41話.【クオレス】③
クオレス視点のタイトルは数字のみに変更しました。
「こうして二人で出かけるのって何年ぶりかしら」
「四年前の春が最後だったな」
向かいに座る私の婚約者――ジュノに答える。
冬の長期休暇も残りわずかという時期。
私達は以前交わしていた遠出の約束をようやく実現に漕ぎ付ける事が出来た。
今目の前にいるジュノの様子は……特におかしなところは無いように見える。
厚着の服を着込んでいるせいか、頬は少し上気しているが。
「馬車の中は暑いだろう。上着は脱いでおくといい」
「そ、そうね」
この辺りは暖気が到来しているが今から向かう場所は北の寒冷地にある為、私から厚着の物を着て来るようにと事前に伝えていた。
少し恥ずかし気に衣服を脱ぐ彼女の動作は女性らしくしなやかで、改めていつも通りの彼女である事を私に実感させる。
つい先日会った彼女の様子は明らかに異常なものだった。
身のこなしも言葉遣いもまるで別人のものだった上に……内包する魔力が桁違いに上がっていたのだ。
今はその魔力も元に戻っているようだが。いや、以前より少し上がっただろうか。
あの時のジュノは別人のようにしか見えなかったが……しかし、彼女は私と同じ封印属性ではない。自分以外の何者かをその身に封じている事は無い筈。
だとすればこの状況はなんだ?
訝しんで見ていたのが伝わったのか、様子のおかしいジュノから萎縮され、逃げられてしまった。
ここは追うべきだと足を前に出したが。
『そんなにあの女が気になるのか。随分とご執心のようだな』
さも楽しそうに語り掛けてくる魔人の声に気を取られてしまった。
……執心などしていない。彼女は私の婚約者だ。気に掛けるのは当然だろう。
『きっと並行世界のお前もそうやって言い訳を重ねてきたのだろうなあ。彼女は聖女だから。まだ未熟だから気に掛けてやらねば、とな』
他の世界の私の考えなど知るものか。
私は他の世界の私とは違うのだから。
『いいや、同じだ。お前は他の世界のお前と同じ過ちを犯している。ただ執着する相手が変わっただけだ。世界を救える分、聖女にうつつを抜かした方がマシだったのではないか?』
……これ以上魔人の言葉に耳を貸すな。そんなものは魔人自身の願望に過ぎない。大方唯一の手先が殺されたことを知って焦っているだけだろう。
魔人の言葉を振り切って後を追うも、既にジュノの姿は何処にも無かった。
結局あのジュノが何だったのか、私にはわからない。
「あなたといると私が私であることが実感出来るわ」
目の前にいるジュノが独り言のように零す。
確かに今のジュノは私のよく知るジュノだが……あの時の君だって私と居た事に変わりはないだろうに。
何事も無かったように振舞う彼女にどう切り出せば良いのだろうか。
彼女自身が隠すつもりなら詮索すべきではないかもしれない。
私自身も彼女に隠している事は多い。
婚約者だからといって何もかもを明かすものではないだろう。
だが……もしもあの時の事を覚えていないのだとしたら?
……それならば尚更彼女には聞けないだろう。徒らに不安を煽るだけだ。
結局、私は何も聞かない事にした。
元に戻ってくれたのなら、それでいい。
今一番重要な事は、いかにして彼女の信頼を得るかだ。
ジュノは私に好意こそ抱いてはいても、決して信じてはいないだろうから。
いっそ彼女が見てしまった異世界の光景を私も目にしたと伝え、あのような愚行は犯さないと誓えば良いだろうか。
……いいや、そんな事は口にすべきでない。
それを口にしてしまえば、私があの世界の存在を受け入れてしまう事になる。あのような愚行を犯す可能性があると認めてしまう事になる。
そんな事を彼女に白状してどうする。この世界では起こっていない筈の出来事が、より確かな事象として私達の中で残ってしまうだけではないか。
彼女が認識した世界だとしても、私は否定し続けなければ。
私は他の世界の私とは別物なのだと、これからの行動によって示していくしかない。
目的地に着いた頃にはとうに日が暮れており、一層厳しい寒さをこの地にもたらしていた。
これ程の冷たさであれば、きっとまだあの景色は消えていないだろう。そして時間帯も丁度良い頃合いだ。
「わぁ……っ」
馬車を降りてその光景を目の当たりにしたジュノが感嘆の息を漏らす。
目の前に広がる凍り付いた湿原の下には、氷の中で冬を越す水中花が色とりどりの光を放ち、湿原全体をオーロラのように輝かせていた。
氷と光の花園と呼ばれるこの光景は冬の間にしか見る事が出来ないらしい。
「以前君がここに来たいと言っていたからな。遠征が長引いてしまい今年は無理かと思ったが……どうやら間に合ったようだ」
ロウエンとの一件で己の力不足を実感した私は遠征任務でこれまで以上に魔物との闘争に身を投じていた。
辺境の地で力を蓄えていた魔物達との闘いは想像以上に厳しいものとなり帰還が予定より遅れてしまったが、おかげで少しは実力が上がったと自負している。
「……覚えてくれていたのね。嬉しい……」
花の光に照らされるジュノの顔が綻ぶ。
その顔にかかる淡い紫の髪が様々な色の光を浴びながら揺れる姿もまた、たなびくオーロラのようだった。
……決して美しいとは思わない。
私にはそのように感じる心など無いのだから。
それでも。
「君の好きな物は全て記憶している。景色も、菓子も、花の名前も全て」
「え……?」
戸惑いに揺れる瞳を見つめる。
君に共感する事が出来ない代わりに、私は全て覚えている。
「これからも君の行きたい場所へ共に行き、君の見たい物を見せよう。そして君が口にしたい物を共に味わい、経験したい事を共にしよう」
「……ふふ。まるでプロポーズみたいね」
一瞬その顔を喜色に染めた後、さもおかしそうに笑いだすジュノ。
しかしこの笑いをする時の彼女はいつも心から笑っていない事を私は知っている。
私は何か間違えてしまったのか。
「ごめんなさい、クオレス。本当はね、私、好きなものなんてそんなに無いの」
「なに……?」
いや、薄々気づいてはいた。
だがそんな言葉、口にして欲しくなかった。
君が好きだと言ったものを信じないと、君に何を与えれば良いのかわからなくなってしまうから。
ジュノは湿原の桟橋を一人で歩いていく。
「私、あなたが好きになってくれる物を一つでも見つけたくて、いろんな物を好きになろうとしていただけなの。だから心の底から好きって言える物なんてほとんど無くて……こんな私が勧めていたんじゃ、あなたが好きになれなくても仕方ないわよね」
彼女の健気な努力を否定したくはない。
だが今の私では否定することしか出来なかった。
「だからね、無理しないで? あなたが優しいことはもう充分知っているから……私に合わせようとしなくても大丈夫だから」
振り向きざまに悲し気な顔をして微笑むジュノに息を呑む。
見る者が見れば美しく可憐などと形容するだろう。それこそ氷に閉ざされた花のようだと。
やはり私の言葉など信用に値しないのだろう。
それでも信じてもらわなければ。
私は彼女に歩み寄り感情を込める事無く訴える。
「私は無理などしていない。君といて苦痛に感じた事など一度たりとも無いのだから」
「それ、私といても何も感じないからって意味でしょ」
的確な返しに何も言えなくなってしまう。
これでは駄目だ。そう思うも、何と答えれば良いのかわからない。
己の心を殺したまま君を傷つけずに済む言葉はあるのだろうか。
考えあぐねている内に、彼女が更に言葉を紡ぐ。
「ねえクオレス。あなた、好きな人がいるでしょう? それなのに婚約者だからって私に構おうとする時点で本当は無理をしていると思うの」
「違う。私は……!」
……もう、言ってしまえ。
それは魔人の言葉だったのか、私自身の言葉だったのかはわからない。
「君を愛しているんだ」
本来口にしてはならない言葉。
口に出してしまえばそれはことのほか重い響きを持っていた。
しかし言った瞬間に後悔する。
目の前にはジュノではなく、あの聖女に同じ言葉を囁く私の光景が、この夜に似つかわしくない昼下がりの光と共に浮かび上がって来たからだ。
その忌々しい光景は一瞬にして消え失せるが、ジュノの表情はとても苦々しいものになっていた。
あの時と同じだ。
二人で遠出をしようと誘った時もこのような光景が浮かび上がっては、ジュノの顔を曇らせていた。
その光景は実際に空間上に現れた訳ではなく、実体の無い幻覚でしかないが……私達二人は同じ幻覚を見ていたのだ。
いや、正確には私がジュノの見ている幻覚を覗き見ているのだろう。おそらく魔人の力によって。
彼女が何を思っているのか知りたいとあの夜に願ってしまったから、魔人が悪意を持ってその願いを叶えているのだ。私の心を乱す為に。
そしてきっと彼女が見ている幻覚はただの幻覚ではない。
並行世界で実際に起きた出来事だ……。
「……どうしていつもそんな顔をするの」
彼女からそう言われてようやく、私の顔がわずかに強張り血の気が引いている事に気づいた。
決してそれは寒さによるものではない。彼女にもそれがわかっているのだろう。
ジュノはこうして、他の者は気づかない私の変化にもすぐ気づいてしまう。
せめて抱きしめながら言ってしまえばよかった。
こんな顔など見られないようにすべきだった。
「私にそういった言葉をかける時のあなたはいつも辛そうな顔をしているわ。普通、そんな顔で愛の言葉なんて囁かないでしょう。思わず顔色を悪くしてしまうくらい私のことが嫌い?」
今まで比較されていたのだと気づいたのはそう指摘されてからだった。
彼女はここにいる私と、腑抜けた顔で愛を囁く愚かな私を見比べて、今ここにいる私が囁く言葉など偽りでしかないのだと、そう判断したらしい。
事実、私が今言った言葉に心など込めていない。私は誰も愛していないし、これからも愛さない。
しかしもう、心に無くてもそう伝えてしまうべきだと……私が彼女を一切裏切らず大事に扱ってさえいれば、その言葉が嘘だとしても表面上は関係無くなるだろうからと、口走ってしまった。
封印の使命を持つ者としての教えを破ってまで、口にした。その結果がこれだ。
「君を嫌ってなどいない」
その言葉は紛れも無く真実なのに空虚に響く。
「そう。でも好きでもないんでしょう」
ここで好きだと言ってしまえば、またあの光景が現れてしまうのだろうか。
そう思うと何も言えなくなってしまう。
これでは愛を伝える言葉など、一つも贈れないではないか。あの世界の私が口にしてしまった言葉である限り……。
――私を見てくれ。今、ここにいる私を。
もうこれ以上、この世界の何処にも存在しない私なんて見ないでくれ。ここにいる私だけを見てくれ。
そう願いを込めて以前伝えたその言葉も、彼女には届かなかった。
「私は嘘の言葉に浮かれるほど綺麗な心なんてしていないの。だからもうそんな言葉、二度と言わないで」
私からの言葉を拒絶するジュノは自身の言葉にも傷ついてしまったのか、この上無く辛そうに顔を歪めていた。




