第4話 はじめての戦い(2)
死の間際には人生の全てを思い出すと云うが、事実だった。
最初に見えたのは、郷里の景色。
大陸北方の辺境地帯、冬はいつでも厚い雪に覆われる。エリンは春が好きだ。世界最大の城壁の階段を息を切らしながら登り切り、毛皮のコートの内側にたっぷり汗をかきながら見渡せば、雪の残る山々には新緑が色付き、冷たく吹き付ける風にも花の甘い香りが感じられた。死の気配ばかり漂う郷里の街においても、春先には命の尊さが少しばかりは輝いていた。
幼少の日々は、とにかく忙しなかった。
たくさんの家族に囲まれて、毎日が天地のひっくり返るようなドタバタ騒ぎ。街の住人、世話になった恩師たち、見知った顔が記憶の海に次々と浮かび上がる。
たっぷりと幼少期を思い出した後には、冒険者となってからのこの一年間の暮らしが蘇ってくる。残念ながら、こちらには悔恨ばかり漂っていた。
記憶の蓋が一度大きく開かれると、思い出という奴は自分勝手に飛び出してくるものらしい。良かったことも、悪かったことも、エリンはたくさん思い出した。
思い出箱がすっかり空になったと思ったら、最後に大事なものが残されている。
それは、たった一人の親友に関する記憶だった。
エリンには友人と呼べる相手が非常に少ない。
王都で冒険者になってからは評判も最悪だったため、親しく付き合えるような者は誰一人としてあらわれなかった。
郷里では逆に、エリンの評判はいい。
赤ん坊の頃から、いい子として周囲に褒められて育った。
家族仲は無駄に良い方であるし、街の住人にも疎まれることなく、むしろ交友関係は誰よりも広かったかも知れない。エリン自身も取っ付きにくい性格をしているつもりはなかった。そんな風にならないように意識していたのも事実だ。
ただし、無能力者であるという負い目が、同年代の少年少女にだけは壁を作っていた(そして、彼らの方もエリンをどんな風に扱えば良いのか、わからなかったに違いない)。
だから、知り合いは多くても、友人と呼べる相手はほとんどいなかった。
たった一人だけである、同い年の友人。
それは唯一無二の親友である。
かつては、お互いにそう認識していた。
だが、もはや、そんな風に呼ぶべきではないだろう。
「僕は君のことが嫌いだよ、エリン」
まるで口癖のように、彼はそんな言葉をよく口にした。
名前は、アーティ。
姓は、ない。
誰が見ても、彼のことを美しい少年と思うはずだ。
オーロラのように儚い、碧色の淡い髪。
今にも燃え尽きんばかりに輝く、紅の瞳。
彼の顔にはいつも憂いがあった。
物心ついたばかりの頃に出会い、その時にはもう、アーティは人生にそれなりの諦めを抱いていたように思える。
男でも見惚れるような顔立ちをしているのに、不思議と目立つことなく、影法師のような存在感。集団の輪の外でぽつんと一人、明後日の方向を眺めているような少年だった。実際、愛想を振りまくこともなく、必要以上に自分を語ることもなく、ただ与えられた役目を淡々とこなして生きていた。
「俺はお前のことが好きだけどな、アーティ」
エリンがのんびりと答えれば、アーティは皮肉な笑みを浮かべる。
「君の好意は、ただ単に傷の舐め合いだろう。気持ち悪い」
「そう云いつつも、俺といっしょに行動しているんだから。俺を気持ち悪いと云うんだったら、お前もまったく同じだよ。俺が友達と思うのはお前だけだ。でも、話し相手ならばいくらでもいる。お前の方は、親も亡くなっているし、兄弟もいない。天涯孤独のくせに、街の人とも仲良くなろうとしない。俺がいないと、お前は一言も発することなく毎日過ごさないといけないんじゃないか?」
「孤独は嫌いじゃない」
「それだったら、俺もいない方が良いのか?」
「独り言に隣で勝手に反応し続けるバカってのは、世界中探しても他にいないだろうさ。エリンの存在は貴重だという所では認めている」
お互いに、他には友達のいない者同士。
だからと云って、エリンは寂しいからとか、一人ぼっちが嫌だからとか、そうした消極的な理由でアーティと行動を共にしていたわけではない。実際、王都では友人なんて一人もいない生活をしていたが、それ自体は平気だった。『孤独は嫌いじゃない』とアーティは云ったが、それこそ、エリンの方も孤独は嫌いではないのかも知れなかった。
アーティは、エリンとの関係を傷の舐め合いと称した。
彼は、自分たち二人を同族と考えていたらしい。
エリンの考えは違う。
アーティは自分とまったく異なる生き方をしている。
だから、惹かれる所があるのだろうと考えていた。
どちらが正しいのか、少しばかり大人になった今も、わからない。
もしかすると、互いに正しかったのかも知れない。
「鬱陶しいよ、エリン。本当に、僕は君のことが嫌いだよ」
「俺が好いている分で帳尻が合うから、それでいいんじゃないか」
エリンは、アーティが内面に密やかに抱える哲学が好きだった。
彼は生まれ落ちた時から、選択肢のない人生を歩んでいた。
一本道の人生。
唯一の選択肢と云えば、生きるか、死ぬか。
死んで、人生のレールを外れるという選択肢しか、アーティには与えられていなかった。そして、アーティが死ぬという選択肢を選ぶことは絶対にない。彼は普通の人生で得られるだろう喜びや幸せのほとんどを諦めている癖に、生きることに関しては誰よりも貪欲だった。
同じ街で、同じ年に生まれた。
エリンからすれば、アーティとの共通項はそれだけだ。
異なるもの、理解し難いもの。何も考えずには生き抜くことのできないアーティの人生において、ひねり出される死生観であったり、神に対する祈りと呪いであったり、アーティが内面に抱くあらゆる物事がエリンには興味の対象だった。
「アーティはなんの神さまを信仰しているの?」
エリンは事在るごとに、それを問いかけた。
アーティの返答はいつも同じものである。
「エリンがいつか信仰者になったら教えるよ。その時が来たら、お互いに信仰を包み隠さず明かそう」
エリンが無能力者であり、それを人生最大の悩みの種としていることを知りながら、アーティはそんな意地悪な返答でいつも誤魔化した。
つまり、教えるつもりはないということだ。
神の加護を持たない無能力者は世間で最もバカにされる存在だが、それよりは随分とマシなものの、小神の加護しか持たない者だっている。そうした者は、恥ずかしさから自分の信仰を隠す場合もある。あるいは、秘密を美徳とする教義の神さまだって存在していた。
信仰を隠すのは、それほど変なことではない。
だが、たった一人の友人にも秘密にするのは、どうにも納得いかなかった。
「アーティの加護はすごく強いらしいね。うちの家族も、先生たちも、アーティは凄いって褒めているよ」
「そうだね。おかげで、死なずに生き残れている。まったく、デタラメな人生だと思うよ。神に感謝するべきか、ツバを吐きかけるべきか、いつも悩んでいる」
エリンとアーティの生まれた土地では、生と死は隣り合っている。
日々の暮らしに生きるか死ぬかの戦闘が混ざり込んでおり、昨日は元気に笑っていた者が、明日には棺桶で青ざめているかも知れない。
この地は、極北と呼ばれていた。
世界最大のダンジョンを目の前にして城壁を構える極北は、大量に湧き出して来る凶悪なモンスターから人類圏を守護する城塞都市である。
極北はいずれの国家にも属することなく、唯一の特例として自治を認められている。極北は大陸中の腕自慢、命知らずが集まってくるバトルマニアの聖地でもあるが、大別すると三つの強大な勢力に支えられていた。
古くからこの地を治める領主一族である〈極北宗家〉。
Sランク冒険者たちの成れの果て、冒険者組合〈最果て支部〉。
世界各国の大罪人が死刑の代わりに戦闘奉仕する〈流刑戦団〉。
「流刑戦団の暮らしってどうなの?」
「最高だよ。オークを仕留めた日には、豚肉のローストが食卓に並ぶ」
アーティは、流刑戦団に所属していた。
別に、彼自身が何かの罪を犯したわけではない。
罪を背負っていたのは、アーティの両親である。
どのような罪を犯したのか、それはもはや極北という土地では問われるものではない。極北で問われるものは、ひたすらシンプルな強さだけである。詰まる所、モンスターを殺せるのか、それとも殺されるのか、それだけで成立する世界なのだ。
アーティの両親はそれぞれ、何かの罪を犯して流刑戦団に送られて来た。
極北という人類圏の場末で出会い、愛を育み、子供を生んだ。
恋愛し、結婚し、子供を作るぐらいの期間を生き延びたわけで、それなりに優秀な戦士だったことがわかる。ただし、わかるのはそれぐらいだ。アーティが言葉を覚え始めたぐらいの頃に、彼の両親は戦死した。
それであっさり、アーティの未来は閉ざされた。
まあ、残念ながら、両親が生き残っていたとしても、彼の将来は大差なかったかも知れない。流刑戦団の中で生まれた子供は――子供が生まれること自体が稀であるものの、原則として流刑戦団の戦士として育てられる。
子供には罪はない。
だが、別の生き方を提供してやれる程に極北は優しい土地でもない。
「時々、考えるのは……」
アーティは、エリンと二人きりの時だけ、意外とよく弱音を吐いた。
「普通の両親の元に生まれたら――。あるいは、極北以外の土地で生まれたら――。僕の人生は素晴らしいものになっていたのだろうか?」
「素晴らしい人生って、なんだろうね?」
アーティの悩みに、エリンは素朴な疑問で返していた。
「何も悩まないまま生きられることじゃないか」
アーティはそう云った。
「だったら、人間ではなく、虫にでも生まれた方が幸せかも知れない」
「虫だって苦労しているさ。エリン、君にはそんなこともわからないのか?」
「何をいきなり怒っているんだよ。お前の人生だって、そんなに悪いものではないかも知れないだろ。世界中には、餓えて死んでいく赤ん坊だってたくさんいる。モンスターに村が滅ぼされたなんて話も聞き飽きた。アーティ、お前は自分の力だけで生きていけるぐらいに強い。それだけの神の加護を得ているのは、どちらかと云えば〈持っている〉方だと思うぞ」
持つ者と持たざる者。
それもまた、アーティが口癖のようにつぶやくキーワードだ。
「エリン」
アーティは、真紅の瞳を燃え滾るように輝かせていた。
「君と僕は、人生を諦め、世界を呪いながら、こんな風に傷を舐め合っているけれど、悔しいかな、悲しいかな、最終的に君は〈持つ者〉だろうし、僕は〈持たざる者〉にしかなれそうにない」
アーティの泣き出しそうなぐらいの言葉の意味は、今もよくわからないままだ。
わからないまま、そのまま忘れ去っていたことをエリンは思い出していた。
十二歳か。
それとも、十三歳か。
たぶん、それぐらいの頃の会話である。アーティが極北から旅立つ少し前の出来事だったのは間違いない。
エリンは一年前、十六歳で故郷である極北を逃げ出すように飛び出して、王都で冒険者の暮らしをスタートさせた。
それから間もなく、かつての親友と偶然再会したのだ。
アーティが光の神に選ばれ、〈勇者〉として世界に旅立って以来の再会だった。




