第9話 求婚の理由? それは…
エルネストは、私の問いかけに即答した。
「あんたに惚れたから」
私は真顔で彼を見つめる。彼はプッと吹き出した。
「ちょっとくらい、驚くとか、喜ぶとか、しても良くね? やっぱ他の女とは違って、あんたには通用しないか。うん、惚れたってのは、嘘。ごめんな」
そんなことは、分かっている。私が幾分ムッとして彼を見つめると、彼は笑いながら言った。
「あ、怒った? あんた氷姫って言われてる割に、意外と表情豊かだね」
エルネストはベッドにうつ伏せに寝転んで、片肘をついた。
「求婚の理由ねえ。答えは簡単。ヴェノワのワインが欲しいから」
「ワインですって?!」
私は驚いて、目を見開く。エルネストは、笑って頷いた。
「そう。ヴェノワは小さいが、国内最高のブドウの産地だ。俺は、ヴェノワのワインが大好きなんでね。だけど、ヴェノワのワイナリーは、よそ者には買えない。あそこのワイナリーは全て、ヴェノワ伯爵家の直轄だから。それで俺は考えた。だったら、ヴェノワ家の女と結婚すりゃいいんだ、って。ヴェノワ伯爵家と婚姻関係を結べば、俺にも簡単にワイナリーが手に入る。そうなりゃ、善は急げだ。同じことを思いつく男がいないとも限らないからな。つまりこれが、俺があんたに、割と急いで求婚した理由。惚れたんじゃなくて、がっかりした?」
エルネストは楽しそうに言い、私を見つめた。私は、口を噤んで考え込む。ワインのため? 確かに、破天荒な行いで知られるこの男なら。自分の目的のためには、何をしてもおかしくないのかもしれない。
……けれど。私は、無言でエルネストを見つめ返す。彼は、優しく微笑んで首を傾げた。この男がその美しい翡翠の瞳の奥で何を考えているのか、私には到底予想がつかない。
(ワインが目的だなんて……この男は、あの浅はかなミゲルと違って、簡単ではなさそうね。この恐ろしいほどの色香と派手な行いに、騙される人間は多いだろうけれど。恐らくこの男は、見かけよりも遥かに用意周到で、底の読めない人間に違いない。他に何か、裏があるに決まって……)
「……ヴェノワの件。承知した」
ふいに耳に届いたエルネストの低い声に、私は「えっ?!」と身を乗り出した。彼は書類を封筒に入れながら言う。
「書簡に書いた通り、俺達の婚姻には、既に国王陛下の裁可が下りている。から、婚儀はまだでも、俺は確かに、ここに署名する権利があるってわけだ。あんたは、そこまで見越してこの計画を思いついたんだろ? やっぱ、あんたすげえわ」
エルネストは笑って、封筒を手に、スッと立ち上がる。
「明日の朝、あんたに城内を案内してやるよ。それまでに、これに署名しておいてやる。それでいいか?」
「えっ?! いいの?! 嬉しいわ!! ありがとう、エルネスト!!」
私が彼を見上げて言うと。彼は私から目を逸らし、「別に」とぶっきらぼうに口を尖らせた。
「……その代わり。今夜のことは、水に流せよ?」
「え? ええ、もちろん!」
「それと、婚儀の件だ。書簡にも書いたが、婚儀は未定だ……近いうちに、戦になりそうなんでね。悪いが俺は、今は婚儀どころじゃない。別にいいよな? あんただって、今の話を聞く限りでは……俺の求婚に応じてここに来たのは、これのサイン目当てだろ?」
エルネストは封筒をひらひらさせ、ニヤリと笑った。私は少し後ろめたくなって、ぼそぼそと答える。
「……ごめんなさい。そう言われると、身も蓋も、無いのだけれど。その代わりに、あなたがこの求婚に望むものを、差し上げようと思っていたの。それがまさか、ワインだなんて」
私が訝しんで言うと、エルネストは軽やかに笑った。
「ヴェノワのワインは、国内一だ。いずれ飲み放題になるのを楽しみにしてるよ」
エルネストはそう言って、「さて」と窓に目をやる。
「すっかり夜も更けたな。……じゃ、俺行くわ。また明日な」
エルネストは、ベッドサイドに立てかけてあった見事な銀の大剣を手にした。柄の装飾も美しい、まるで神器のような素晴らしい大剣だ。いつの間に持って来ていたのだろう。私の胸がドキリとする。
(あれは、もしや……護身用? ラウラは、この城は危なくない、と言っていたけれど。本当かしら。エルネストも今、近いうちに戦になりそうだと言ったし……人食い鬼は、本当に、城内に入っては来ないのよね?)
ガルディエは、食人鬼の襲撃から国を守る要衝であり、東部砦ジャルダンと並んで、国内屈指の激戦地だ。私は不安になるが、エルネストは顔色も変えずに、その剣と封筒を手に、彼の寝室へ続くと言うドアに向かう。
「ガルディエの夜は冷える。さっきみたいに、暖炉前でうたた寝すんじゃねえぞ。風邪引くから。ああ、それから、この扉はもう使わないから安心しな。またさっきみたいに怯えられたら、罪悪感半端ねえよ」
エルネストは私の返事も待たず、「じゃあな」と背中越しに手を振り、ドアの向こうに消えた。ぱたん、と微かな音がして、部屋が静まる。暖炉の火が、静かに燃えていた。私は「ほう」と息を吐いて、ベッドにどさっと腰を下ろした。エルネストが破いたナイトドレスは、確かに胸元の細いリボンが千切れ、裾が少し裂けていた。私は今更ながら、恥ずかしさに赤面する。
「全部、見られちゃった……でも、いいわ。彼が協力してくれることになったのだもの。アンジュ、喜んで! 姉様、やったわ!」
ただ私は、彼が、求婚の理由をはぐらかしたことに、少し引っかかっていた。ワインのためなんて、口から出まかせに決まっている。彼は一体、何を隠しているのだろう……?




