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30話.【クオレス】①

 これが新たな試練か。


 彼女との婚約が決まった時、私が思考した事はそれだけだった。




『己が持つ属性は、覚醒の時が来るまでは把握する事が出来ない』

 これはこの国の常識として語られている事象だが、物事には例外が存在するものだ。


 私もまた、その例外の一つであった。

 この身には生まれた頃から封印の属性を示す印が刻まれている。

『印をその身に宿して生まれ出た者は、その属性に基づいた使命を課せられる運命にある』

 物心がついた頃からそのように言い聞かせられていた私は、その使命を果たせるように訓練を受けてきた。


 使命というものは、その多くが国を揺るがしかねない重大な事柄に関わる。

 故に、混乱を避ける為にも部外者に知られてはならないという掟があった。


 まだ婚約者でしかない彼女には、伝えていない。




 封印属性の私が課せられた使命は『魔人を滅する聖女が現れるその日まで、魔人を己の身に封じ続ける』というものだった。


 世間的には、かつてこの国を荒らした魔人は国によって討伐されてこの世から消滅した事になっている。

 討伐されたところまでは事実だ。しかし、魔人は肉体が滅びてもその存在まで消える事は無かった。


 魔人は人の心に侵入し、負の感情を利用して操る存在。

 そのような魔人を封印する場所もまた、人の心の内側でなければならなかった。


 使命を課せられた歴代の封印属性の者達は、心身を鍛えて己の精神に魔人を封印し続けた。

 彼らは魔人が封印を解いてしまったとしてもその動きを止められるようにと日々戦闘技術を向上させ、そして自身が魔人から操られることのないよう、あらゆる感情を殺した。

 そうしてこの国の秩序は保たれてきたのだ。




 この国の秩序を守る為ならば喜んで……いや、何も感じる事無くその任をこなそう。

 誇りの為でも正義の為でもない。

 これは我々が背負う責であり当然の行いなのだから。


 その決意を胸に、私は幼い頃からあらゆる感情を殺し続けてきた。


 どんなに強く叩かれようとも怒りを抱いてはならない。恐れてもいけない。

 その教えと共に繰り出される攻撃を、幼き頃の私は無心で受け続けた。


 たとえ何かしらの感情を抱いてしまったとしても、それを言葉にしてはならない。

 言語化さえしなければ、感情を抱いた事自体をやがて認識しなくなる。

 私は自分の感情から目を背け、否定し続けた。


 感情を抱いてはならないが、何も知覚しない無教養な人間であってはならない。

 美しいもの、醜いもの、秀でたもの、愚かなもの……客観的な評価と主観を完全に分けるようにと自分を常に律した。


 常に凪いだままでいろ。

 その教えを口には出さずに唱え続けた。




 当然、友人と呼べる存在のいない幼少期を過ごしていたが、寂しいという感情は抱かなかった。

 抱いてはいけないという教えもあるが、そもそもそんな感情を抱くほどの余裕が当時の私には無かったのだ。

 同年代の者は誰もすぐに近づいてこなくなる。その様子を当たり前のものと受け入れていた。

 だから懲りもせずに私に近寄ってくるあの少女は、私には奇異な存在だった。


 彼女の家から縁談が来た時、私の家は一も二もなくその話を受けたという。

 恋愛が出来ない私を好きになる女性などそう現れることは無いだろうからという、ただそれだけの理由で。


 彼女の容姿は、きっと周囲から愛らしいと評されるものなのだろう。しかし私は可愛いとも美しいとも思わなかった。

 私以外の者を気にも留めない彼女の言動は、我が強い性格と呼ばれるものなのだろう。しかし私は不快にも思わなかった。


 彼女はとても情熱的で、私の想いをいつだって求めてきた。

 しかし私は何一つ彼女に応えてやれなかった。

 彼女を傷つけるような言動はしたくない。

 しかし、耳触りのいいような偽りの言葉だって口には出来なかった。

 その言葉が本物になる可能性だって秘めているからだ。


 彼女と接していると、胸の奥から靄のようなわだかまりが生まれる。

 わだかまりなんて感情も抱いてはならないのに。


 今思えばそのわだかまりの正体は罪悪感と呼ばれるものだったのだろう。

 彼女に私の事情を話すことが出来れば、彼女はこんな無駄な事をせずに済むだろうにと、私は彼女を哀れんでいたのだった。


 どんなに美しいと評される物や景色も、君が懸命に努力して出来るようになったのであろう舞や歌も、見せる相手が私では全て無駄になってしまうというのに……。


 しかし彼女との付き合いを続けていくにつれ、そんな感情も次第に薄れていった。

 彼女からの情熱的な、しかし変化の無い愛情表現に慣れていく自分がいた。

 きっと私は最低な男と呼ばれるものなのだろう。


 だがこれで私の心を掻き乱す存在はもう一切無い。

 婚約者という試練を乗り越えた私は、魔人が産み落とした災厄である魔物の討伐隊に身を置き、彼女との直接的な交流を絶った。


 そして訪れた覚醒の期。

 刻まれた印の通り封印属性に目覚めた私は、先代から魔人を受け継ぎこの精神に封じた。

 魔人は私の中で暴れ狂い、私を唆そうとあらゆる言葉を投げかけてきたが、私がそれら全てを無視する内に観念したのか、次第に声は聞こえなくなっていった。


 使命を他者から悟られてしまう事を防ぐ為、己の属性の事は一部の者以外には伏せる事となっている。

 私もその慣例に従い、ハーヴィー先生の助言を受けて扱い慣れた武器である剣の属性を名乗り、それらしい戦い方を身につけていった。




 婚約者であるジュノ嬢が学園に入学してきた。

 覚醒の儀で倒れたという話を職員から聞かされた私は、様子が気になって式典後のパーティーに出向くことにした。

 ジュノ嬢は自身の誕生日でも倒れたばかりだ。

 今まで体調不良になる事の無かった彼女がこんな短期間に二度も倒れるなど、婚約者としては気にしない訳にはいかないだろう。

 彼女への愛こそ無かったが、こんな私に愛想を尽かさない彼女の事を妻として迎え入れる覚悟はとうに出来ていた。


 二十日ぶりに会った彼女は変わり果てた様子となっていた。

 といっても別に容姿が変わったわけではない。

 しかし私には、彼女に起こった変化がはっきりとわかってしまった。


 我々封印属性は、人間が持つ魔力を封印する事が主な役割となっている。

 その役割故か、それとも私に課せられた使命がそうさせたのか理由は定かではないが、私には対象が持つ魔力の質を知覚する力があった。


 だからこそ、覚醒前は豊潤な魔力をその身に宿していた筈の彼女が、その面影を一切残さない有様になっていた事にまず意識が向いてしまった。

 こんな短期間で急激に魔力が衰える事など、ある筈が無い。

 何があったのか彼女に尋ねたかったが、堂々と聞く訳にはいかない。

 そこで私は平静を保ちつつも、まずは彼女の体調について詳しく聞き出そうとしたのだが。


「……こんの、浮気者おおおおーーっ!!!」


 その時の罵声に、鋭い形相に、頬に走る痛みに、私は驚きを隠せなかった。


 私が浮気、だと?

 何を言っている。そんな事ある筈無いだろう!


 彼女が激しい気性を隠し持っている事には気づいていたが、それを私に向ける事などただの一度も無かったというのに。

 魔力の弱体化と関わりがあるのか?

 それとも私が、何か誤解されるような事をしてしまったのか?




 魔力の急激な変化について調べてみても何一つ手掛かりが得られないまま幾日かが経過し、やがて彼女の方から私の前に姿を見せた。


 そこで彼女が呪いの属性の持ち主だという事を知った。

 よりにもよって、呪いか。

 きっと私達が出会ったのは運命、いや、宿命だったのだろう。


 そう確信した私は、不義を働いた報復として用意されたのであろうゼリーを口に運んだ。

 しかし呪いの効果は一向に現れない。聞けば、彼女はそのような意図で作った訳では無いのだとわかった。

 そうか。彼女はまだ、堕ちてはいないのだな。

 その事に酷く安堵してしまった私は食べた感想紛いの事まで口走ってしまった。

 真実だろうと偽りだろうと、自分が感じた事など言語化してはならないというのに。


「い、今、質が良いって言った!? 質が良いって、味が? 食感が? 美味しかったってこと!?」


 あれほどまでに嬉しそうなジュノ嬢を見たのは、初めての事だった。




 ジュノ嬢に庭園の案内をした日。


 彼女の身に起こった変化が不可解なものだからか、もしくは呪いの属性であると明かされたせいか、彼女の様子が妙に気に掛かる。

 聞いてみれば、やはり無理をしたようだ。

 私と違って何か使命を背負っているわけでもない彼女が、その身を削ってまで魔法の鍛錬に励む必要など無いだろうに……。

 そこまでして呪いの力を良いことに使いたいと願っているのか。建前のようにも聞こえたが、このように無理をしているという事は本心かもしれない。

 そんな彼女の事を意外に思う自分がいた。

 ……もしかして私はジュノ嬢のことを何も知らなかったのではないだろうか。


 魔法を使うのを止めろとは、言えなかった。




 この日は、私が聖女の姿を目視した日でもあった。


 私が魔力を知覚出来る力を持っているのは、聖女と出会う為だったのかもしれない。その学生が持つ魔力を見た瞬間、私はそう思わざるを得なかった。

 温かで清らかな光。その光を見ただけであの学生こそが聖女なのだと一瞬にして理解してしまったのだから。


 私の使命は『魔人を滅する聖女が現れるその日まで、魔人を己の身に封じ続ける』事。

 聖女が私の中に封じられている魔人を滅する事が出来れば、我々は使命から解放される。

 封印した魔人が復活するという不安も、この国から取り除く事が出来る。

 聖女は我々にとって救いの光だ。……しかし、今はまだそこまでの力を持ってはいない。


 だから私が聖女を導かねばならない。

 この時の私は期待と使命感を抱きながら、その女性に視線を注いでしまっていた。


 それがジュノ嬢を刺激する結果となってしまったのだろう。

 周囲に見せつけるように私に口づけする振りをした彼女は、その後私を脅すような笑みを向ける彼女は、これまでに無い激情を湛えていた。




 ジュノ嬢を警戒させてしまった以上、聖女とは直接接触すべきではないだろう。

 そこで私は聖女――ユアナ君宛てに匿名の手紙を送り、助言をする事にした。

 ユアナ君には力を付けてもらわねばならない。

 真に魔人のいない未来を作る為にも。


 しかしその事があろうことかジュノ嬢に知られてしまった。

 まだ婚約者でしかない彼女に使命や魔人の事を話す訳にはいかなかったが、誤解は解かねばならない。

 私は彼女に弁解したが、その言葉が届いたという手応えは無かった。

 あの時無理矢理にでも口づけしてしまうべきだったのだろうか。

 彼女の顔の端には、薄っすらとだがマナ中毒特有の痣があった。


 きっと私の見えないところで彼女は酷く苦しんでいたのだろう。

 もうあのような痣を作らせてはならないのに、そう言い聞かせる術が私には無かった。


 彼女が涙を流した時の姿が、未だに脳裏から離れない。




 ジュノ嬢はユアナ君と敵対しているのかと思いきや、二人の仲が良好であるという噂が耳に入る。

 その噂の信憑性は定かでは無いが、彼女がユアナ君の受けていた嫌がらせ解決に協力したという話は事実らしかった。

 ジュノ嬢が他の誰かの為に動くなど、にわかには信じがたかった。


 それ以上に信じ難かったのは、ジュノ嬢が学園仕えの衛兵と楽し気に談笑し、贈り物まで受け取っていた事だ。

 遠目からその様子を覗き見ていて、会話まではわからなかったが……彼女はとても良い表情をしていた。

 私には見せた事の無い穏やかな表情だった。


 彼女が、私以外の男と仲良くするなど……今までの彼女からすれば、考えられない事だ。

 しかし、思えば三年も会わなかったのだ。

 彼女の心が変化していてもおかしくはない。


 私に愛想を尽かして、他の男のところへ行ったとしても……何もおかしくはない。




 そう思ったが、私が試験の模擬戦を終えた後出迎えてくれた彼女は、私を労い、涙まで流してくれた。

 それがどのような思いから来るものかまではわからなかったが、私を想って流した涙だということだけは伝わって来た。


「いつもより表情が明るいから、勝ったことが嬉しいのかと思って」


 彼女からそう指摘されるまで、私は自分の表情が崩れていた事に気づいていなかった。

 勝敗など関係無い。

 私は彼女が私の為に泣く姿を見て胸が満たされる感覚を覚えてしまっていたのだ。そんな感覚を認識してはならなかったのに。

 せめてそれが何の感情から生まれたものかは考えぬよう、私は心を無にした。




 以前は彼女とどんなやり取りをしても平静を保てたというのに。

 魔力の弱体化や呪いの属性のせいで彼女の事が気に掛かるようになり、知らなかった表情をいくつも見せつけられ、彼女の変化に振り回される内に、私は……とうの昔に慣れた筈の婚約者に対し、再び心を掻き乱されるようになってしまった。




 ジュノ嬢がユアナ君と共に賊から捕らわれたと聞いた時は酷いものだった。

 聖女であるユアナ君の身も案じるべきだったろうに、あの時の私はジュノ嬢の事しか頭に無かったのだ。

 二人の姿を目にした時も、私は真っ先にジュノ嬢のもとへ向かいその身を抱きかかえていた。

 しかし、ジュノ嬢は……私とは目も合わせず、どこか遠くを見つめては悲痛な表情を浮かべたままその瞼を閉じた。




「私のこと、嫌いになってくれる?」


「私が死んだら喜んでくれるくらいに憎んで、恨んでほしい……」


 何故そんな悲しい事を言うんだ。

 ……違う。私が悲しいと感じている訳では無い。

 客観的に見ても、あまりにも悲しい望みだろう。


 現に、彼女は酷く疲れた儚い笑みを浮かべている。

 手を伸ばさないと今にも消えてしまいそうだった。


 そんな事を言い出す彼女がわからない。

 私達は夫婦になるんだ。その関係が悪くなるような事など、望むものではないだろう。

 一体何を考えているんだ。

 最近の彼女はわからない事ばかりだ。


 彼女が何を思っているのか、知りたい。


 そう、願ってしまった。


『その望み、叶えてやろう』


 彼女に触れた瞬間、私の内側で大人しくしていた魔人が上機嫌で囁く。それと同時に魔人の禍々しい魔力が暴れだし、この身に苦痛と悪寒をもたらした。


 後悔してももう遅い。



 この夜、私の意識は魔人が作り出す悪夢に封じられる事となった。

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