40話.【亡霊/ジュノ】亡霊は悪役令嬢になりきれない
「えっ、うそお……はいっちゃった……」
あたしは身を起こして手を握ったり開いたりしながら、その体の感触を確かめていた。
生身の肉体の感覚なんて久々だからか、ちょっと重たく感じる。
部屋にある鏡を見て一応確認してみると、なんだか間の抜けた表情をしたジュノさんがそこにいた。
中の人格が違うだけで、印象って変わるもんなんだなあ。アニマの妹が本性現した時はいつものジュノさんより幼く見えていたし。
そう。今はあたしがジュノさんの中の人状態になっている。
……いや、わざとやったわけじゃないんだよ?
アニマの妹が出て行って成仏? した姿をちゃんと確認したっていうのに、ジュノさんは丸一日経っても目覚めなくって、ユアナちゃんの魔法でもどうにもならなかったという状況の中。
あたしは医務室に寝かされっぱなしのジュノさんを叩き起こそうとしたわけなんですよ。霊体のあたしでもジュノさん相手ならいけるかもって思ったから。
そうしたら、そのままぬるう……っと。いともたやすく体の中に入ってしまったわけでして。
……これ、自分から出る時はどうすればいいんだろ?
あたしが入って来たっていうのにジュノさんの心の声的なやつは全く聞こえてこないし。中にいる……よね? 本当にどうしちゃったんだろ……。
ビビ君に聞けばわかるかなあ……最近全然会えていなかったし、今から会いに行こう。
ベッドから立ち上がったあたしはそのまま無人の医務室を出てひと気の無い廊下を歩く。
うわあ……歩く感覚なんて久々すぎてちょっと違和感あるなあ。
それにあたしの歩き方、ジュノさんのとは全然違う気がする。外面だけはおしとやかなお嬢様感が無くなっちゃってるかも……。
こんなとこ見られたらまずかったよね? 今が人のいない冬休み中で良かったあ……。
って思ってたのに。
「ジュノ……っ!」
なんでよりにもよって。
クオレスが来ちゃうかなあ……。
「ク、クオレスっ……さ……?」
あれ、ジュノさんってクオレスのこと呼び捨てだっけ、それとも様付けだったっけ。どっちもしていたような……。
たしか他の人にクオレスのこと話す時は様付けで、本人には呼び捨てだったな。多分。
「ずっと目を覚まさないと聞いたのだが……もう、大丈夫なのか……?」
「う、うん! もう全然平気! 超元気!」
あたしは目一杯体を動かす。
「……一体何があったんだ」
えええ。これ以上喋るとボロが出ちゃうから何も話したくないよ! 何から話せばいいかもわかんないし!
それに、クオレスの目がこわくてまともに話せる気がしない。
クオレスっていつもこんな冷たい目をしていたの?
いつも二人が話しているところを上から見ているだけだったから気づかなかったけど、こうして目と目を合わせるとすごく威圧感を感じる。
ジュノさんっていつもこんな視線を向けられていたの……?
そんな目をしながらあたしに近づいてくるクオレスの服装はいつもと違うやつだ。あ、その服って……。
「その服、遠征時の差分で着ていたやつだよね。もしかして遠征から帰って来たばかりっ?」
「その通りだが……。サブン……?」
「だ、だったらクオレスも休んだ方がいいよ! 疲れてるっしょ!? あたしも部屋でもっかい寝直すからっ! ほんじゃーねーっ!」
あたしはクオレスから逃げ出した!
……ジュノさんってクオレスにはタメ語だったはずだからこれでいいよね?
「お前……っ!? な、何やってるんだよ!!」
外で見回りをしているビビ君に会ったら途端に怒られた。
「えっ、ビビ君、もしかしてもう中の人があたしだってわかっちゃったんですか!? まだなんにも喋ってなかったのに!」
「見ればわかるよそれくらい!」
「だったらお姫様がジュノさんに入っちゃっていた時にもわかってくださいよー! あのあと大変だったんですからね!」
あたしは今まで何があったのかをビビ君に全部話した。
「あの黒い雲はそういう経緯で発生したのか……!? お、俺がご令嬢をお守り出来なかったせいでとんでもないことにっ……!」
「わーわーそこまで責任感じなくていいから! 死にそうな顔するのやめてー!」
ちなみにビビ君はビビ君で今まで黒い雲の対応に追われて大変だったらしい。
黒い雲が通った場所は植物が枯れて大地が荒れて水が濁って動物も弱っていったとかで、なるべく黒い雲の影響を減らすようにと衛兵の皆で風の魔道具を使って雲を散り散りにして上空に吹き飛ばしていたんだって。
風の魔法を使える学生がいたらもっと簡単だったらしいけど、冬休み中だもんねえ……。
「で、ジュノさんから出るにはどうしたらいいですかね?」
「俺だって知らないよそんなこと……。こう、ぬるっと出られないのか?」
「ぬるっとじゃわかりませんよ! こっちは霊体歴一年未満の初心者ですよ!?」
「そんなこと言ったら俺は霊が見えるだけでなったことなんて無いぞ……」
あたし達はじっくり地に腰を下ろして話を続けることにした。
おおお、芝生のチクチクする感覚を味わうのなんていつぶりだろ。前世でも芝生に座った経験なんてほとんど無いもんなあ。
「お前、前もご令嬢の中に入ったことがあるんだろ? その時はどうやって出たんだ?」
「前はジュノさんから強制的に追い出されちゃったんですよ……。あの時のジュノさん、出てけえーってすごい剣幕でしたよ」
「激怒したご令嬢がその場の勢いで、って感じか……。だったら、もう一度ご令嬢を怒らせるような行動をする、とか……?」
「それでうまくいきますかねえ。お姫様が好き勝手している時は無反応だったのに」
「お前程度なら出せるってことかもしれないだろ」
「えええ。あたしってゴースト系の中でもすごいやつだったんじゃないの!?」
まあいいか。
とりあえずやってみよう。ジュノさんを怒らせるようなこと、かあ……。
「クオレスに婚約破棄したらめちゃくちゃ怒りそうだな……」
「それ取り返しのつかないことになるだろ!? 絶対やめろ!」
「だったら、クオレスをぶん殴る……のはジュノさん自身が平手打ちかましてたからなあ……。グレードアップさせてグーパン……?」
「それもダメだろ! 勝手にひとの人間関係を悪化させるな!」
「むー。じゃあいっそクオレスの風呂でも覗いたら興奮して出てくるんじゃないですか?」
「それはっ……婚約者だから、いいのか……? いややっぱダメだろ。っていうか婚約者の人のことしかないのかよ!?」
「だってジュノさんですよ!? クオレスのこと以外に何があるっていうんですか!」
何も犠牲にすることなく怒らせるのって難しすぎない?
考えるのに疲れたあたしはその辺の木にもたれかかった。
その衝撃のせいだったのかな。
ボトッ……と上から何かが落ちてきて、あたしの、というかジュノさんの体の上に乗っかってきたのだ。
「え」
あたしはおそるおそる乗っかった感触のあった場所……頭の上を触る、のはこわいから前屈みになって頭の上に落ちたものを振り落とした。
すると今度はスカートの上に落ちてしまった。うにょうにょしたユニコーンカラーのファンタジックないも虫が!!
「ひぎゃああああああああ!!』
あまりのショックにあたしは口から心臓が飛び出る勢いで叫んだ。というか本当に出た。心臓じゃなくて、魂が。
「えっ、おまっ、そんな出方……ご、ご令嬢様!!」
ビビ君の焦った声を聞いて振り返る。
あたしという中の人を失ったジュノさんの体は力無く後ろに倒れ込み……後ろの木に思い切り頭をぶつけた。
「いたあっ!?」
後頭部に走る衝撃に目が覚める。
「なっ、なんなのよいきな……り……?」
目の前には唖然とした顔の亡霊と衛兵がこちらを見ている。
……そういえば私、王女から体を奪われて……その王女が出て行って、そのあと……。
なんでこんなところにいるのかしら。
『ジュノさんが起きたああああ!!』
「ご、ご令嬢様! 大丈夫ですか!? あ、おはようございますっ!」
「お、おはよう……?」
この状況はよくわからないけど、どうやら元に戻ったみたいね。
頭をさする手も、声を出す口も、確かに私自身の意思によって動かせている。
『もー、こんな簡単に起きるならさっさと起きてくださいよお。叩いたらなおったって、古い家電じゃないんですから……』
「カデンって何よ……別に説明しなくていいけど」
口では文句を言いながらも亡霊は嬉し泣きでもしそうな顔をしていた。心配かけちゃったわね。
「俺はお前の出方にも驚いたぞ……虫見て出てくるってなんなんだよ……」
『いやー、あたしが虫嫌いで助かりましたね! もうあんな出方二度としたくないですけど!』
ふと下に視線を落とすと膝の上を虫が這っていた。とりあえず手で掴んでその辺に捨てておく。
その生々しい感触に、少し愛おしさを覚えてしまう私がいた。
体を操られていた時とはまるで違う。冬の終わりを感じさせる暖かな日差しが肌に当たる感覚も、まだ冬枯れしたままの芝生が衣服越しから肌に刺してくる感触も、全てがはっきりと感じられる。
私が私として確かにここに存在しているのだと実感することができた。
……だからといって流石に虫の感触まで愛おしく思うのは我ながらどうかと思うけど。
『それにしてもなんでお姫様が出た後すぐに起きてくれなかったんですか? 邪魔者がいなくなったんだからすぐ動けたはずじゃないですか?』
「私もそうするつもりだったのだけど……なんていうか、すごく疲れちゃったのよね。自分の体を誰かに使われるのって……」
『つまり、ただ単に疲れたから今までずっと寝てたってことですか!? 寝すぎでしょ!』
「そんなこと言われたってしょうがないじゃない。今だってまだ疲労感が残っているくらいなんだから」
「……今も疲れがあるのは多分こいつのせいじゃないかと」
衛兵が亡霊を指さす。
「どういうこと?」
『いやー……そのー……すみませんジュノさん。あたしさっきまでジュノさんの中に入っちゃってて……』
「あっ、責めないでやってください! こいつはご令嬢様を起こそうとして、事故で乗り移ってしまっただけなんです! それでどうしたらいいのかを俺に訊きに来たところでして!」
「ああ。それでこんなところにいたってわけね……。別に怒らないわよ。わざとじゃないんでしょ?」
叱られるのを怯えながら待っているような亡霊と必死に庇う衛兵をなだめるため、少しだけ笑みを浮かべる。
それにしても最初の頃は亡霊が入ろうとしても私の体に弾かれているような様子だったのに、今回はすんなり入れてしまったのね。
その時の私に意識が無かったからか、それとも私がこうして亡霊に気を許せるようになったからかしら。
意識を取り戻した私はそのことを報告する為に二人のもとへ訪ねることにした。
一人は、略奪女……ユアナのところ。
私が目覚めたことを喜ぶユアナに、私は礼の言葉を述べる。
「今回のことは色々とありがとう。ユアナさん」
魔人の手先を討ってくれて。
これでクオレスが狙われることもなくなる。魔人の封印とやらが解かれることもないでしょう。
それに、殿下の心を救ったことも。
殿下があのようになってしまったのは、そもそもは私が原因だから。
「そんなっ、わたしなんにも出来てないよ? どんなに魔法かけても、ジュノさん全然起きなくって……やっぱりわたし、まだまだ駄目なんだなって思ったもん」
でもこちらの事情を何も知らないユアナはそう返してくる。
亡霊の話によると、ユアナは私が目を覚まさなくなった原因については何も知らされていないらしい。
流石の殿下も、妹の霊が現れたなんて話は出来なかったようね。ユアナなら信じる気がするけど。
「あなたの魔法のおかげで早く目が覚めることができたのかもしれないでしょう? だからユアナさんは駄目なんかじゃないわ」
私は何一つ事情を教えられない代わりに励ましの言葉を贈る。
クオレスの心までも手に入れてしまったあなたのことはやっぱり嫌いだけど、あなたのことはもはや認めるしかないもの。
あなたは……何も出来なかった私とは違う。
クオレスがあなたを選ぶのも、当然かもしれない。
そして次に向かった場所は殿下のところ。
殿下にはご迷惑をかけたことを謝らなければ。
そう思っていたのだけど。
「ジュノ! よかった、目が覚めたんだな!」
その顔を見た途端、私が抱くはずのない感情が込み上げてくる――。
……そんなの、ありえない。なんで私が、殿下に。
「この度は、ご迷惑をおかけして……」
「そんなのいいって! ジュノがちゃんと戻ってきてくれただけで嬉しいよ」
殿下が私のそばまで寄ってきてこの頭を撫でる。
私の中に王女が入っていた時に何度もしていたものと同じ手つきで。
「……あっ、ごめん、つい」
私は離れていく手を追いかけ、自身の頭をその手に擦り付けた。
その大きくて優しい温もりに頬を緩ませながら。
「ジュノ……?」
『ジュノさん……!?』
私の、大好きな、お兄様の手。
「……ッ!!」
違う!
こんなの、こんなの私の気持ちじゃない!!
全身の血の気が引いた私は即座に床に頭をつけて跪いた。
こうでもしないと、殿下と距離を取らないと自分を保てなくなる気がしたから。
「申し訳、ございません……」
震えと冷や汗が止まらない。
王女の魂はもうここには無いはずなのに、王女の記憶が、王女の記憶に同調してしまった感覚が、私の魂に刻まれている。
私の心が……他の誰かの心と混ざってしまっている。
その信じがたい事実に頭がおかしくなりそうだった。
「なあ、ジュノ……。もしかして覚えてるのか? キミの中に……オレの妹が入っていた時のこと」
「……左様でございます。殿下」
私は頭を床に付けたまま答える。
王女の記憶を通して殿下の正体を知ったことにすれば、殿下も納得するでしょう。
それに殿下を対等な一学生としてではなく畏れ多き存在である王太子殿下として扱い遠ざけることが、今の私には救いになる。
「そっか……。そうじゃなきゃオレのところに謝りに来たりなんてしないよな」
「この度のことは誠に申し訳ございませんでした……どうかお許しを……」
「だからいいって! むしろジュノには感謝しているくらいなんだぜ? もしジュノがアイツを連れてきてくれなかったらアイツはずっと苦しんでいたままだと思うし……今回のことでオレも気持ちの整理がついたんだ。メルレシアにもう一度会わせてくれてありがとな」
「もったいなきお言葉でございます……」
「……こっちこそごめんな、ジュノ。オレの妹がキミを惑わせて」
殿下の優しい声を聞いているだけで、甘えてしまいたくなる。
そんな自分がたまらなく不快だった。




