幼馴染の言い分
秋の午後の光が差し込む応接間で、リリアーヌは以前と変わらぬ人懐こい笑みを浮かべていた。淡い黄色のドレスに、少し着崩した髪飾り。急に訪ねてきたにしては、ずいぶん寛いだ様子だった。
「急に押しかけてごめんなさい、エレノア様。どうしても、直接お礼を申し上げたくて」
「お礼、ですか」
「バザーの寄付品のことです。セドリック様から伺いました。急な変更を許してくださって、本当にありがとうございます」
リリアーヌは向かいの椅子に腰を下ろすと、少し身を乗り出した。
「それに、父の件でもセドリック様には随分助けていただいて。エレノア様が快く送り出してくださったから、彼も心置きなく来てくれたと聞きました」
「快く、というほどでは……。お父様の具合はいかがですの」
「おかげさまで、すっかり。ただの風邪が長引いただけだったんですけど、あの人ったら大げさに心配してくれて」
リリアーヌはくすりと笑った。侍女が茶を運んでくると、少し声を落として続ける。
「私とセドリック様、物心つく前から一緒でしたの。父同士が友人で、家も隣同士だったから。……あの方、幼い頃にお母様を亡くされているでしょう。うちの母が、しばらくの間、実の子のように面倒を見ていたんです」
エレノアは初めて聞く話に、茶器を持つ手を止めた。セドリックの母のことは知っていたが、そこまで詳しい経緯は聞いたことがなかった。
「毎年、お母様の命日には、うちの家族で墓参りに付き合っていました。セドリック様、あの日だけは今でも塞ぎ込んでしまうから」
「……存じませんでした」
「セドリック様、あまり自分から話さない方だから。私にとっては、弟のようなものなんです」
家族のようなもの。何度も聞いた言葉だった。だが今初めて、その言葉の裏にある事情を知り、エレノアの中で単純な苛立ちが、もう少し複雑なものに変わっていく。
セドリックの甘さには理由があった。理由があるなら、責めるのは違う気がした。
――だが、理由があることと、自分がずっと後回しにされてきたことは、別の話ではないのか。
そのわずかな引っかかりを、エレノアはうまく言葉にできなかった。
「エレノア様は、領地のことにもお詳しいと伺いました」
不意にリリアーヌが話を変えた。
「詳しいというほどでは。父から少し教わっている程度です」
「羨ましいわ。私、そういうことはさっぱりで。エレノア様は本当にしっかりしていらっしゃるから、セドリック様も安心なんだと思います」
安心。またその言葉だ。エレノアがしっかりしているから、セドリックは安心して他のことに時間を使える。そう聞こえてしまうのは、考えすぎだろうか。
「エレノア様、あの……もしよろしければ、来週、三人でお茶会でもいかがでしょう。父もすっかり元気になりましたし、改めてお礼を」
「三人で」
「はい。セドリック様と、私と、エレノア様と。……あら、変でしょうか」
リリアーヌは本当に不思議そうな顔をしていた。婚約者と、その幼馴染と、自分。三人で茶会を開くことの何がおかしいのか、彼女には分からないらしい。
「いいえ、変ではないわ。日取りが決まったら教えてくださる?」
「もちろんです! ああ、よかった。エレノア様に嫌な顔をされたらどうしようかと思っていたの」
リリアーヌは心底ほっとした様子で笑った。その笑顔に嘘がないことが、エレノアにはよく分かった。
だからこそ、なおさら厄介だった。
リリアーヌが帰るとき、玄関先まで見送りに出たエレノアに、彼女はふと思い出したように言った。
「そういえば、セドリック様から聞きました。北の辺境伯様が王都にいらっしゃるとか」
「……よくご存じですね」
「セドリック様、ちょっと気にしていましたよ。エレノア様の遠縁の方だから、変な虫がつかないといいけど、なんて」
冗談めかした調子だったが、エレノアはその一言に、かすかな違和感を覚えた。会ったこともない相手を、なぜセドリックが気にするのだろう。まるで、エレノアの周りに新しい人間が増えることそのものが、彼にとって落ち着かないことのように聞こえた。
「辺境伯様は、どのような方なのでしょうね」
「さあ。私も詳しくは。でも、北の方って皆さん寡黙で怖いって聞きますけど……エレノア様なら、うまくやっていけそうですわ」
根拠のない言葉だったが、リリアーヌの口調には悪意も他意もなかった。ただ思ったことを、そのまま口にしているだけだ。
馬車が走り去るのを見送ったあと、エレノアは一人、玄関ホールにしばらく立ち尽くしていた。誰かを責める話ではない。責める相手が見当たらない話だった。
自室に戻り、手帳を開く。二行の記録の下に、しばらく迷ってから三行目を書き足した。
『家族のようなもの、と言われた。理由も知った。三人でお茶会』
そこまで書いて、ペン先が止まる。
これまでは、起きたことをただ書き留めるだけだった。だが今日は、その下にもう一言だけ書き添えたい気持ちが湧いていた。
迷った末、エレノアは短く書いた。
『理由があるのは分かった。でも、私は何なのだろう』
書いてから、その一文を見つめる。自分の手で書いたはずなのに、まるで誰か別の人間の言葉のようだった。
窓の外はまだ明るかったが、日の落ちる時刻が、少しずつ早くなっているのに気づいた。
夕食の席で、父がふと尋ねた。
「リリアーヌ嬢が来ていたそうだな。何の用だった」
「バザーの品のお礼だそうです。それと、来週セドリック様たちと三人でお茶会をと」
父はスープを口に運ぶ手を止めた。
「三人で、か」
「何か問題でも?」
「いや……。お前がいいなら、構わない」
そう言いながらも、父の表情には何か言いたそうな色が残っていた。エレノアが尋ねようとすると、父は話をそらすように別の話題を持ち出した。
「それより、ヴォルグレイブ卿の訪問だが、日取りが決まった。再来週の半ばだ」
「思ったより早いのですね」
「向こうも社交シーズンに合わせて動いているのだろう。……エレノア、当日はお前も同席しなさい」
「私が、ですか」
「母方の縁を継ぐのはお前だ。顔を合わせておいて損はない」
父の言葉に深い意味はないようだったが、エレノアはなぜか、その一言が胸のどこかに小さく残るのを感じた。
食後、自室に戻る前に、エレノアは廊下の窓から中庭を見下ろした。日が落ちかけた庭には、まだ夏の名残の花が咲いている。来週には三人でのお茶会があり、再来週には見知らぬ遠縁の辺境伯が訪ねてくる。
これまでの日々は、いつも同じ形を繰り返してきた。セドリックが遅れ、エレノアが待ち、それを「仕方ない」と飲み込む。だがここへきて、知らない名前と知らない事情が、その繰り返しの外側から少しずつ入り込んでくる気配があった。
自室に戻り、手帳をもう一度開く。今日書いた一文の下に、エレノアは日付だけを書き加えた。再来週の日付だった。
理由はまだ、自分でもよく分からなかった。ただ、これまでのように、何も書かずに一日を終わらせる気にはなれなかった。




