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幼馴染ばかり優先する婚約者はいりません。私は辺境伯と静かに暮らします  作者: ローナ


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10/50

まだ、真剣に考えていない

男爵の容体は、その日のうちに一応の小康を得たと知らせが入った。意識は戻ったものの、医師からは予断を許さないと告げられているという。


セドリックからは、その日のうちに短い手紙が届いた。


『モンド男爵家に見舞いに行ってきた。リリアーヌはひどく憔悴している様子だった。しばらくは、僕もあちらに顔を出す機会が増えると思う』


短い文面だったが、式典への言及は一言もなかった。エレノアはその手紙を、しばらく机の上に置いたまま眺めていた。見舞いに行くこと自体は、当然のことだと思う。困っている人のそばにいたいと思う気持ちを、責めるつもりはなかった。


だが、あと一週間に迫った式典について、彼が何も触れていないことが、かえって気にかかった。両方とも大切なことのはずなのに、彼の頭の中では、どちらか一方しか見えていないのではないか――そんな疑念が、拭いきれずに残った。


翌日、エレノアは式典の最終確認のため、セドリックに面会を求めた。式次第の細部、招待客への最終連絡、そして何より、二人で述べる一言の内容――当日までに詰めておくべきことは、まだいくつも残っていた。だが屋敷を訪ねると、彼は留守だった。応対に出た使用人によれば、朝からモンド男爵家に出向いているという。


「いつお戻りになるか、分かりますか」


「はっきりとは……。旦那様も、最近は帰りが遅いことが多く」


使用人は言いにくそうに、少し声を落として付け加えた。


「差し出がましいようですが……旦那様は、式典の準備のことも、少し後回しになさっているようで」


その一言に、悪気はなかった。だが、身近に仕える者の口からそう聞かされると、エレノアの胸には、また新たな重みが加わった。


エレノアは礼を言って屋敷を後にした。式典まで、あと六日。当日の一言の草案は、すでにエレノアの手元でほぼ形になっている。だが、それをセドリックと最終的にすり合わせる時間が、刻一刻と削られていくのを感じた。


その晩、ようやくセドリックから返事が届いた。


『すまない、なかなか時間が取れなくて。式典の一言は、エレノアの案で問題ない。当日、頭に入れておく』


問題ない、という言葉には、内容を確かめた形跡がなかった。エレノアは、その返事を読んで、小さくため息をついた。式典まで、あと五日。


翌日、エレノアは思い立って、モンド男爵邸を見舞うことにした。父にその旨を伝えると、意外そうな顔をされたが、反対はされなかった。


「お前が行くのか」


「見舞いの品も、まだお届けしていませんでしたし。それに……リリアーヌ様の様子も、気にかかります」


「セドリック君の様子を、直接確かめたいという気持ちも、あるのだろう」


父の指摘は、思いのほか的確だった。エレノアは少し目を伏せてから、素直に頷いた。


「……それも、あります」


「行ってくるといい。何か困ったことがあれば、遠慮なく私に知らせなさい」


父の後押しを受け、エレノアはその日のうちに支度を整えた。


モンド男爵邸に着くと、屋敷全体に、どこか張り詰めた空気が漂っていた。使用人たちの足取りは慌ただしく、窓には昼間だというのに重い布が引かれた部屋もあった。取り次ぎに出たリリアーヌは、目の下に隈を作り、いつもの華やかさが影を潜めていた。


「エレノア様……わざわざ、ありがとうございます」


「お加減は、いかがですか」


「昨日よりは、落ち着いています。……でも、まだ油断はできないと」


リリアーヌは力なく微笑んだ。その顔を見て、エレノアは持ってきた見舞いの品を差し出しながら、静かに言葉をかけた。


「無理をなさらないでください。式典のことは、気にかけなくて大丈夫ですから」


「本当に、申し訳なく思っています。セドリック様も、毎日のように来てくださって……エレノア様に、こんな時に、お手を煩わせてしまって」


その言葉に、エレノアはふと引っかかりを覚えた。セドリックが毎日ここに来ていることを、リリアーヌは当然のように口にしている。だが、式典の準備がどれほど進んでいるか、彼女は何も知らないようだった。おそらく、セドリック自身が、そちらの話をしていないのだろう。


「セドリック様は、式典のことは、何か仰っていましたか」


「いえ……最近は、こちらのことばかりで。式典のお話は、あまり」


リリアーヌは少し考えるように視線を落とした。


「そういえば、昨日、父の看病の合間に、少し疲れた様子で仰っていました。『色々重なって、頭が回らない』って。式典のことも、その中に入っているのかもしれません」


「重なって、というのは」


「詳しくは聞いていませんが……エレノア様には、いつも助けられてばかりで申し訳ない、というようなことも、ぽつりと」


リリアーヌの返答に、エレノアは静かに頷いた。悪気のない返事だった。だが、その一言が、今のセドリックの頭の中を、そのまま映し出しているようにも思えた。助けられてばかりだと自覚しながら、それでも自分から動く力までは、まだ湧いてきていない。


しばらく世間話を交わしたあと、リリアーヌは疲れた声で、ぽつりと呟いた。


「父が倒れてから、ずっと考えているんです。当たり前だと思っていたことが、本当は当たり前じゃなかったんだなって」


「……どういうことですか」


「毎年、季節の変わり目に父が体調を崩すたびに、私、いつも誰かが助けてくれると思っていました。セドリック様のご家族も、うちのことをずっと気にかけてくださって。でも今回、初めて、自分が誰かに支えられて生きてきただけなんだと、はっきり分かった気がして」


その言葉に、エレノアは何も言えなかった。誰かに支えられてきた自覚と、誰かを支え続けてきた自覚は、似ているようで、まるで違う場所から生まれるものだった。


帰り際、玄関先までエレノアを見送りながら、リリアーヌはふと足を止めた。


「エレノア様は……大変な思いをなさっているのに、こうして私を気遣ってくださって。私、エレノア様のような方が、セドリック様の婚約者で良かったと、心から思っています」


その言葉に、悪意のかけらもなかった。だがエレノアは、その一言に、以前とは違う重みを感じた。良かった、と言われるたびに、自分がその「良さ」に応え続けなければならないような気持ちになる。それは、褒め言葉であると同時に、静かな役割の押し付けでもあった。


「……お父様が、早く元気になられますように」


エレノアはそれだけ答えて、屋敷を後にした。


見舞いを終えて屋敷に戻る道すがら、エレノアは馬車の中で、この数日の出来事を振り返っていた。男爵の容体を案じる気持ちに、嘘はない。だが同時に、式典まであと数日という現実も、消えてなくなるわけではなかった。


その両方を、セドリックはどう両立させるつもりなのか。あるいは、両立させることそのものを、まだ真剣に考えていないのではないか。


屋敷に戻ると、ちょうどガレスから短い伝言が届いていた。式典の日取りが近いことを気にかけての、簡単な見舞いの言葉だった。


『式典が近いと伺っております。何かとお忙しいことと存じますが、体調を崩されませぬよう。当日は、私も末席から拝見させていただければと思っております』


末席から拝見、という控えめな言い回しに、エレノアは小さく笑みをこぼした。招待客の一人として、当日会場に来てくれるということだ。今の状況では、それがどれほど心強い知らせか、彼はまだ知らないだろう。


だが、その手紙のおかげで、エレノアは少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。すべてが一人の肩にのしかかっているわけではない、と誰かに示されたような気がした。


自室に戻り、手帳を開く。


『男爵、小康状態。セドリック様、連日モンド邸へ。式典の話はしていない様子。ヴォルグレイブ卿、当日出席の意向』


書き終えて、エレノアはしばらくペンを持ったまま、窓の外を見つめていた。式典まで、あと五日。招待客も、両家の名誉も、これまで積み重ねてきた準備も、すべてが動かしようのないところまで来ている。


その晩、父からも一言あった。


「式典は、予定通り行う。侯爵ともそう決めた。……セドリック君には、当日は必ず出席するよう、私からも念を押しておく」


「お願いします」


「お前は、当日は落ち着いて臨めそうか」


父の問いに、エレノアは少し考えてから答えた。


「準備はできています。あとは、当日を迎えるだけです」


「そうか。……無理はするな。何かあれば、私に言いなさい」


父の言葉には、これまでにない気遣いがあった。式典の重さを、父自身も改めて感じ取っているのかもしれない。エレノアは小さく頷いて、自室へと戻った。


そう答えながら、エレノアは、父の念押しがなければ確約が得られない状況そのものに、静かな重さを感じていた。準備は整った。招待客も、席次も、進行の手順も、これ以上ないというところまで詰めてきた。だが、その中心にいるはずの人物の心が、いまだにどこか別の場所を向いているような気がしてならなかった。


式典まで、あと五日。窓の外では、冬の気配を帯びた風が、庭木の枝を揺らしていた。

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