失礼しまーす」
入ってきたのは宇慶亨。アンジュちゃんのお迎え係で、一番の謎の人物である。
「おにーちゃ」
「また勝手にきてー」
「え? え? ええええ?」
教授が小学生らしい驚き方をしている。
「ご迷惑をおかけしました」
「ちました」
そう言って、あっさりと出て行った。
いや、『逃げるように』が正しいだろう。
「え……、あ……、ど、どゆことー……?」
素になると小学生の反応になる教授。
「たまに渡しに来るんです。『できたー』って。かわいいですよね」
「いや、かわいいと言うか、何一つとして理解できないんだが……」
まぁ、アンジュちゃんや彼のことを考えると、黙っていた方がいいのかもしれない。
「そもそもわたしが入ってきた時には栗栖しかいなかっただろう?」
「……………………」
「なんで黙っているんだ?」
転移することなんて言えるわけがない。
「もしかして誘拐してきたのか?」
「ばっ……そ、そんなことするわけないでしょう!」
「じゃあ、どうしてなんだ?」
「それは……」
「それに。あの彼だ。ここにいるのが分かっているようなそぶりだったぞ?」
「まぁ、そうですね。ここの生徒ですし」
そこで教授は少し考えるそぶりをして言った。
「では、彼に聞こう。どこの学部で名前はなんと言うんだい?」
教えてもいいが、楽しみが減る気がしたので、紙をまとめてバッグにしまう。
「ちょ」
「お疲れ様でした」
急いで部屋を出る。
出ると同時に紗季がいた。
「お、ティナ殿どうしたのですかな?」
「教授の相手してあげて」
「え?」
「ま、待ちなさい……って、桃原! あー、邪魔! ちょ、あー!」
うまいこと紗季が邪魔になったようだ。
教授の力では押しのけることも出来ないだろう。
わたしはアンジュちゃんに会うため、亨に連絡をした。
『←隠してあげたんだから、感謝なさい』
だが、既読スルーされたので、わたしはこっそり入れておいたGPSで彼の場所へと向かったのだった。




