格好悪い、という自覚
翌日、エレノアはセドリックに使いを出し、屋敷に来てもらった。応接間で向き合うと、彼はいつものように気安い調子で腰を下ろした。
「わざわざ呼び出すなんて、何かあったのか」
「リリアーヌ様から、直接お手紙をいただきました」
エレノアは手短に、日取りの件が片付く見込みであること、そしてそれがリリアーヌ自身の判断であることを伝えた。セドリックの表情が、みるみるうちに変わっていった。
「リリアーヌが、自分で……。父君の快気祝いを動かすなんて、大ごとじゃないか」
「ええ。ですから、あなたが両方に顔を出すという案は、必要なくなったと思います」
「そうか……。良かった」
安堵したような声だったが、その裏に、何か落ち着かない色が滲んでいた。エレノアは黙って様子を見守った。
「僕が、もっと早くに動くべきだったんだろうな」
ぽつりと呟かれた言葉だった。エレノアは驚いて顔を上げる。これまで、彼の口からそんな自省めいた言葉を聞いたことはなかった。
「……そう思われるなら、次からは、そうなさってください」
「うん。……分かってる」
セドリックはそう答えたが、その声には、はっきりとした決意というより、気まずさをやり過ごすための相槌のような響きがあった。エレノアは、それ以上追及することはしなかった。今この場で問い詰めたところで、何かが変わるとは思えなかった。
「正直、リリアーヌに先を越されたのは、少し格好悪いな」
セドリックは苦笑いを浮かべながら、そう漏らした。
「格好悪い、とは」
「いつも、周りが何とかしてくれるものだと、どこかで思っていた気がする。今回もそうだった。……エレノアにも、リリアーヌにも、世話をかけてばかりだ」
エレノアは、その言葉に頷きも否定もせず、代わりに別の話を切り出した。
「そういえば、式典の最後に、私たちから一言述べる段取りになっています。何を話すか、そろそろ決めておかないと」
「ああ、それか……。何か、決まった形式のようなものはないのか」
「形式はありますが、それだけでは味気ないでしょう。せっかくの披露の場ですから」
セドリックは、少し困ったように頭をかいた。
「エレノアの方で、案を考えてもらえないか。僕が考えるより、よほどいいものになると思う」
その言葉に、エレノアは小さく息を吐いた。二人で決めるべきことも、結局は自分の役目になる。今の一言に、悪意はない。ただ、いつもの流れを、無意識になぞっているだけだ。
「……分かりました。案を考えておきます。ただ、当日は、あなたの言葉で話してくださいね」
「もちろんだ。任せてくれ」
任せてくれ、という言葉を、エレノアはもう聞き慣れてしまっていた。
その自覚めいた言葉に、エレノアは意外な気持ちになった。だが同時に、自覚することと、実際に変わることの間には、まだ距離があるのだろうとも思った。言葉にできたことは、確かに一歩ではある。だがそれだけで、これまでの積み重ねが帳消しになるわけではない。
「リリアーヌ様には、お礼を伝えておいてくださいね」
「ああ、もちろん。今度、僕からも改めてお礼を言いに行くよ」
その言葉に、エレノアはふと引っかかりを覚えた。お礼を言いに行くのは、セドリック本人ではなく、いつも周りの誰かのはずだった。だが今回ばかりは、彼自身がそうすると口にしている。小さな変化ではあったが、これまでのやり取りを思えば、無視できない違いだった。
セドリックが帰ったあと、エレノアは自室で式典の最終確認に取りかかった。招待客の返信は九割方揃い、席次表もほぼ完成している。あとは当日の進行を、両家の家令と最終的にすり合わせるだけだった。
返信が届いていない数家には、改めて使いを出した。式次第の草案には、両家の当主の挨拶、婚約の披露、そして最後に若い二人からの一言という流れが組まれている。その一言をどう述べるか、まだセドリックとは相談していなかった。今度会うときに、話しておかなければと、エレノアは手帳の隅に書き留めた。
作業の合間、ガレスから短い手紙が届いた。式典の日取りの件が落ち着いたことを、エレノアが以前の手紙で軽く触れていたのを覚えていたらしい。
『日取りの件、無事に収まったとのこと、何よりです。エレノア嬢が動かれた結果というわけではないと伺いましたが、それでも早くに気づかれたのは、エレノア嬢の慧眼だったと思います』
短い一文だったが、誰の功績かをきちんと見分けようとする姿勢に、エレノアは静かな安心感を覚えた。何かが起きたとき、成果を誰のものとして扱うか。その扱い方一つに、その人の誠実さが表れる気がした。
手紙には続けて、契約先の商会との交渉が始まったことも書かれていた。輸送費の内訳を求めたところ、相手はすぐには答えられず、結局、価格を据え置くことで話がまとまったという。
『エレノア嬢の助言のおかげで、余計な譲歩をせずに済みました。改めて、感謝申し上げます』
エレノアは、その一文を読んで、小さく頬が緩むのを感じた。自分の言葉が、遠く離れた土地の商いの結果に、実際に形として表れている。式典の準備という、いつも誰かのために動く日々の中で、それは珍しく、自分自身のための手応えだった。
手紙の末尾には、社交シーズンの残りの日程も記されていた。ガレスの王都滞在は、あと三週間ほど続く予定だという。式典が終わったあとも、しばらくは顔を合わせる機会がありそうだと知り、エレノアは自分でも意外なほど、その事実にほっとしている自分に気づいた。
式典まで、残すところ十日ほどになった。準備は順調に進み、これまでの騒動が嘘のように、穏やかな日々が続いていた。父も、式次第の最終確認に満足そうな様子で、式典当日の天候まで気にかけるほど、心に余裕を取り戻していた。
「これだけ滞りなく準備が進んだのは、お前のおかげだ」
夕食の席で、父がそう労ってくれた。エレノアは素直に礼を言いながらも、この穏やかさが、いつまで続くものかは分からないと、どこかで思っていた。これまでの数か月、平穏な時期の後には、決まって何かしらの波が立っていたからだ。
その予感は、思いのほか早く現実になった。
翌々日の朝、屋敷にモンド男爵家から急な使いが訪れた。取り次いだ執事の顔色が、いつになく強張っている。エレノアが応対に出ると、使いの者は息を切らしながら告げた。
「リリアーヌお嬢様より、火急のご連絡です。旦那様――男爵様が、今朝がた倒れられ、意識が戻らないとのことです」
エレノアは、その場で言葉を失った。快気祝いを開けるほど回復していたはずの人が、なぜ、と思う間もなく、使いの者は続けた。
「以前の病がぶり返したのではないかと、医師も申しております。リリアーヌお嬢様は、朝からずっと父君に付き添っておられて」
「セドリック様には、すでにお知らせが向かっているそうです」
エレノアは執事に礼を述べ、使いの者を丁重に見送った後、しばらくその場に立ち尽くしていた。父にも急ぎ報告すると、父も表情を曇らせた。
「快気祝いをするほど良くなっていたと聞いていたが……」
「私も、そう伺っておりました」
「モンド男爵家には、こちらからも見舞いの品を届けよう。式典のことは、いったん脇に置いて構わない」
父の判断はいつも通り穏当だったが、エレノアの胸には、それだけでは片付かない小さな不安が残っていた。
身支度を手伝いに来たマーサも、この知らせを聞いて表情を曇らせた。
「男爵様のご容体、心配ですね……。それに、リリアーヌ様も、さぞお辛いでしょう」
「ええ。式典どころではないでしょうね」
「お嬢様は、式典のことより先に、リリアーヌ様のことを案じておられるのですね」
マーサの一言に、エレノアは少し驚いた。言われてみれば、その通りだった。式典の進行への影響よりも先に、リリアーヌの心情を思いやる自分がいた。悪意のない人だと分かってから、いつの間にか、単純に彼女を嫌う気持ちが薄れていたのかもしれない。
式典まで、あと八日。その予定の上に、思いがけない影が差し込んできたのを感じた。
これまでのように、遠くから見守っているだけでは済まされない事態が、すぐそこまで迫っている気がした。そして、この知らせを受けたセドリックが、次にどう動くのか――それを、まだエレノアは知らなかった。
自室に戻り、手帳を開く。
『モンド男爵、容体急変。式典まであと八日』
一行だけ書いて、エレノアはペンを置いた。式典の一言の案も、まだ何も考えられていない。だが今は、それより先に確かめておきたいことがあった。セドリックが、この知らせをどう受け止め、どう動こうとしているのか。
窓の外では、夕暮れの光が、庭木の影を長く伸ばしていた。数日前まで、これほど平穏だった日々が、また一つの分かれ道に差しかかっていることを、エレノアは静かに感じ取っていた。




