16 勉強教えて
「ねぇ、亨ー」
ここ最近、呼び捨てで呼ばれることが多くなった。
まぁ、別にいいんだけど、随分と懐かれたもんだなと改めて思う。
なんだかなんだ言いながらいろんなところ行ってるしな。
で、今日はアンジュちゃんもどこかに飛んでいない。
家には俺とエレナさんとアンジュちゃんの三人しかいない。
ちなみにアイリさんは今日は府中の辺りにいる。
なんでも、今日は大きな勝負があるらしい。
「何?」
「勉強教えてよ」
「勉強?」
「そう」
既に参考書やノートをテーブルの上に広げている。
アンジュちゃんも興味もあるのか、一緒になって見ている。
「塾行ってるんじゃないの?」
「いやー、難しくて」
この段階でそれはまずいんじゃないか?
とりあえず、どこがダメなのか見ていくか。
─────なるほど。
少しコツとか前提がズレてるんだな。
これならそんなに難しくはない。地頭はいいんだよ。ただ、普段の行動と一緒でちょっと斜め上なんだ。
「じゃあ、数学からな」
「えー」
「えー、じゃねーよ。ほら、そんなに難しくないから」
「そう?」
「そう。まずこのマイナス。引いてるんじゃなくて、反対側を向いてるって意味。だからここを基準にすると──」
「え? あ……、あーはいはい。じゃあ、今までわたしがここを足し算にしてたのって、スタート地点を勘違いしてたから?」
「そう」
「え、じゃあ……こっちも……ここも…………全部辻褄合うじゃない」
エレナさんのペンがピタッと止まった。
「まぁ、初歩の初歩だけどな」
「うう……」
恥ずかしそうに突っ伏している。
まぁ、これができれば他も同じような勘違いしてるはずだ。
「──この問題は、前から順番に解くんじゃなくて、優先順位があるんだよ」
「え、そうなの?」
本当に授業受けてたんだろうか……。
「……こ、この最後の条件から逆算して引き算で考えてみて……」
「……逆算?」
ほぼゼロ距離でノートと睨めっこしている。
そしてハッとした表情になる。
「あ! 分かったわ。問題文の意味が分かったわ。なんて卑怯な文章なのかしら。これ作ったやつ相当性格悪いわよね」
かなり憤っているが、これそんなに難しいこと書いてないんだけどな。
もっと捻くれた問題文あるし。その時はきっとこんなもんじゃないくらい怒り狂うんだろうな。
「まぁ、パズルみたいなもんだから」
「そうね。…………なるほどねぇ」
そうしてエレナさんは、先ほどまでとは打って変わって、スラスラと解いていく。
頭の中のパズルのピースがハマったような感覚なんだろう。
一心不乱に答えを書いていく。
「亨、答え合わせして!」
「お、おう……」
満面の笑みで、俺に渡してきた。
早速採点する。
「!?」
「ど、どうしたのよ」
「…………」
一度エレナさんを見る。
「…………」
「ね、ねぇ?」
採点ミスがないか、改めて見る。
「エレナ……さんだよな?」
「どういう意味よ」
「一問除いて全部正解」
「!?」
今まで全問不正解だったのを考えたら、驚異の正解率だ。
試しに、別の問題集をやらせたら八割ほど正解していた。
やはり、長文と証明は苦手みたいだ。
まぁ、ここは国語の読解力も必要だろうな。
「じゃあ、ダメだったところの解き方、教えるよ」
「うん。お願い」
「じゃあ、ここはエレナさんが考えてるルートな。で、問題文が求めてるのは、この重なった部分だけなんだよ」
ペンとペンを置いたり重ねたりしながら視覚的に教えていく。
さっきまでとは違い、緩やかに目を見開くが、口角は素早く上がった。
「はぇ〜。そういうことね。なーんだ。わたし、全部の面積足そうとしてたわ。なるほどねー。引けばいいだけじゃん」
「そゆこと」
「亨、教えるの上手すぎ」
「そ、そうか」
「あれー、赤くなってるー?」
「なってねーよ。ほら、次」
「そうね。……初めて勉強が楽しいって思えたわ」
それは良かったよ。
「まぁ、数学とか物理なんて、ルールのある謎解きだから、勉強と思わずにクイズ感覚でやればいいんじゃないかな」
「大学生とは思えない言い方ね」
「うちの妹にもおんなじように教えたからな。ルールを逆に利用しろって」
「え、妹いるの?」
そっちが気になったか。
「いるよ、二人」
「ふーん。(わたしが通ってる塾にも亨と同じ苗字の子がいるけどまさかね……)」
何か考えているのか、ブツブツ言いながら、ブレイクタイムのお菓子を頬張っている。
ちなみに、横で見ていたアンジュちゃんはエレナさんの問題集を見ながら見よう見まねで解いていた。
それは全問正解していた。やっぱりアンジュちゃんは天才かもしれない。
何回か休憩を挟みながら、英語、歴史と教えていく。
「エレナの和訳、ニュアンスは完璧なんだけど、その単語が修飾してるのは『こっち』じゃなくて『こっちの塊』な」
「えぇ……。え、嘘……。あ、ホントだ。この動詞があるってことは、主語はこっちの長いフレーズなのね。だから、変な翻訳になってたんだわ。あー、納得。スッキリしたわ。次からは間違えないわよ」
「おう。自分の直感のどこがズレてたかが分かれば、あとは簡単だろ?」
「ええ。こうしてみると、英語って面白いわね」
「そうか」
俺はその域には達せなかったけどな。
ただまぁ、読み書きはいいんだ。発音は見た目と真逆だけど、まぁそのうち化けそうだ。
だが、なぜか教えていないフランス語の発音が完璧なのは、お菓子からなんだろうか。
次は歴史か……。
「この二つの勢力の対立って、要するに『限定品の新作バッグ』を巡って、二つの仲の悪いグループがバーゲン会場で小競り合いしてるような状態なんだよ」
「……え、あの大層な歴史の事件って、要するにそういうこと!? じゃあ、この国が裏切ったのって、別の店でこっそり裏ルートで買っちゃったから?」
「そう。で、怒ったこっちのグループが……」
「あはは、バカみたい! だったらこの条約の意味も全部わかるわ。急にその時代の人間が身近に見えてきたわ!」
独露再保障条約の更新拒否と露仏同盟の締結をこんな形で言うことになるとは、俺も思わなかったがな。
まぁ、そんな感じで別のものに例えて話すと、すんなりと理解してくれたが、正式な事件や条約名はちゃんと覚えているかはテストしないとだな。
気がつけば、三時のおやつの時間になっていた。
今日はこの辺にしておこうかな。
「じゃあ、今日はこの辺にしておくか」
「ねぇ、亨」
「どうした?」
「その……さ……」
「うん?」
「わたし、亨のこと呼び捨てにしてたじゃない」
そういえば、いつの間にかそうだったな。
「だからさ、わたしのことも呼び捨てで、エレナって呼んで」
「ん。分かった」
「あら、すんなり了承したのね」
俺もそっちのが呼びやすいからな。
「おにーちゃ、アンジュもアンジュってよんでー」
「いいのか?」
「なんで、わたしの時は聞き返さないのよ」
「いや、ほら、歳とか……」
「ふん。まぁいいわ。といことで、これからもどんどん教えてよね亨!」
「ああ、分かった。エレナ」
「ふへへ……」
両頬に手を当てて顔を朱くした。
「アンジュもー」
「アンジュ」
「わーい」
今日はどこかに飛んだりといったこともなかったしな。
エレナも勉強頑張ったし、何かご馳走にしようか。
「今日は結構頑張ったからな。少し、豪華にしようか。何が食べたい?」
「うーん。うなぎ?」
「しゅてーきー」
随分とがっつりしたものがいいんだな。
「じゃあ、買い物行ってくるわ。アンジュ見ててな」
「ん」
俺は、アンジュの頭を軽く撫でると、買い物に出かけたのだった。




