第6話 辺境伯は、忙しいのね
私は今、23だ。私が結婚適齢期だった18,9の頃は、確かに何度か、舞踏会に行ったことがある。ぽつぽつと縁談の話が来ることもあった。だが、その頃既に父は病の床にあり、アンジュもまだ幼かった。母は幼い頃に亡くなっているし、私はとても、家族をおいて、一人幸せになる気にはなれなかった。せめて、アンジュが一人前と認められる13になるまでは、と思っていたのだ。
(そうしているうちに父は亡くなって、私は2年前、ミゲルに、あの離れに軟禁されてしまった。ラウラは、辺境伯が舞踏会に顔を出しているのは、ここ1年くらい、と言っていたもの。なおさら、彼と私が出会う機会など、無かったはずよ)
考えれば考えるほど、この求婚が、奇妙に思えて来る。私は暫くそうして考え事をしながら、暖炉の火が爆ぜて赤く燃え上がり、黒い煙と灰となって煙突に消えていくのを眺めていた。やがて、ふと窓の外の歓声に気付き、窓外に顔を向ける。相変わらず空は透き通る水色で、木枯らしが窓を揺らしている。その風に乗って、人々の笑い声やワッという楽しそうな声、木を打ち合う音、などが聞こえて来た。
「何かしら? 外で、何かしているみたいね」
私はそっと立ち上がり、窓から外を見てみる。眼下に、先ほど通って来た広い前庭が見えていた。そこで、半裸の男達が円になり、その中心では、大音量の歓声を浴びながら、二人の男が、木製の長槍を打ち合っている。どうやら、槍術の模擬試合のようなものをしているようだ。何気なくそれを見ていた私は、思わず目を見張った。
「あれは……まさか、辺境伯? 城主自らが、あんな試合に出ているの?」
ガルディエ辺境伯……エルネストは、じりじりと、相手の男を追い詰める。相手は騎士団長シメオンだ。彼の方がエルネストより頭一つ分以上は大きいが、長い槍と言う武具の持つ特性上、その体格の差は、あまり有利に働かないようだ。エルネストがスッと槍を引く……と、その次の瞬間、槍は相手の脇腹を掠めていた。速い! あれだけの長さのものを、あんなに容易く扱えるなんて。エルネストは細身ながら、相当の腕力の持ち主に違いない。先ほど至近距離で対峙した、彼の引き締まった肉体を思い出す。
「すごいわ! ガルディエ騎士団は、国内最強と聞いていたけれど。当主もやはり、その名に恥じない強い人なのね!」
エルネストはみるみるうちにシメオンを追い詰め、完全にねじ伏せた。遠目にも、彼の長い槍が、倒れたシメオンの脇の地面にグサッと突き刺さるのが見えて、私は思わず顔を両手で覆う。と同時に、窓ガラスが震えるような拍手喝さいが響いて来た。恐る恐る手を外してみると、エルネストはシメオンの手を引いて起こしてやり、盛り上がる人々に応えるように、鷹揚に手を振って笑っていた。
私は、ほう、と息を吐く。どうやら私の婚約者は、最強騎士団の主にふさわしい、武勇の男のようだ。
「あの人なら、いくらでも、相手の女性はいるでしょうに。どうして、私に求婚など……」
謎は募るばかり。うーん、と頭を捻りながら暖炉前に戻ろうとした時。ふと、窓と暖炉の間の壁にある、扉らしきものに目が留まった。私は不思議に思い、その前に歩み寄る。
「これは……扉、かしら? でも、ドアノブが見当たらないわ」
白と水色を基調にしたこの部屋の内装に、まるで溶け込むように馴染んでいるブルーグレーの木の扉。でもそこにドアノブはなく、鍵穴もない。まるで、壁にはめ込まれた絵みたい。
「ただの装飾にしては、何か変ね……どこかに通じているのかしら。ラウラは、何も言っていなかったけれど」
さっきラウラが部屋の説明をしてくれた時、私はこの扉の存在に気付きもしなかった。それほど、存在感の無い扉だ。だが一度目に入ると、気になって仕方がない。私は、得体の知れない扉らしきものを、あちこち触ってみたりした。だが、びくともしない。軽くノックをしても、何の反応も無かった。窓から覗き込んでみても、角度的に、どうやってもその先は見えない。私は諦めて、ため息をついた。
「大丈夫、ここは、城砦の中だもの。変な所に通じている、なんてことはないはずよ。怖がることはないわ」
私は肩をすくめ、持参した数少ない荷物から、刺繍道具を取り出した。夕方までは、まだかなり時間がある。刺繍でもしながら、これからの作戦を考えておこう。
私は一人、暖炉前の椅子に腰かけた。ぱちぱちと、暖炉の火の爆ぜる音。アンジュの大好きなダリアのお花の刺繍は、もうすぐ完成だ。アンジュは今頃、どうしているのだろう。マーサに、ちゃんとご飯をもらっているかしら。ミゲルは、アンジュに悪さをしていないだろうか。私は、はあ、とため息をついた。
「夕食の席で、辺境伯に会えるわよね。今度こそ、どうにか彼と話をしなければ」
やがて静寂の夜が訪れ、白い月と星々が、ガルディエの荒涼とした地を照らす。
夕食の席に、エルネストは姿を見せなかった。ラウラによると、彼は緊急の用件で、あの昼食後ずっと、シメオン達と二階の指揮官室にこもっているらしい。あからさまにがっかりする私に、ラウラが申し訳なさそうに言った。
「せっかくアイリス様がご到着した日だと言うのに、本当に申し訳ありません。騎士団の人達が言うには、何でも、北部ラジール大森林で何か動きがあったようで……もしかしたら、近いうちに食人鬼ラジールの襲撃があるのかもしれません」
「えっ?! 人食い鬼の、襲撃……?!」
王国北部に広がる、霧に覆われたラジール大森林。一年中霧に閉ざされるラジールの地は薄暗く不吉で、冥界への入り口なのだ、と我が国では昔から恐れられている。
そこに住む食人鬼ラジールは、凶暴で強欲だった。我が国とラジールの闘いの歴史は古く、過去何度も、我が国は、食人鬼ラジールの襲撃により壊滅的な被害を被っている。金品を強奪し、人間を容赦なく食い殺すラジールは、冥府からやって来た人食い鬼だと人々から恐れられていた。
その食人鬼ラジールの国内への侵入を防いでいるのが、このガルディエと、東部砦のジャルダンだった。東部砦のジャルダン辺境伯と言えば、もう壮年だが勇猛な武人で、エルネストと並んで、国内にその名を轟かせている。ガルディエとジャルダンは、国土防衛の双璧と称えられていた。
私が怯えているのを見て取ったのか、ラウラが、朗らかな笑顔で言った。
「ご心配なさらなくても、大丈夫ですよ! ガルディエ騎士団は、国内最強ですから! 閣下もいるし、ラジールなんかには、絶対に負けません! 安心して下さいね、アイリス様」
「え、ええ……」
私は動揺しながら頷いた。ヴェノワの件を、エルネストに相談したかったのに。とてもではないが、そんな場合ではないのかもしれない。けれど私の考えている案は、彼にそんなに負担をかけることではないはず。私のお願いは、彼が、書類にサインをしてくれれば済むだけのことなのだから。
私は、食後のお茶を出してくれるラウラに聞いた。
「ねえ、ラウラ。辺境伯には、いつ会えるかしら」
「そうですねえ……いつも戦の前には、暫くああして指揮官室にこもっていますから。私からは、何とも言えません。近いうちに、城内の案内くらいは、してくれると思うのですが」
ラウラは続けて「でも大丈夫ですよ! 戦が終われば、閣下もまた時間が出来ますので! アイリス様とゆっくりできると思いますよ」と気楽に言ったが、私は焦って考えを巡らせる。
(戦が終わるまで待ってなどいられない。急がないと、ミゲルに先を越されてしまうもの。でも、勝手に城内を出歩くな、と言われているし……ラウラに無理を言ったら、彼女に迷惑をかけるから可哀想よね。夜にでも、私が一人でその指揮官室に行って、辺境伯に直談判してみよう!)
ここまでお読み頂き、ありがとうございます♪
アイリスは、無事エルネストと交渉出来るのか?
次回「第7話 真夜中の訪問者」どうぞお楽しみに。
(次回は少し大人っぽい描写があります。苦手な方はご注意下さい)
明日より、1日1回19:10の更新になります。宜しくお願い致します。




