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幼馴染ばかり優先する婚約者はいりません。私は辺境伯と静かに暮らします  作者: ローナ


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動いたのは、彼女だった

ガレスから三通目の手紙が届いたのは、返事を出してから四日後のことだった。今度は文面が少し長く、羊毛の取引先との契約更新について、率直な悩みが綴られていた。


『長年取引のある商会から、買い取り価格を引き下げたいという申し入れがありました。理由は説明されていますが、こちらの帳簿と照らし合わせると、いくつか腑に落ちない点があります。もしお時間があれば、王都にいらしている間に、直接お目にかかってご意見を伺えないでしょうか』


一存で答えられる内容ではなかったが、興味を惹かれたのは事実だった。エレノアは手紙を父に見せ、相談した。


「契約のことで意見を求められるとは、ずいぶん買われたものだな」


父は少し驚いた様子だったが、反対はしなかった。


「お前一人で伺うのは外聞が悪いだろうから、私も同席しよう。ちょうど、私も北方の商いの事情には興味がある」


その言葉に甘え、翌々日、父同伴でガレスの滞在先を訪ねることになった。


滞在先は、社交シーズンの間だけ貸し出される、こぢんまりとした邸宅だった。装飾は最低限で、応接間の机には、几帳面に整理された書類が積まれている。前回会ったときと変わらず、無駄のない空間だった。


「お忙しいところ、お呼び立てして申し訳ありません」


ガレスはそう言って、契約書と過去数年分の取引記録を差し出した。エレノアは父と並んでそれに目を通した。紙面には、年ごとの取引量と価格が几帳面に記されている。数字の並びだけでも、この数年、取引量が着実に増えていることが見て取れた。


「価格引き下げの理由は、輸送費の高騰、とありますね」


「ええ。ですが、他の商会に確認したところ、輸送路そのものは変わっていません。むしろ、街道の整備が進んで、以前より運びやすくなっているはずです」


「でしたら、こちらの商会だけが、別の事情で値を下げたいのかもしれません」


「私もそう疑っています。ただ、長年の付き合いがある相手なので、頭ごなしに疑うのも気が引けて」


「先代の頃からの付き合いだと伺いましたが」


「はい。父の代から、二十年近くのお付き合いです。だからこそ、こちらの取引量が増えているのに、価格を下げてほしいと言われることに、余計に納得がいかず」


父が横から口を挟んだ。


「二十年の付き合いなら、なおさら、はっきり尋ねても角は立たないのではないか。むしろ、聞かずに疑いだけを抱え続ける方が、後々こじれる」


ガレスは、その言葉に小さく頷いた。


その言葉に、エレノアは少し考えてから口を開いた。


「疑うことと、確かめることは、別だと思います。輸送費の内訳を、具体的に見せてほしいと頼んでみては。それで相手が渋るようなら、理由は輸送費以外にある、ということでしょう」


ガレスはしばらく黙って、その言葉を反芻するように頷いた。


「……仰る通りです。今まで、角が立つことを恐れて、突っ込んだ質問を避けてきました」


「角が立つことを恐れて、必要な確認を怠るのは、後々もっと大きな損になることもあります」


言ってから、エレノアは自分の口調が、いつもより少しはっきりしていることに気づいた。式典の準備で、招待客同士の力関係や事情に頭を悩ませてきた経験が、思わぬところで役に立っていた。


父は横で、二人のやり取りを興味深そうに眺めていた。


「エレノアが、こんな風に商いの話をするのは、初めて見たな」


「父上に教わったことの、受け売りです」


「いや、受け売りにしては、要点の掴み方が的確だ」


父の言葉に、エレノアは少し照れくささを覚えたが、悪い気はしなかった。


契約の話がまとまると、ガレスは席次表を思わせる小さな帳面を取り出し、今度は式典の座席案についてエレノアに尋ねた。


「先日伺った式典の準備は、順調に進んでいますか」


「ええ、おかげさまで。もっとも、日取りの件で少し手間取っておりましたが」


「日取り、ですか」


「両家の行事が重なってしまいまして。……幸い、収まりそうな見込みが立ってきました」


詳しい事情までは話さなかったが、ガレスはそれ以上、踏み込んでは尋ねなかった。ただ、静かに一言だけ付け加えた。


「大事な行事の日取りというのは、後から動かすのが難しいものです。早めに気づかれて、良かったですね」


その言葉に、エレノアは小さく頷いた。早めに気づいたのは自分だという実感はあったが、それを誇るような気持ちにはならなかった。ただ、気づいたことを見過ごさずに動いたのは、間違っていなかったのだと、静かに肯定されたような気がした。


話が一段落すると、ガレスは茶を勧めながら、ふと表情を緩めた。


「エレノア嬢のような助言をくれる相手が、領地にもいれば良いのですが」


「あちらでは、そういった相談は、どなたに?」


「基本的には、一人で抱えることが多いです。両親を早くに亡くしてから、領地の運営は、ほとんど独学で覚えてきましたので」


さらりと語られた事情に、エレノアは少し驚いた。ガレスの落ち着いた物腰の裏に、若くして一人で立たなければならなかった時間があったのだと知り、これまでとは違う角度から、彼という人物を見つめ直した。


「それは……大変でしたね」


「もう慣れました。ただ、こうして誰かに意見を聞いてもらえると、判断が独りよがりになっていないか、確かめられて助かります」


その言葉に、押しつけがましさはなかった。頼っているというより、対等な相手として意見を求めている、という態度だった。エレノアは、自分がこれまで婚約者との間で感じてきた「頼られる」感覚と、今この場で感じている感覚が、まるで違う種類のものだと気づいた。


帰りの馬車の中で、父がふと口を開いた。


「あの方は、悪くない相手だ」


「……相手、とは」


「いや、深い意味はない。ただ、遠縁とはいえ、ああして誠実に人と向き合う姿勢は、なかなか得難いものだと思っただけだ」


エレノアは何と返せばいいか分からず、窓の外に目をやった。父の言葉に他意はないと分かっていても、その一言は、思いのほか長く耳に残った。


屋敷に戻ってから、エレノアはいつものように手帳を開いた。


『ヴォルグレイブ卿、契約の件で相談。父上も同席』


そこまで書いて、ペンを止める。今日感じたことを、どう言葉にすればいいのか分からなかった。頼りにされること自体は、これまでも何度もあった。だが今日のそれは、誰かの代わりに背負わされる重さではなく、必要とされて応える手応えのようなものだった。


同じ「頼られる」という言葉でも、中身がこれほど違うのかと、エレノアは我ながら不思議に思った。


その晩遅く、屋敷にリリアーヌから直接、手紙が届けられた。差出人の名を見て、エレノアは少し身構えた。


封を切ると、丁寧な字で、思いがけない内容が綴られていた。


『セドリック様から、式典の日取りのことを伺いました。父の快気祝いのことで、エレノア様にご迷惑をおかけしていると知り、居ても立ってもいられず筆を取りました。日取りは、私の方で調整いたします。式典は、お二人にとって大切な日ですから、私たちの都合で重ねてしまうわけにはまいりません』


エレノアは、その一文を二度読み返した。セドリックが提案したような、両方に顔を出すという折衷案には、一言も触れられていない。ただ、自分の家の予定を動かすという、単純で誠実な申し出だけがそこにあった。


悪意のない人だということは、これまでも分かっていた。だが、この状況で自ら動こうとする発想は、セドリックにも、これまでのエレノア自身にもなかったものだった。


手紙の最後には、こう付け加えられていた。


『セドリック様には、まだこのことをお伝えしていません。彼は彼なりに、両方に顔を出すという案で、私たちに気を遣ってくれていたので。ただ、私自身がそれで納得できなかったので、先に動くことにしました。もし差し支えなければ、エレノア様のお口から、彼にお伝えいただけたら嬉しいです』


その一文に、エレノアは小さく息を吐いた。リリアーヌは、セドリックの提案を否定するのではなく、彼の気遣いには気遣いとして触れながら、それでも自分の判断で動いていた。年下だと思っていた相手に、思わぬ大人びた対応をされた気分だった。


手紙を手帳の間に挟みながら、エレノアはふと、複雑な気持ちに包まれた。ほっとする気持ちと、それ以上に大きな戸惑い。問題を最終的に解決したのは、当事者であるはずのセドリックではなく、その幼馴染だった。


窓の外はすっかり暗くなっていた。式典の日取りをめぐる懸念は、これで一つ片付くのかもしれない。だがエレノアの中には、片付いたはずのその出来事が、かえって新しい違和感を残していくのを感じていた。


問題が起きるたびに、それを収めるのは、当事者であるセドリックではなく、周りの誰かだった。あるときは自分が、あるときはリリアーヌが。当のセドリックは、その間、いつも一歩引いた場所で、事の成り行きを見守っているだけだった。


その構図に、これまで疑問を抱いたことはなかった。だが今夜、初めてそれを、はっきりとした形として意識してしまった。

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