一年という時間
冬が過ぎ、再び雪解けの季節が巡ってきた。エレノアが初めてこの地を踏んでから、ちょうど一年が経とうとしていた。屋敷の周りの木々にも、あの日と同じように、若葉が芽吹き始めている。
「もうすぐ、あなたと出会って、一年になりますね」
朝食の席で、ガレスがしみじみと言った。
「本当に。……あっという間のようで、とても濃密な一年でした」
エレノアの言葉に、ガレスも、深く頷いた。
「初めてお会いした夜、まさか一年後、こうして夫婦として、同じ食卓を囲んでいるとは、思ってもみませんでした」
「私も、同じです。あの頃は、ただ、式典の準備に追われるだけの毎日でした」
その言葉に、二人は、静かに笑い合った。
その日の午後、二人は、恒例となった、ガレスの両親の墓参りへと向かった。丘の上には、去年と同じように、雪解けの季節にしか咲かない、小さな白い花が、一面に広がっていた。
「父上、母上。この一年、色々なことがありました」
ガレスが、墓前で、静かに語りかけた。
「エレノアと結婚し、この土地も、以前よりずっと、活気に満ちています。……見守っていてくださって、ありがとうございます」
エレノアも、静かに手を合わせた。会ったことのない二人だが、今では、まるで、自分自身の家族のように、身近な存在として感じられていた。
「毎年、こうしてお参りするたびに、お二人が、どんな方だったのか、少しずつ、分かってくる気がします」
エレノアがそう言うと、ガレスは、優しく微笑んだ。
「父も母も、あなたのような方が、この土地に来てくれたことを、きっと喜んでいるはずです」
丘の上には、去年と変わらず、穏やかな風が吹き抜けていた。エレノアは、この場所が、悲しみの記憶だけでなく、これから先も、二人にとって、大切な思い出を積み重ねていく場所になるのだと、静かに感じていた。
「そういえば」
墓参りを終え、丘を下りながら、ガレスが、思い出したように言った。
「先日、ハミルトン公爵から、手紙が届きました」
「まあ。……どのような内容でしたか」
「ソフィア嬢が、以前想いを寄せていた方と、正式にご結婚されたそうです。公爵も、娘の幸せそうな様子を、大変喜んでいると」
その知らせに、エレノアは、静かに安堵した。
「本当に、良かった。ソフィア様が、ご自身の意志で、幸せを掴まれたのですね」
「公爵も、手紙の中で、あなたへの感謝を綴っていました。『あなたのおかげで、娘は、望まぬ結婚から救われた』と」
その言葉に、エレノアは、これまでの出来事が、思いがけない形で、誰かの幸せにも繋がっていたことを、改めて実感した。
「お相手は、どのような方なのでしょう」
「下級貴族の青年だそうですが、公爵は、身分よりも、娘の幸せを、何より優先することにしたと書いていました。……あの一件が、公爵自身の考え方にも、少なからず影響を与えたのかもしれません」
その話を聞きながら、エレノアは、あの日、公爵の前で堂々と資料を説明した自分自身を、懐かしく思い返した。あの一つの選択が、こうして遠く離れた場所の誰かの人生にも、確かな変化をもたらしていた。
屋敷に戻ると、トビアスが、この一年の帳簿を、丁寧にまとめた冊子を手に、二人を出迎えた。
「一年分の記録を、まとめてみました。収穫量も、取引実績も、着実に伸びています」
その報告に、エレノアは、感慨深く冊子を受け取った。
「トビアス、本当に、よく頑張ってくれたわね」
「エレノアさんに教わったことを、実践してきただけです。……でも、少しは、成長できたでしょうか」
「ええ、間違いなく」
その言葉に、トビアスは、誇らしげに胸を張った。
「実は、もう一つ、ご報告があります。村長から、来年の若手会計係として、正式に僕を推薦したいと、お話をいただきました」
その知らせに、エレノアもガレスも、驚きと共に、大きな喜びを表した。
「トビアス、それは、素晴らしいことね」
「エレノアさんが、一から丁寧に教えてくださったおかげです。……いつか、僕も、誰かに、同じように教えられる人間になりたいです」
その言葉に、エレノアは、自分が始めたことが、こうして確かな形で、次の世代へと受け継がれていくことに、深い喜びを感じていた。
夕方、レジーナが、一年前の到着の日のことを、懐かしそうに振り返った。
「あなたが初めてこの屋敷に来た日、正直、どのような方かと、少し身構えていたものです。でも、すぐに、素晴らしい方だと分かりました」
「レジーナ様には、本当に、色々なことを教えていただきました」
「いいえ。あなたが、この一年で、この土地に与えてくれたものの方が、ずっと大きいですよ」
レジーナは、そう言うと、遠くを見るような目をした。
「ガレスは、両親を亡くしてから、ずっと、一人で背負い込む生き方しか知りませんでした。あなたが来てくれたことで、あの子は、誰かに頼ることを、初めて覚えたのだと思います」
「私も、この土地で、皆さんに頼ることを、たくさん教えていただきました。一人で抱え込む生き方を、変えられたのは、私も同じです」
その答えに、レジーナは、優しく微笑んだ。
「お互いに、支え合える関係というのは、何より尊いものです。これからも、末永く、その関係を大切にしてくださいね」
その言葉に、エレノアは、静かに頭を下げた。
夜、自室に戻り、エレノアは手帳を開いた。
『この地に来て、一年。ソフィア様が幸せな結婚をされたと知った。トビアスの成長、レジーナ様の温かい言葉。この一年で得たものの大きさを、改めて実感する』
書き終えて、エレノアは、これまでの手帳を、最初から、ゆっくりとめくり返してみた。誕生日の翌日に書き始めたこの手帳には、婚約解消、そして、この土地での様々な出会いと成長が、順に刻まれている。この一年余りの時間の中に、これほど多くの変化が詰まっていたことに、改めて驚かされた。
一番最初のページには、遠慮がちな小さな文字で、こう記されていた。『ヴォルグレイブ卿、来月来訪。伯母上のこと』。その下には、『寄付品の件、相談なし』という一行が並んでいる。あの頃の自分は、誰かに読まれることを恐れるように、文字を隅に寄せて、小さく書いていたのだった。その文字を見返しながら、エレノアは、あの頃の孤独と、そこから始まった、長い道のりを、静かに思い返した。
あの孤独があったからこそ、今、こうして誰かと共に生きる幸せの意味を、深く理解できるようになったのかもしれない。誰かに与えられるのを待つのではなく、自分の意志で選び取った人生。その先に、これほど多くの温かい繋がりが待っていたことを、あの頃の自分に、教えてあげられたらと、エレノアはふと思った。
窓の外には、一年前と同じように、雪解けの進んだ大地が、静かに広がっていた。だが、そこに立つエレノア自身は、あの頃とは、まるで違う人間になっていた。




