祭りの夜
「はい。父から、正式に、お付き合いを認めていただきました」
エレノアがそう報告すると、屋敷中に、控えめな歓声が上がった。トビアスも、満面の笑みで駆け寄ってきた。
「良かったです、本当に!」
その温かい歓迎に、エレノアは胸が熱くなった。これまで感じたことのない、大きな家族に迎え入れられたような感覚があった。
屋敷での日常も、以前と変わらず続いていた。だが、仕事の合間に交わす視線や、ふとした瞬間の言葉に、これまでにない甘やかさが混ざるようになっていた。トビアスやレジーナも、それを微笑ましく見守りながら、あえて茶化すことはしなかった。
帰還から数日、エレノアは仕事の合間にも、この地に暮らす実感を、少しずつ深めていた。数日後、村では、雪解けを祝う春祭りの準備が、着々と進められていた。エレノアも、仕事の合間を縫って、村の女性たちと共に、祭りに使う花飾りを作る手伝いをした。
「エレノアさんも、随分と手際が良くなりましたね」
村の女性の一人が、そう笑いながら言った。以前、家畜小屋の一件で温かい石を差し出してくれた女性だった。
「皆さんに、色々と教えていただいているおかげです」
「旦那様との仲も、順調そうで、何よりですよ。この土地に来てくださって、本当に感謝しています」
その言葉に、エレノアは温かな気持ちで頷いた。仕事を通じて始まった繋がりが、今では、こうした日常の会話の中にも、自然に溶け込んでいた。
花飾りを編みながら、別の女性が、思い出したように言った。
「そういえば、去年のこの時期、旦那様は、お一人で、随分と寂しそうに祭りを眺めていらしたのよ。今年は、随分と表情が違いますね」
その話を聞きながら、エレノアは、この一年でガレスが歩んできた孤独と、その孤独が少しずつ和らいでいく過程を、改めて実感した。
祭り当日は、雲一つない晴天だった。朝から、村中に、焼き菓子や煮込み料理の香ばしい匂いが漂っている。エレノアも、レジーナに見立ててもらった、明るい色合いの装いに身を包み、屋敷を出た。
「よく似合っていますよ。今日は、うんと楽しんでいらっしゃい」
レジーナの言葉に送り出され、エレノアはガレスと共に、村の広場へと向かった。
村の広場には、色とりどりの旗と花飾りが飾られ、朝から賑やかな音楽が響いていた。ガレスとエレノアが姿を見せると、村人たちから、温かい拍手が沸き起こった。
「旦那様! こちらへ、こちらへ!」
村長に招かれ、二人は祭りの中心となる舞台の近くに案内された。子どもたちが、花輪を作って首にかけてくれる。
「まあ、可愛らしいこと」
エレノアが微笑むと、子どもたちは、はにかみながらも嬉しそうに笑った。
祭りの間、屋台では、羊肉の串焼きや、蜂蜜を使った焼き菓子が振る舞われていた。トビアスも、休みをもらって顔を出し、村の友人たちと楽しそうに談笑している。
「エレノアさん! こちらの焼き菓子、絶品ですよ」
トビアスに勧められ、エレノアは一口食べてみた。素朴だが、滋味深い味わいが、口いっぱいに広がった。
「本当に、美味しいわね」
「村の女性たちが、代々受け継いできた作り方だそうです」
そんな会話を交わしながら、エレノアは、この土地の暮らしの豊かさを、改めて実感していた。
祭りの中盤、村の伝統的な踊りが始まった。輪になった村人たちが、笛と太鼓の音に合わせて、軽やかに足を踏み鳴らす。
「エレノアも、いかがですか」
ガレスに誘われ、エレノアは、少し戸惑いながらも、輪の中に加わった。慣れない足取りだったが、周りの村人たちが、笑いながら手拍子で応援してくれる。
「そうそう、その調子です!」
「お上手ですよ、エレノア様!」
踊りの輪の中で、ガレスと目が合うたびに、エレノアの胸に、これまでにない幸福感が広がった。王都での夜会の、堅苦しい社交とは、まるで違う種類の楽しさだった。誰かに見られることを気にせず、ただ純粋に、この瞬間を楽しむことができる。それは、これまでのエレノアの人生には、あまりなかった経験だった。
踊りが終わると、村の老女が、エレノアの手を取り、優しく微笑んだ。
「お嬢さん、良い踊り手ですね。この土地に、すっかり馴染んでいらっしゃる」
「まだまだ、覚えることばかりですが……嬉しいお言葉です」
「旦那様のことは、村の皆で見守ってきました。あなたが来てくださって、あの方の肩の荷が、少し軽くなったように見えます」
その言葉に、エレノアは、これまでの数か月の日々が、この土地の人々にも、確かに届いていたのだと実感した。
踊りが一段落すると、二人は少し離れた場所で、村を見渡す丘の斜面に腰を下ろした。夕暮れの光が、祭りの灯りと重なって、幻想的な景色を作り出していた。
「こんなに温かい場所だとは、初めて来たときには、想像もしていませんでした」
エレノアがそう呟くと、ガレスは静かに頷いた。
「私も、この土地で育ちましたが、これほど誇らしい気持ちで祭りを見たのは、初めてかもしれません」
「それは、なぜですか」
「隣に、大切な人がいるからでしょう」
その率直な言葉に、エレノアは頬を染めながらも、素直に微笑んだ。
「あなたと出会う前は、こうした祭りも、領主としての義務の一つとしてしか、捉えていませんでした。挨拶をして、笑顔を見せて、それで終わり。今は、心から、この時間を楽しめています」
「私も、同じです。王都での夜会は、いつも、誰かの視線を気にしながら過ごすものでした。でも、今日は、ただ純粋に、楽しむことができました」
二人は、しばらく無言のまま、丘の下に広がる祭りの灯りを見つめていた。笛と太鼓の音が、遠く、優しく響いてくる。
祭りの終わり、村長が、村人たちに向けて、簡単な挨拶をした。
「今年も、無事に冬を越え、こうして皆で祝えることを、嬉しく思います。旦那様と、エレノア様にも、これからも、この土地を見守っていただきたい」
その言葉に、村人たちから、温かい拍手が起こった。エレノアは、その拍手の中に、自分が確かにこの土地の一員として受け入れられていることを、はっきりと感じ取った。王都の社交界で受けた、遠回しな詮索や、憐れみ混じりの視線とは、まるで違う種類の眼差しだった。ここでは、誰もが、飾らない言葉で、素直な好意を示してくれる。
屋敷に戻る道すがら、ガレスがふと言った。
「正式な婚約は、もう少し先になりますが……いずれ、村の皆にも、きちんと報告できる日が来るのが、楽しみです」
「私も、同じ気持ちです」
満天の星の下、二人は静かに、それぞれの想いを胸に抱きながら、屋敷への道を歩いた。
屋敷に戻ると、レジーナが、二人の顔を見て、満足げに笑った。
「良い一日だったようですね。……お二人とも、すっかり日に焼けて」
「はい。本当に、楽しい一日でした」
エレノアがそう答えると、レジーナは温かい茶を淹れながら、しみじみと言った。
「この土地に来てくれて、本当に良かった。ガレスのためだけでなく、村の皆にとっても」
その言葉に、エレノアは深く頭を下げた。
自室に戻り、手帳を開く。今日という一日を、どう言葉にすればいいのか分からないほど、多くの温かさに満ちていた。
『春祭り。村の皆に迎えられ、ガレス様と踊った。かつて感じたことのない、純粋な喜びに満ちた一日だった』
書き終えて、エレノアは手帳を閉じた。この土地に来て良かったと、これほど自然に思えた夜は、初めてだった。




