重なる予定
茶会は、フォスター家の温室で開かれた。硝子越しの陽光が差し込み、白いテーブルクロスの上には焼き菓子と紅茶が並んでいる。庭師が手入れしたばかりの蔓薔薇が、壁際で控えめに香っていた。
セドリックとリリアーヌは、いつものように軽口を交わしながら席についた。二人の間にある間合いには、迷いも遠慮もない。長年かけて出来上がった距離感なのだろうと、エレノアは思う。自分がその輪に加わってからまだ日が浅いことを、こういう瞬間にふと思い知らされる。
エレノアはその向かいに座り、注がれた紅茶に口をつけた。湯気の向こうで、二人が幼い頃の失敗談を笑い合っている。悪気のない笑い声だったが、話の中身が分からないエレノアは、ただ相槌のような笑みを浮かべているしかなかった。
「エレノア、これ、リリアーヌが焼いてきてくれたんだ。前に君も好きだと言っていた木の実の焼き菓子だよ」
差し出された皿を見て、エレノアは小さく戸惑った。
「……好きなのは、木の実ではなく、蜂蜜のほうだったのだけれど」
「あら、そうでしたか。ごめんなさい、私、てっきり」
リリアーヌはすぐに謝ったが、悪いのは彼女ではないような気がした。セドリックが、二人の好みをどこかで取り違えている。エレノアは曖昧に微笑み、木の実の菓子を一つ口に運んだ。悪くはない味だったが、好きな味でもなかった。
「そういえば、来月の招待客のことなんだけど」
セドリックが、話を切り出した。
「ラングフォード家とフォスター家の顔合わせの式典が、正式に日取りを取ることになりそうだ。父上たちが婚約披露の場にしたいと言い出して」
「婚約披露の……式典?」
「まだ内々の話だけど、両家にとっては大事な行事になる。エレノアにも、追って正式な招待状が届くはずだ」
自分たちの婚約を、正式に社交界へ示す場。これまで幾度となく先延ばしにされてきた話だった。エレノアは静かに頷いたが、胸の内では素直に喜べない自分がいた。喜ぶべき知らせのはずなのに、心のどこかが、まだ半分だけ醒めている。
「素敵ですね! おめでとうございます、お二人とも」
リリアーヌが両手を合わせて笑った。屈託のない祝福だった。だがすぐに、少し困ったような顔をする。
「あ、でも……その日って、確か」
「どうかしたの?」
「父の快気祝いに、近しい方だけをお招きして小さな集まりを開こうと思っていたんです。ちょうど、同じ頃の日取りで話が進んでいて」
エレノアの手が、カップの取っ手の上で止まった。
「日にちは、いつ頃を?」
「はっきりとはまだですけど……セドリック様たちの式典と、近いんじゃないかしら。両方いらしていただけたらと思っていたんですけど」
セドリックは特に気に留めた様子もなく、焼き菓子に手を伸ばしていた。
「両方とも、日にちが決まってから調整すればいいさ。まだ先の話だろう」
その軽さに、エレノアはかすかな不安を覚えた。式典の日取りは、両家の当主同士がすでに動かし始めている話だ。簡単に調整できるものではないだろう。だがセドリックにとっては、まだ現実味のない先の予定に過ぎないらしかった。
「私も、詳しい日取りが決まったらお知らせしますね。せっかくだから、みんなで集まれたら嬉しいです」
リリアーヌの言葉に、悪意はどこにもなかった。ただ、二つの予定が重なるかもしれないという可能性を、さほど重く受け止めていないだけだ。
しばらくして、リリアーヌは所用を思い出したと言って先に席を立った。見送りに出たセドリックが戻ってくると、彼はエレノアの隣に座り直し、少し声を柔らかくした。
「式典のことだけど、招待客のリストや当日の進行を、エレノアに任せてもいいかな。君は、そういうことが得意だろう」
「……私が、全部決めるの?」
「もちろん、要所は父上たちも口を出すだろうけど。細かい調整は、君に頼んだ方が安心できる。僕がやると、抜けが出そうだから」
安心、という言葉を、セドリックは何の気なしに使った。だがエレノアの中では、その言葉が積み重なって、少しずつ重みを持ち始めていた。頼られていることと、押しつけられていることの境目が、以前より曖昧に見える。
「分かったわ。引き受けます」
そう答えながら、エレノアは自分の声が思ったより平静であることに、かえって落ち着かない気持ちになった。
茶会が終わり、二人を見送ったあと、エレノアは温室に一人残った。硝子越しの光が、テーブルの上の食べ残しの焼き菓子を照らしている。
木の実の菓子と、蜂蜜の菓子。取り違えられた好み。重なるかもしれない、二つの大切な日。式典の準備を任された自分。どれも、今はまだ小さな行き違いに過ぎない。だが、それがこのまま何事もなく過ぎていくとは、エレノアにはどうしても思えなかった。
自室に戻り、手帳を開く。今日のやり取りを書き留めながら、エレノアはふと、これまでとは違う書き方をしていることに気づいた。
これまでは、起きたことをただ記録するだけだった。だが今日は、初めて先のことを書いた。
『式典とリリアーヌ様の集まりが重なるかもしれない。日取りが決まったら、必ず自分で確認すること』
自分から確認する、と決めたのは初めてだった。小さなことではあったが、これまでの自分なら、誰かが調整してくれるものと、ただ待っていただろう。今日の茶会で感じた、あの取り違えられた好みの記憶が、なぜかその決意を後押ししていた。
夕食の席で、父に式典のことを伝えると、父は箸を置いてしばらく黙った。
「婚約披露の式典、か。……ラングフォード侯爵とは、以前からその話をしていた。ようやく形になるわけだ」
「思ったより、大事になりそうです」
「当然だ。あの式典は、両家の今後を占う場になる。招待客の質も数も、後々まで語られるだろう」
父の口調はいつになく真剣だった。
「お前が式典の準備を任されたと聞いたが……荷が重くはないか」
「大丈夫です。むしろ、自分の目で確かめられることが多いのは、悪くないと思っています」
「そうか」
父はそれ以上何も言わなかったが、少し安堵したような表情を見せた。エレノアはふと、父が自分の中の何かを心配していたことに気づいた。何を、とまでは聞けなかったが。
食後、自室に戻る前に、エレノアは廊下でしばらく立ち止まった。式典は、二人にとって初めて社交界に婚約を示す、後戻りのできない場になる。誰か一人が欠けるだけで、両家の評判にも関わるだろう。
その重みを、セドリックはまだ、どこか他人事のように受け止めている気がした。式典まで残された時間は、それほど多くない。エレノアは自室に戻ったら、招待客の草案から手をつけようと決めた。
窓の外で、庭師が温室の戸を閉める音がした。日はまだ高かったが、季節はもう秋の深いところに入りかけていた。




