31話.【クオレス】②
私にとってその存在は、救いの光だった。
しかしその光はまだ弱々しい。
私が育て、導いてやらねば。
その使命感に駆られ、彼女に接触したのが始まりだった。
ユアナ君は思いやりに溢れ、あちらこちらに首を突っ込んでは問題に巻き込まれに行く生粋のお人好しだった。
他人の為に体を張り、己の身が傷つくこともいとわない姿勢には危うさを感じる。
伝説上の存在として語り継がれる聖女らしい精神性だとも言えるが……私は彼女から目が離せなくなっていた。
「君は無茶ばかりするな。君が努力家なことは知っているが、もう少し自分の身を大事にしてくれ」
「えへへ……。心配してくれてありがとうございます。クオレスさん」
ユアナ君は問題を解決する為の努力を普段から怠らない生真面目さも持ち合わせている。それ故に自分の身を危険に晒す事もあって、それが私には我慢ならなかった。
しかし私の助言を一言一句も聞き漏らさないように耳を傾ける熱意や、教わった事をすぐに実行する行動力は教え甲斐というものを感じさせてくれた。
ただの一学生でしかない私だが、彼女の良き師でありたいという思いが、いつのまにか芽生えていた。
思った事や感じた事を言語化してはならない。
私はずっとその教えを守って生きてきたが、ユアナ君の前では簡単に思った事が口に出てしまう。
彼女には人の心を温かく解きほぐし開かせるような……気持ちを素直にさせる力があった。
私は自分が抱いているものがどのようなものなのかはっきりとは理解出来ぬままに、その胸の内を彼女に語っていた。
「君を見ていると、胸の奥がどうしようもなくかき乱される。それなのに同時に安らぎも得られるんだ。不思議なものだな」
「クオレスさん……」
「……何を言っているんだ、私は。すまない、忘れてくれ」
本当はそんな思いに浸っていてはいけないのに、ユアナ君といるとそれが許される気がする。
彼女がいつか私を救い出してくれるという確信が安心感となり、私の心に隙を作ったのかもしれない。
その隙を、私の中に封じられた魔人が見逃す筈も無かった。
ユアナ君へ抱く庇護欲と畏敬の念が入り交じった感情は、更なる強い感情を生み出し、魔人はそれを利用する事でこの身を操ろうとした。
「クオレスさん!? これって一体……!?」
黒い靄に包まれる私を心配するユアナ君を見て、私は後ろめたい思いに駆られる。
「私の心が弱いばかりに、このような事態を招いてしまったんだ……。私は、どうしようもない男だ」
「そんなことありません! クオレスさんは強くて、いつもわたしを導いてくれて、とても親切で優しくて立派な人です!」
その言葉に高揚してしまう自分が、今はどうしようもなく情けない。
そしてこの時になってようやく気付いてしまった。今自分の中にある感情の名を。
「君を、愛してしまった。君の傍にいたいと願ってしまった。こんな感情が私にもあっただなんて、知らなかった……」
私が何かを愛する事など無いと思っていたのに。
「私には使命があるというのに、こんな感情に振り回されるなど……ふがいないとしか言いようが無いだろう」
「そんな……そんなこと言わないでください! 人を愛することは悪いことなんかじゃありません! 愛は、とっても素敵な強い力なんだって……今からわたしが証明してみせます!」
彼女はその宣言通り、私を魔人の力から救い出してくれた。
魔人自体はまだ私の中に残ってしまったが、これから先ユアナ君は更に成長していく。必ず魔人を滅ぼしてくれるだろう。
「ごめんなさい。クオレスさん……わたしが力不足なばっかりに、完全に助けてあげられなくて……」
「いいんだ。まだ時間は沢山ある。君は君の速度で成長していけばいい」
「わたし……必ずクオレスさんを助けてみせます! だから、だからクオレスさん、これからは自分の感情を隠したりしないでください。魔人が出てきそうになったら、今みたいにわたしがなんとかしてみせます! だから……」
ユアナ君は顔を紅潮させながら私に熱い視線を向けてきた。
「だからわたし、クオレスさんと……ずっと、一緒に……」
「いや、こういう事は私から言わせてくれ。……これからも、私の傍にいてほしい。共に生きてくれないか」
「……はいっ!」
「なんだ、今のは」
冷や汗が、動悸が止まらない。頭が割れるように痛い。喉の奥が酷く渇くし、息も荒くなっている。
不快な夢から目を覚ました私は今、自室のベッドで身を起こしたところだった。
あの聖女と共に過ごした記憶などなければ、あのような言葉を吐いた記憶だって無い。
しかし今のはただの夢では無いという事だけは、理解出来てしまっていた。
魔人が私の中で語りかけてくる。
あれはこの時空に限りなく近い並行世界で、実際に起こった出来事。
そしてあの光景は、視点は違えどジュノ嬢が見たものとほぼ同じなのだという。
あの世界にもジュノ嬢は存在して、同じようにクオレスと婚約を結んでいた。
それなのにあの世界のクオレスは他の女に現を抜かしていた……それがあの光景なのだと。
ふざけるな!
何が愛だ。
そんなもの、ただの裏切り行為ではないか。
私が感情を殺してきたのは、彼女を裏切る為ではない。
彼女を愛そうとしなかったのは、他の女に愛を語る為ではない。
……認めてなるものか。
私があのような愚行を犯すなど。
あんな世界は偽りだ。
どうせ魔人が作り出した幻なのだろう……?
『お前がそう思うのは自由だ。並行世界の存在を否定したっていいだろう。……だが、お前の婚約者はなんらかの方法であの世界を認識してしまった。その事実から目を背けても良いのか?』
ジュノ嬢が、あの世界を――。
再度それを認識してしまった時、頭に走る痛みが更に酷いものとなる。
これは、この痛みは決して心理的原因によるものでは無い。私は感情など抱いてはならないのだから。これは、ただ、偶然、偶然今になって体調不良に陥ってしまっただけだ。
……あの世界のジュノ嬢はどうなったんだ。
再び抱いてしまった、「知りたい」という望み。魔人はその望みを叶える為再び私の意識を奪い、悪夢を見せてくる。
そして苦しむ様子の彼女の姿を、異形へと姿を変える姿を延々と見せつけられた。
どんなに手を伸ばそうとしても、その手が彼女に届く事は無いまま、彼女は私と聖女に討たれその命を落とす。
夢の中の――否、他の世界の私は彼女の変化に気づけなかった事に後悔はしても、聖女の言葉一つで立ち直る程度の感傷しか抱いていなかった。
この時のクオレスは、自分自身の恋心という名の愚かな感情をまだ自覚しておらず、そして聖女との関わりが周囲からどう見えていたのかにも気づかず……自分の婚約者が何故狂ってしまったのかさえ、理解出来ていなかった。
……こんなものを、彼女は見てしまったというのか?
浮気者、と私を責めた彼女の姿が脳裏に蘇る。
そう罵るのも仕方がない。紛うこと無き浮気者ではないか。決してあの程度の罵倒で済まされて良いものではない。
だが……私は、今ここにいる私は、あのような愚行、一切犯していない。
それとも。
この私にも、あれと同じようになる可能性があったというのか?
運命の歯車が少しでも違っていたら、状況が変化していたら、私の心境も変わっていたのか?
思えば、あの世界のジュノ嬢からは魔力が弱体化した様子は見受けられなかった。
もしもジュノ嬢があの世界の光景を見る事無く、私の前で取り乱したりせず気丈に振舞っていたら。魔力の弱体化も起こらず、何度も倒れたりせず私に弱っている姿を見せていなかったら。
私は彼女のことなど一切気に掛けなかったのだろうか。
そして救いの光である聖女にしか意識を向けず、滅びの道へ向かうジュノ嬢に気づきもしなかった……?
なんて愚かなんだ。
私は……自分が救われたかっただけなのか?
何も感じる事なく使命をこなしているつもりだっただけで、本当はずっと救いを求めていたというのか?
そんな望み、断ち切ってやる。
彼女を犠牲にする位なら、私は救いなど求めない。
聖女など必要無い。
使命から解放されるのは、次の代でいい。
次へ託す時が、いつになろうとも……その時まで私は魔人を抑え続けてみせる。
――ああそう。己の恋心は胸の内に秘めたまま生きていきますってこと? ふふ、健気ね……。
違う。
今の私は聖女にあのような想いを抱いていない。本当だ。これは誤魔化しなどではない。本当なんだ。
私が、愛しているのは……。
……。
……。
……愛しているものなど、無い。
私は何も愛さない。
私は、他の世界の私とは違うんだ。
あのような過ちを繰り返してなるものか。
「ジュノ……」
熱のこもった声で、婚約者の名を呼ぶ。
私は彼女を愛していない。
だが、彼女は私の婚約者だ。
私の、女だ。
愛の言葉など無くても、彼女は私から離れはしないだろう。
私が裏切りさえしなければ。
決して裏切る事など無いのだと、それだけでも彼女に伝わればいい。
滅びの道になど進ませないよう、君を繋ぎ止めてみせる。
決意を抱く私の裏側で、魔人が嗤った。




