第4話 はじめての戦い(1)
それが何であるか、エリンには最初わからなかった。
黒服のエージェントたちの背後に巨大な影がいきなり現れたかと思えば、左腕から伸びた鉤爪のような三連パイルがその片割れを貫いていた。
パイルバンカー。
射突される杭には、赤熱したかのようなエネルギーが纏わっていた。それは〈炎〉の属性が付与されている証であり、轟々と滾るエネルギーの揺らめきはスキルレベルの高さもあらわしていた。
パイルバンカーは、近接武器としてはトップクラスに扱いの難しい武器種である。そもそも現実には存在し得ない物理構造の兵器だったが、そこは仮想世界らしい都合の良いウソが効いている。虚構でしかないモノをリアルに仕立て上げて仮想世界になじませるのは、VRMMOというゲームの懐の深さだ。
ロマンを煮詰めた結果、素人お断りの取り回しの悪さと馬鹿火力を手に入れたパイルバンカー。
一発当てるだけでも難しいが、まぐれでも当たれば、一撃必殺。
事実として、背後からの不意打ちによるクリティカルとは云え、NPCの最高位であるはずのエージェントですら一撃で屠ってみせる。パイルバンカーの一撃は胴体を貫通し、そのまま全身を丸ごと焼き尽くす。
エリンがその光景を視界に収めたのはほんの一瞬に過ぎなかったが、写真みたいに網膜にはっきりと焼き付く。鮮烈にして、鮮明。何が起きているのか目にしているのに、何が起きているのか理解する前に、一人死んだ。
そして、その巨大な何かは、まばたきの合間に幻のようにかき消えた。
静寂の中で、エージェントの一人が燃え尽きていく。
すぐに、灰となる。
そして、崩れ去る。
エリンはその一部始終を見つめていた。
死んだのは、先程までロアを拘束していた若い男である。エリンは彼を敵と見なし、機械弓による攻撃を繰り返したものの、最後に放った矢の雨すら一発も当たることなく、すべての攻撃が完全に避け切られてしまった。
NPCのエージェントたち。
彼らは強かった。
傍目に見れば、エリンの方が彼らを圧倒していたように見えたかも知れない。だが、交戦しているエリン自身は、どれだけ手応えある一手を繰り出しても、紙一重で届かないそのもどかしさに実力の差をはっきりと感じ取っていた。
エリンは〈バッジ〉が力を貸してくれた瞬間から、常に自分の中にあるものを出し切るように行動していた。無我夢中で、がむしゃらに汗まみれになっていたというわけではない。大きな流れにゆったり身を任せるような、むしろ戦闘中なのに不謹慎なぐらい落ち着いた状態だったものの、何にしろ、エリンがやれるだけのことを全てやっていたのは事実だ。
その上で、相手は余裕を持ってそれをいなしていた。
だから、エリンは冷静に、エージェントたちを格上と認めていた。
真剣勝負。
あるいは、命のやりとり。
先程までの戦いがそんなものであったならば、エリンだってもっと焦っていたに違いない。心に凪を持ったまま、自分の力を試すような戦い方を続けられたのは、何となく、エージェントたちが本気でこちらを害するつもりがないように思われたからだ。
「まったく、甘いな。俺も」
気を抜いたつもりはなかった。
だが、どこか覚悟の足りていない部分があったかも知れない。
武器を手に取り、戦場に立ったならば、その時にはもう覚悟は済まされていなければいけない。遊びではないのだ。強者ならば余裕や貫禄を見せることが必要な時もあるが、エリンはそうではなかった。弱者であり、一歩を踏み出したばかり。だから,ひたむきに、やるべきことをやらなければいけなかった。
シンプルに、スマートに。
戦場に立った時には、黙々と仕事をこなす時計職人みたいに、目の前のひとつのことに集中しなければいけない。
そうでなければ、死ぬだけだ。
運命的なめぐり合わせもなく、予兆もなく、戦場の死というものは至極あっさり近づいて来る。音もなく、気配もなく、気がついた時には、死は目の前にいる。いや、死を意識できるのはまだマシな方で、多くの場合は気がつくことも無く死んでいく。
エリンが子供の頃から見てきた戦場は、そういうものだった。
自分を守ってくれていた者の首から上が、急に無くなったこともある。
「ああ、そうだ」
自戒の意味を込めて、はっきりと声に出してつぶやく。
「これは遊びじゃない」
エリンは決死の覚悟を固める。
だが、もちろん――。
これは、ゲームである。
ただの遊びと云えば、ただの遊びだった。
エージェントの一人、菖蒲の仮面のエッジは確かに死亡した。
ライフが『0』になれば、ゲームのシステムとして死亡ペナルティを科される。エージェントであろうと、ゲームシステムのほとんどは一般のプレイヤーやNPCと平等に作用するのだ。彼は死亡ペナルティとして、VRMMO〈CROSS〉の仮想世界から強制的にログアウトさせられていた。
彼の死はあくまで、ゲームの死である。
現実の死とは違って、存在の完全なる消失を意味しない。
死亡ペナルティは時間経過で解除される。燃え尽きた身体も、死亡ペナルティが解除されれば元通りだ。ゲームとしての死は、云うなれば演出の一種に過ぎない。だから、実の所、エージェントの死は大したことではないのだ。プレイヤーであれ、NPCであれ、戦闘を生業にしているならば、ゲームの死は日常的に体験するなんでも無い出来事のひとつだった。
実際、仲間をいきなり失ったレンフェロと云えば、最初の驚きが過ぎ去った後の反応は次のように、非常に淡白で辛辣なものだった。
「反省文の提出が必要ですね。相手が相手とは云え、一撃でやられるなんてエージェント失格です」
一方で、エリンはそうしたゲーム事情を知る由もない。
人が死んだ。
エリンの認識は、それだけである。
ある意味で、究極的にシンプルだった。
人が死んだ。
殺された。
殺したものが、そこにいる。
その何かは、強い。
だから、命の危機を感じる。
十七年間、無能力者として生きて来たエリン。今日初めて、力を得た。それで舞い上がっていなかったと云えば嘘になる。だが、高揚した気分はエージェントを相手にする内に冷えていき、そんなエージェントすら虫けらのように消し飛ばすものが出現したことで、まったく平常通りに戻っていた。
世界の広さを感じずにはいられない。力を得て大きな一歩を踏み出したつもりでも、それはナメクジが這ったぐらいのものだったのかも知れない。
エリンは無理やり笑った。
「ああ、怖い」
素直な気持ちを、引き攣った笑みと共に吐露する。
首筋から背中にかけて、億千万の虫が這い回るような感覚。初めて手にした力に酔わされていた脳の奥まで、冷水を流し込んだように一気に引き締まっていく。
エリンも、モンスターの巨人ならば知っていた。
だが、エリンの知識にある異世界のモンスターである巨人と、今、この場に突如として出現した何かは、大きいという一点だけは共通しているものの、それ以外はまるで違う。巨人はあんな風に俊敏に動いたりはしないものだ。
いや、巨人に限らず、人間の動体視力がまったく追いつかないレベルの速さを持ったモンスターなんて、冒険者組合のデータブックにも記されていない。
そしてまた、当然ながら――。
巨人には羽なんてない。
エリンは、紅の空に目を向けた。
血染めの夜に、さらに紅きものが浮かぶ。
四枚羽のスラスターが、まるで悪魔の羽のようにも見えた。頭部に浮かんだリングは禍々しさと対照的に美しい輝きを放っている。右手のレーザーライフル、左手のパイルバンカー、肩部のミサイルポッド――いずれも異世界には存在しない科学技術水準の兵装であるため、エリンにはその真の恐ろしさは理解できないものの、十分な威圧感は感じられていた。
「あれは、〈蜃気楼〉……」
エリンの視線を追いかけて、ロアも空を見上げていた。
真紅の巨大ロボットを見た瞬間、彼女はそれが何者であるか気づく。
「う、嘘みたい……。転移門の移動を、追いかけて来るなんて……」
プロトコルはNPCの役割に応じて特別に与えられるスキルで、その性能は破格のもの。プロトコル〈転移門〉を超える長距離移動のための手段は、仮想世界には存在しないと断言できるぐらいだ。
それに追いついて来た〈蜃気楼〉。
普通は、追いかけるという選択肢が出て来ない。
転移門で逃げられたならば、そこで諦めるのが当然だろう。
『ボクのスピードはいつか世界を超える』
天空から、ノイズ混じりの声が降り注ぐ。
巨大ロボット〈レッドアリア〉のコックピットは、セオリー通りに胸部に位置していた。そこに静かに座する〈蜃気楼〉カラサワは、スピーカーを通じてエリンやロアに語りかけてくる。
『NPCのプロトコルぐらい、もうすぐ追い抜く。今はまだ、追いすがる程度でも、ボクにはちゃんとゴールが見えている。そして、それも通過点に過ぎない』
静止していたレッドアリアが動き出す。
右手が持ち上がり、レーザーライフルの銃口がエリンに向けられた。
――プレイヤー同士の敵対行動が確認されました。
システム音声の警告が周囲に響き渡る。
だが、カラサワは気にした様子なく、淡々と言葉を続けていた。
『ミリオンレイドも、それがどれだけ壮大なエンドコンテンツであったとしても、絶対にゴールにはなり得ない。オメガに勝利したことは喜ばしくも、明日になればもはや忘れ去るべき過去となる。ゴールは誰かに与えられるべきものではなく、ボクの最終目的はボクが決める』
トッププレイヤー。
その中でも抜きん出た〈七廃人〉は、全員が我が道を行く者である。
『とりあえず、これは、忘れない内にやるべきことをやっておくというだけの話さ。今日のことは、今日のうちに。お楽しみを邪魔したクソガキはぶっ殺す。それで終わり、単純明快、さあ、死ね――』
「ま、待ってください!」
攻撃の矛先がエリンに向けられたことに、ロアが悲鳴に近い声を上げる。
「事情があるんです。ミリオンレイドの件は申し訳ありませんでした。エリンさんは、悪くありません。悪かったのは――」
ロアが云いかけた所で、光。
レッドアリアのレーザーライフルから放たれた光の奔流が、エリンとロアのすぐ真横に着弾していた。コンクリートで作られた高層ビルの一部が、それで完全に消失する。爆ぜるわけでもなく、静か。光に呑み込まれた所は、空間ごと削り取られたかのように綺麗さっぱり無くなっていた。
カラサワのレーザーライフル。
彼女の代名詞とも云うべき、代表的な武装である。
『次は当てる』
カラサワの口調には、一切の慈悲がない。
『どうしても訴えたいことがあるならば、死んでから聞いてやる。ああ、そうさ。さっぱりと一度、死んでおく方が良い。そうでないと、ボクの溜飲が下がらない。気分が悪いからぶん殴られろ――つまり、ボクはそう云っているわけだ。ぐちゃぐちゃ何か云われると、さらに気分が悪くなるぞ。黙れよ、お嬢ちゃん』
ロアが威圧感に気圧される。
青ざめた彼女をかばうように、エリンは一歩前に出た。
『恰好いいね、少年。震えているけれど、大丈夫かな?』
「……問題ない」
エリンの視界には、先程からシステムウィンドウが展開されている。
『諦めるか、抗うか、結末はいっしょだろうと選ぶことは大事だぞ』
システム音声が警告を発すると同時に、視界の片隅で赤々と輝いて存在を主張し始めたウィンドウ。そこには、カラサワからPVPの申請があったことが示されていた。エリンは何となく、話の流れからその意味を理解していた。詰まる所、決闘の申し込みのようなものだ。
巨大なるもの。
エリンは空を見上げながら、冷や汗を流していた。
見た目の話だけではなく、根本的な存在のスケールが違うように思える。
勝てる、勝てない、とか――。
そうした判断をするレベルの相手ではない。
例えるならば――。
人と神。
「お前は何者だ?」
エリンは、素直な疑問を投げかける。
反応はしばらく無い。
静寂の後、笑い声。
『えらく哲学的な問いだな、少年』
巨大ロボットの中で、カラサワは腹を抱えて笑っているようだ。
『ボクが何者か。トッププレイヤーと答えるべきか、〈七廃人〉の一人と答えるべきか、それとも〈蜃気楼〉と一言答えるだけで済むのか――。ああ、ボクも随分とつまらなくなったものだ。やめろやめろ、そんな風に無垢な目で見るなよ、少年。くすぐったいじゃないか』
カラサワは落ち着いた後、こんな風に述べた。
『今は、こうしておこうか。ボクは、君の敵だ』
「……そうか。それならば、仕方ない」
エリンはため息と共に、システムウィンドウに向き合う。そして、カラサワとのPVPに応じる【はい】のボタンを躊躇なく押した。
――警告。プレイヤー〈エリン〉〈カラサワ〉はPVPに同意しました。この瞬間から一定範囲に戦闘領域が形成されます。
逃げようとして、逃げられる相手ではないとわかっていた。
戦って、万が一にも勝ち目がある相手とは思わなかった。
これがゲームと知っている者ならば考えることは他にもあったかも知れない。だが、エリンにとってはここが現実である。だから、覚悟を決める以外の選択肢は存在しなかった。
『いい覚悟だ』
PVPが開始された、その瞬間である――。
天高く飛んでいたはずの〈蜃気楼〉は、エリンの目の前に立っていた。
「……え?」
またも、一瞬。
刹那の動き。
目にも止まらない、という比喩表現を地で行く化け物。
『遅い』
時が止まる。
死が肌に触れる冷たさを、エリンは確かに感じた。
だが、恐怖に震えるよりも、〈蜃気楼〉の姿に見惚れていた。
間近で見れば見るほどに、異世界には絶対に存在し得ない巨大な異形である。ただし、戦うための造形として、それはとても美しかった。
レーザーライフルの銃口が、ぴたりとエリンの眼前に突きつけられる。
『歯、喰いしばれよ』
収束する光。
死は、一瞬。
ゼロ距離からのレーザーライフルを避けられるはずもなく、エリンは全身を光の渦の中に飲み込まれる。アラート音が鳴る暇もなく、ライフは一瞬でゼロとなり、エリンは人生で初めて体験する死というものに、思わず意識を失ってしまった。




