花壇でのプロポーズ
帰還から数日、屋敷には、いつもの穏やかな日常が戻っていた。だが、エレノアは、ガレスの様子に、どこか落ち着かないものを感じ取っていた。
「何か、考え事ですか」
夕食の席で、エレノアがそう尋ねると、ガレスは、少し慌てた様子で首を振った。
「いえ、その……。少し、考えていることがあって」
その反応に、レジーナが、意味深な笑みを浮かべた。
「あら、随分と、分かりやすいこと」
「レジーナ、余計なことを」
ガレスが、珍しく慌てた様子を見せた。エレノアは、その様子を微笑ましく見守りながらも、何かが近づいている予感を、静かに感じていた。
食後、トビアスが、こっそりとエレノアに耳打ちしてきた。
「旦那様、この数日、村の宝石職人のところに、何度も足を運んでいるんです。……僕からは、これ以上、何も言えませんが」
その一言に、エレノアの胸に、甘やかな予感が広がった。だが、それを表に出すことなく、いつも通りの様子を保つよう、努めた。
数日後の夕暮れ、ガレスが、エレノアを、屋敷の裏手にある庭園へと誘った。そこは、雪解けの季節に、最初に花を咲かせる、小さな花壇のある場所だった。
「少し、歩きませんか」
その誘いに、エレノアは頷いた。夕暮れの光が、花壇に咲き始めた、色とりどりの花々を、柔らかく照らしていた。
「この花壇は、私の母が、大切にしていた場所です。毎年、この時期になると、決まって色々な花を咲かせてくれます」
ガレスの言葉に、エレノアは、静かに耳を傾けた。花壇には、雪解け直後にしか咲かない、小さな白い花が、一面に広がっていた。
「両親を亡くしてから、この場所を、あまり訪れないようにしていました。思い出が、辛くて」
「そのお気持ち、よく分かります」
「ですが、あなたと出会ってから、少しずつ、考えが変わりました。辛い記憶も、大切な思い出の一部として、抱えていける。そう思えるようになったのは、あなたのおかげです」
「今日は、なぜ、ここへ」
「あなたと、大切な話をするのに、ふさわしい場所だと思ったからです」
その言葉に、エレノアの胸が、静かに高鳴った。ガレスは、花壇の前で立ち止まり、真剣な眼差しで、エレノアを見つめた。
「エレノア。この一年、あなたと共に過ごした日々は、私の人生において、何よりもかけがえのないものでした。仕事の相談から始まった関係が、これほど深い絆に育つとは、出会った当初は、想像もしていませんでした」
ガレスは、そこで一度、深く息を吸った。
「初めてお会いした日、あなたが式典の準備に追われながらも、丁寧に物事に向き合う姿に、心を惹かれました。その後、契約の交渉、隣村の一件、そして王家との対立。数え切れないほどの困難を、いつもあなたは、逃げることなく、正面から受け止めてきました」
「あなたも、同じです。誠実に、村の皆さんと向き合い続けてきました」
「そう言ってもらえると、嬉しいです。……王家からの圧力を、共に乗り越えたことで、確信しました。あなたとなら、どんな困難が訪れても、共に立ち向かっていける。……エレノア、私と、結婚してくれませんか」
その言葉と共に、ガレスは、懐から小さな箱を取り出した。中には、控えめだが、美しい細工の施された指輪が収められていた。
「これは、私の母が、身につけていた指輪です。母のように、この土地と、この土地に生きる人々を、共に大切にしてくれる人に、受け取ってほしいと思っていました」
「レジーナ様に、以前から預けてあったのですか」
「はい。……いつか、この日が来たら渡すようにと、ずっと大切に、保管してもらっていました」
その説明に、エレノアは、これまでレジーナが見せてきた、意味深な笑みの数々を思い出した。屋敷の皆が、この日を、心待ちにしていたのだと思うと、胸がいっぱいになった。
エレノアは、しばらく言葉を失っていた。これまでの数か月の日々が、走馬灯のように、心の中を駆け巡った。誕生日の夜の失望から、婚約解消、そして北の領地での新しい暮らし。式典で一人壇上に立った日、丘の上で告白しかけて中断された日、王都で公爵と対峙した日。その道のりのすべてが、今この瞬間に、たどり着くためのものだったように思えた。
かつて、誰かに大切にされることを、当たり前だと思えなかった自分がいた。だが今、目の前には、心から自分を尊重し、対等に想いを伝えてくれる人がいる。その事実に、エレノアの胸は、これまでにない温かさで満たされていった。
「はい。……喜んで、お受けいたします」
その返事に、ガレスの表情が、これまで見たことのないほど、明るく綻んだ。指輪を、そっとエレノアの指にはめると、二人は、どちらからともなく、優しく抱き合った。
「ずっと、この日が来るのを、待ち望んでいました」
ガレスの声が、耳元で、静かに震えていた。
「私もです。……こんなに幸せな瞬間が、自分の人生に訪れるとは、思ってもみませんでした」
夕暮れの花壇に、二人だけの静かな時間が流れていた。花々の香りが、風に乗って、ふわりと漂ってくる。
「これから先も、あなたと共に、この土地を育てていきたいと思います」
エレノアの言葉に、ガレスは、深く頷いた。
「私も、同じ気持ちです。……ありがとう、エレノア。私の人生に、来てくれて」
屋敷に戻ると、レジーナとトビアスが、まるで最初から知っていたかのように、満面の笑みで二人を出迎えた。
「おめでとうございます! 本当に、おめでとうございます!」
トビアスの声に、屋敷中が、温かな祝福に包まれた。
「レジーナ様、指輪のこと、ずっと内緒にしていらしたのですね」
エレノアがそう言うと、レジーナは、悪戯っぽく笑った。
「言ってしまっては、驚きが半減してしまうでしょう。……本当に、良かった。あの子の母君が生きていたら、あなたのような方を、きっと大歓迎したはずです」
その言葉に、エレノアは、静かに目を潤ませた。会ったことのない人からも、こうして受け入れられているような、温かな実感があった。
その夜、屋敷では、ささやかながら、心のこもった祝いの席が設けられた。村から届いた季節の食材を使った料理が並び、皆で、二人の門出を祝った。
「トビアス、あなたにも、伝えておかなければならないことがあるの」
エレノアがそう切り出すと、トビアスは、姿勢を正して耳を傾けた。
「正式に結婚しても、私は、これまで通り、この屋敷の仕事を続けるつもりよ。あなたには、これからも、たくさん教えることがあるから」
その言葉に、トビアスは、目を輝かせた。
「本当ですか! ……エレノアさんが、これからも、ここにいてくださるなら、僕は、何でも頑張れます」
その素直な喜びように、エレノアもガレスも、思わず顔を見合わせて笑った。この屋敷で築いてきた関係は、婚姻という形を得ても、何一つ変わらず、これからも続いていく。その確信が、何よりも心強かった。
自室に戻り、エレノアは手帳を開いた。
『ガレス様から、正式にプロポーズを受けた。母上の指輪をいただいた。人生で一番、幸せな夜』
書き終えて、エレノアは、指にはめられた指輪を、そっと見つめた。誰かに与えられた幸せではなく、自分の意志で選び取った幸せが、今、確かにここにあった。
これまでの手帳のページを、改めてめくり返してみる。我慢の記録、違和感の記録、決意の記録。そして今、喜びの記録へと、そのページは、確かに変わっていた。誰かのために自分を後回しにし続けた日々があったからこそ、今この瞬間の幸せが、これほどまでに、かけがえのないものに感じられるのかもしれない。
正式な婚約発表は、これから、両家に知らせ、しかるべき手続きを経て行われることになるだろう。だが、今夜という夜の意味は、どんな手続きよりも先に、二人の間で、確かに刻まれていた。
窓の外には、満天の星が、静かに輝いていた。長い道のりの果てに、ようやく訪れた、この上ない喜びの夜だった。




