35 あなたはだぁれ?
わたしの名前は栗栖ティナ。
この名前と見た目で、結構いろいろ言われてきたが、全て実力でねじ伏せてきた。
変わった友人や家族。
そうそう狼狽えることはない。
そんなわたしは今、とても困惑している。
大学の研究室。
教授は今は退席していて、部屋にはわたし一人だった。
それに、こんな辺鄙な場所へ間違って誰かが来るようなこともない。
なのに、どういうことだろうか。
わたしの膝の上にはアンジュちゃんがいた。
一体どこから入ってきたのだろうか?
それに、今頃は幼稚園か保育園にいる時間。
流石のわたしでも理解出来ない。
そんなアンジュちゃんはおもむろにスマホを取り出して、自撮りし、幼女らしからぬスピードで文字を入力していた。
「手慣れている……」
「おっけー」
「あ、アンジュちゃん……」
「うゆ?」
「それは何をしているのかしら?」
「おにーちゃにあんぴかくにん」
「安否……確認……?」
そんな単語を知っていることにも驚きだが、もう何が起きても驚かない。
そう思っていた時に、コンコンとノックの音が聞こえた。
教授が戻ってきたのだろうか?
しかし、いつも不躾にドアを開ける教授がそんな丁寧な仕草をするだろうか?
とりあえず「どうぞ」と言うと、スッとドアが開いた。
そのドアの先には宇慶亨がいた。
意味が分からなかった。
同じ敷地内とはいえ、別の学部の彼がどうしてここにいるのか。
そして、彼の姿を認めると、わたしから降りて駆け寄った。
ポスッと足にしがみ付くと、彼は慣れた手つきで抱き上げた。
「迷惑かけたな。じゃ」
そう言って足早に立ち去ろうとしたので、慌てて服を掴む。
「(チッ)」
まさかの舌打ち。この前の件といい、もしかして有耶無耶にしようとしている?
今日こそは問い詰めないといけないわね。
前に回り込んで、ドアを閉めて、鍵を閉める。
アンジュちゃんを抱いている以上、無茶に逃げることもできないだろう。
ずんずんと追い詰めるように歩くと、彼も戸惑いながら後ずさる。
壁に当たると、観念したのかため息を吐いた。
「はぁ……」
「じゃあ、聞かせてくれるわね?」
だが、彼から出てきた言葉は、少し小馬鹿にした内容だった。
「アンジュは好奇心旺盛なんだ」
「そんなんで納得するわけないでしょう?」
視線が定まらない。まだ隠し事があるわね。
「あ、アンジュ……、どうしてここに来たんだ?」
「このまえ、ごちそーさま、ゆーのわすれたー」
「だってさ」
「そ、そう。こちらこそ」
「おいしかった。ありがと」
「いいえー」
これは顔がニヤけるのも仕方ないわ。
紗季じゃないけど、この子は天使だわ。
いや、わたしを拐かす小悪魔かもしれない。
「じゃ、保育園あるから帰るな。じゃ」
「だから、そんなんで、わたしが納得するわけないでしょー!」
アンジュちゃんを取り上げて睨むと、めんどくさそうな顔をする。
どうしてそんな顔されなくちゃいけないのかしら?
そして彼は諦めたのか、頭を軽く掻くと、真剣な表情をした。
「言わないとダメか?」
ことここに来てまだ渋るかこの男。
彼から聞き出せないのなら、アンジュちゃんから聞けばいいのよ。
そうよ。なんで、最初からそうしなかったのかしら。
「アンジュちゃん。どうやってここに来たのー?」
「?」
首を傾げるだけだ。
聞き方が間違っていた。
では、どう聞こうかしら。
ダメ元で聞いてみよう。
「あなたはだぁれ?」
「アンジュはめりーしゃん!」
「んー?」
メリーさん? あのメリーさんのこと?
「ああ、アンジュの本名は、海道・メリー・アンジュなんだ」
「あー、国際結婚ってこと……」
謎が深まったわ。
何よ。ミドルネームじゃない。
だが、もう一つ謎が増えた。
なぜ彼が一緒に暮らしているのか、と。
あの、エレナという子もアイリという人もやたらと信頼している。
ここ最近、何度か関わってみても、ただのいい人という印象しかない。
過去に一度助けてもらったこともあるが、どうやら彼は覚えていないようだ。
それが、余計に腹立たしい。
まぁ、今はそんなことはどうでもいい。
この謎が解けるまで、絶対にこの研究室からは逃さないわ。
そう思っていたら、ドアをガチャガチャと響かせる音が聞こえた。
「あっれー、鍵かけたかなぁ……。仕方ない、取りに行くか」
どうやら教授が戻ってきたらしい。
教授が戻ってきたら、それはそれでめんどくさそうだ。
わたしは観念した。
「続きは食堂で話しましょう」
「おー、ごはん!」
アンジュちゃんも、うちの学食を気に入るかもしれないわね。
だが、なぜか彼の顔はより一層険しくなった。
彼を引きずるように食堂へ向かった。
なぜか、向かう途中で、「女王様が子供を!?」「まさか実験に使う気じゃあ」「いや、案外隠し子の可能性も」などと不名誉なことばかり呟かれた。
わたし、そんなに酷いことしてるつもりないんだけどな。
そんな声は食堂に着いても聞こえていた。
美味しそうにカレーを食べるアンジュちゃん。
結局、その日は逃げられてしまった。
であれば、逃げられない環境を作ればいい。
早速わたしは彼の妹にLINEしたのだった。




