父への挨拶
翌週、エレノアは父に宛てて手紙をしたためた。ガレスとの関係を、正直に、丁寧な言葉で綴った。返事は、思っていたよりも早く届いた。
『驚きはしたが、意外ではなかった。あの方の人柄なら、私も安心できる。いつでも、いらしてほしい』
その一文に、エレノアは小さく胸を撫で下ろした。父の言葉には、これまでの旅で見せた、ガレスへの好意的な印象が、そのまま表れていた。
出発までの二週間、エレノアはトビアスへの引き継ぎを、いつも以上に丁寧に行った。留守の間に判断に迷うことがないよう、想定される事例と、その対処法を、一覧にしてまとめておいた。
「ここまで、細かく残していただけると、心強いです」
トビアスがそう言うと、エレノアは小さく笑った。
「万が一のときに困らないように、というのは、あなたに教わったことでもあるのよ」
その言葉に、トビアスは照れくさそうに頭をかいた。
出発の日取りは、二週間後に決まった。ガレスは、屋敷の差配を、レジーナとトビアスに託し、王都への旅の支度を整えた。
「留守の間は、お任せください。エレノアさんが築いてくださった仕組みのおかげで、私一人でも、何とかなりそうです」
トビアスの頼もしい言葉に、エレノアは目を細めた。この数か月で、彼は見違えるほど成長していた。
「くれぐれも、無理はしないでね」
「はい。……あの、エレノアさん」
トビアスは、少し照れくさそうに続けた。
「旦那様のこと、末永く、よろしくお願いします」
その言葉に、エレノアは思わず頬を緩めた。この屋敷の人々に、すでに自分たちのことが、静かに受け入れられているのだと実感した。
見送りの日、レジーナは、いつになく神妙な顔で二人を見送った。
「無事に、良いお返事をいただけますように。……とは言っても、フォスター伯爵が、断る理由など、どこにもないでしょうけれど」
その一言に、エレノアもガレスも、思わず顔を見合わせて笑った。屋敷を出る馬車の中から振り返ると、レジーナとトビアス、そして他の使用人たちが、揃って手を振っていた。その光景に、エレノアは、この土地に来てからの日々の重みを、改めて噛み締めた。
王都への道のりは、行き交う旅人の姿から、季節の移ろいを感じさせた。冬の厳しさは、すでに過去のものになりつつあった。
フォスター家に着くと、父が、玄関先まで自ら出迎えた。
「よくいらっしゃいました、ヴォルグレイブ卿」
「本日は、突然のお願いにもかかわらず、お時間をいただき、ありがとうございます」
応接間に通されると、ガレスは、これまでにない緊張した面持ちで、居住まいを正した。
「フォスター伯爵。単刀直入に申し上げます。私は、エレノア嬢を、生涯を共にする相手として、お慕いしております。どうか、お付き合いをお許しいただけないでしょうか」
その言葉に、父はしばらく黙って、ガレスの顔を見つめていた。
「……あなたが、娘をどれほど大切に思ってくださっているかは、これまでの手紙や、あの旅での様子から、よく分かっています。私からは、何も言うことはありません。ただ」
父は、そこで一度言葉を切った。
「エレノアの婚約解消から、まだ日が浅い。世間の口さがなさは、あなたもよくご存じでしょう。正式な婚約という形にするのは、もう少し時期を待った方が、エレノアのためにもなると思うのですが、いかがでしょうか」
その言葉に、ガレスは深く頷いた。
「私も、同じ考えです。まずは、お付き合いをさせていただきながら、周囲の落ち着きを待ちたいと思っております」
その返答に、父は満足げに頷いた。
「一つ、伺ってもよろしいですか」
ガレスが、改まった様子で切り出した。
「エレノアは、これまで、ずっと誰かのために動いてきたと聞いています。私は、彼女に、これから先も無理をさせるつもりはありません。もし、彼女が望むなら、領地の仕事も、いつでも辞められる立場でいてほしいと思っています」
その言葉に、父は少し驚いたように目を見開き、それから深く頷いた。
「その心構えがあれば、十分でしょう。……エレノア、お前は、どう思う」
「今の仕事は、辞めるつもりはありません。ですが、そう言ってくださる気持ちが、何より嬉しいです」
エレノアの答えに、ガレスも父も、揃って穏やかな笑みを浮かべた。
「では、お許しいたしましょう。エレノア、これでいいか」
「はい。お父様、ありがとうございます」
その日の夕食は、フォスター家に伝わる、心づくしの料理でもてなされた。食卓には、これまでにない、穏やかな笑い声が響いていた。
「思えば、初めてお会いしたときも、こうして食卓を囲んだのでしたね」
父がしみじみと言うと、ガレスも懐かしそうに頷いた。
「はい。あのときは、まさか、こういう形で再びお伺いすることになるとは、思ってもみませんでした」
「人の縁とは、分からないものです。……エレノア、お前の母が生きていたら、さぞ喜んだだろう」
その言葉に、エレノアは、静かに胸が熱くなるのを感じた。会ったことのない母方の縁が、こうして自分の人生に、思いがけない形で繋がっていく。その不思議な巡り合わせに、感謝せずにはいられなかった。
翌日、エレノアは、王都に滞在するついでに、以前世話になった知人へ挨拶回りをすることにした。街を歩いていると、思いがけない人物と、ばったり出くわした。
「エレノア様?」
振り返ると、そこにはリリアーヌが立っていた。以前会ったときよりも、明るい表情をしている。
「お久しぶりです。お元気そうで、何よりです」
「エレノア様も。……北の領地では、いかがお過ごしですか」
その問いに、エレノアは、隣に立つガレスを、そっと紹介した。
「こちら、ヴォルグレイブ辺境伯です。お世話になっております」
リリアーヌは、二人の様子を見て、何かを察したように、優しく微笑んだ。
「良いご縁があったようで、安心しました。私も、来月、縁談が正式にまとまる予定です」
「それは、おめでとうございます」
「相手は、遠縁の商家の方なのですが……とても穏やかで、話をよく聞いてくださる方なんです。父の看病を通じて、自分にとって何が本当に大事なのか、少し分かった気がします」
その言葉に、エレノアは、リリアーヌもまた、この数か月で、自分なりの変化を経てきたのだと感じた。
「セドリック様は、お元気ですか」
エレノアが尋ねると、リリアーヌは、少し複雑な表情を見せた。
「元気にしています。モンド家の仕事を、真面目に手伝ってくれていて。……エレノア様との一件から、彼なりに、色々と考えたようです」
その報告に、エレノアは静かに頷いた。それぞれが、それぞれの場所で、自分の足で歩み始めている。その事実が、何よりも喜ばしく思えた。
二人は、短い言葉を交わし、それぞれの道を歩んでいった。すれ違いざま、エレノアはふと、これまでの因縁が、静かに、穏やかな形で幕を閉じていくのを感じた。
フォスター家に戻ると、エレノアは手帳を開いた。
『父の許しを得た。ガレス様、私の意志を尊重すると仰ってくださった。リリアーヌ様と再会し、互いの近況を報告し合った』
書き終えて、エレノアは、窓の外に広がる、春めいた王都の景色を見つめた。かつて自分を縛りつけていた場所が、今は、ただ懐かしい記憶の舞台として、穏やかに視界に映っていた。
隣室からは、父とガレスが、これからの領地経営について、和やかに語り合う声が聞こえてきた。その声を聞きながら、エレノアは、自分の選んだ道が、間違っていなかったことを、改めて実感した。
明日には、また北の領地へと戻る。王都での短い滞在は、これまでの人生の一区切りを、静かに締めくくるものだった。そして、その先には、まだ何も決まっていないけれど、確かに希望に満ちた日々が、待っているはずだった。




