第5話 深まる謎
食事を終え、ずっと壁際で控えてくれていたラウラと共に部屋に戻る。私室の扉を閉めたラウラが、「はあー!」と大きく息を吐き、腰を折って両膝に手を付いた。
「ああ、なんて息詰まる時間だったことか……! アイリス様、大丈夫ですかっ? 閣下とのご対面で、ご気分を害されてはいませんかっ?」
私は「平気よ」と首を振った。ラウラは再び「はあ」と大きくため息をついた。
「それなら、良かったですけど! もう、閣下を見ていると、ヒヤヒヤしちゃって! そんなこと言ったらお相手の方が怒り狂うんじゃないか、とか、そんなことしたら、お相手は嫌がったり泣いちゃったりするんじゃないかー、とか! その点、アイリス様は……なんていうのか、ご立派でしたね! 何を言われても、されても、動じなくてすごいな、って思いました! さすがは閣下の、ご婚約者様です!」
両手を胸の前で握りしめて目をキラキラさせるラウラに、私は戸惑って首を振る。
「いいえ、そんなことは……辺境伯の方こそ、気分を害していないといいけれど」
私は元々、感情を表に出すのが苦手だ。私は子供の頃から、本を読んだり、刺繍をしたり、一人で静かにしていることが好きだったから。エルネストが言った通り、私にはきっと、愛想も色気も無いのだろう。だから、氷姫、と呼ばれるようになったのかもしれない。でも、私はその呼び方で困ることは別にないから、それで良かった。
ラウラは、丸い黒目をさらに丸くして、驚いた声で言った。
「ええっ?! そんなこと、あるわけないですよ! 今日の閣下は、すごくご機嫌な様子でしたから!」
「そうなのかしら? ならば、良かったけれど」
ラウラは「はい!」と元気よく頷いてから、気まずそうに言った。
「あのう……それで、アイリス様。こちらの身勝手なお願いで、大変申し訳ないのですが。閣下より、これより暫くはお部屋を出ずに過ごすように、とのご指示です。この城砦は外敵からの防衛のためにひどく入り組んだ構造ですし、危ない所もございます。近いうちに、閣下がアイリス様に城内の案内をするとのことで……それまでこちらでお過ごし頂いても宜しいでしょうか。お部屋の前には、閣下が2名の精鋭騎士団員を配置する、とのことですので、ご安心下さい。もし退屈なさるようでしたら、このラウラがお付き合いさせて頂きますので!」
私は少し驚く。守りの固い城砦内、しかもここは城主の居城なのに、この私室の前に護衛の兵士を配置する意味が、どこにあるのだろうか。私は不思議に思ったが、ここは、食人鬼ラジールの襲撃を食い止める北部防衛の最前線。何か、私の予期しないことが起こってもおかしくないのかもしれない。私は少し怖くなりながら、ラウラに聞いてみた。
「なぜ、この部屋の前に護衛を? もしかして、人食い鬼が、この城砦に入って来るなんてことは……」
私の怯えた声に、ラウラは「まさか!」と笑った。
「いくらなんでも、そんなことはありませんよ! ガルディエ辺境伯城の防御は鉄壁、ご安心下さい! でも、護衛の件は……正直言って、私もよく分かりません。閣下がそうお決めになったので。きっと、まだ婚儀も終えていない大切なお嬢様をお預かりしているので、何かあったらいけないと慎重になっているのではないでしょうか? アイリス様は、閣下にとって初めての婚約者様ですから!」
あまり納得できないが、ラウラの言う通り、念のための配慮なのかもしれない。私は頷いて言った。
「そう……分かったわ。では、私は、この部屋でゆっくりさせてもらうわね。私は一人でも平気だから、気遣いは不要よ。ありがとう、ラウラ」
もともと私は、この2年ほど、あの離れに軟禁されていたのだ。悲しいことに私は、自由に出歩けない状況になど、慣れている。ラウラはほっとしたように「そうですか、ありがとうございます!」と頭を下げた。
「では、もし何かございましたら、このベルを鳴らして下さいね! 私は下におりますので。夕食のお時間になりましたら、お迎えに参ります! あ、その前に、簡単にお部屋のご案内をさせて頂きますね!」
ラウラはそう言って、私に室内の説明をしてくれる。この部屋には小さなバスルームも付いているから、本当に部屋を一歩も出なくても、ここだけで生活は完結しそうだ。これも、籠城戦になった時の、城主家族のための備えらしい。
私は、ラウラの差し出す小さな銀のベルを受け取りながら、遠慮がちに言った。
「ねえ、ラウラ。あなたは、辺境伯から、何か聞いているかしら」
「何か、とは、何でございましょう?」
きょとんとするラウラに、私は慎重に言葉を選んで言う。
「例えば……今回の求婚について、とか」
ラウラは「ははあ、なるほど」と神妙な顔をして頷いた。
「実はその件に関しては、大変恐縮ながら、我々使用人は何一つ知らされていないのです。閣下が国王陛下に婚姻の許可を賜ったらしい、と聞いたのも、実を申しますと、たった半月ほど前でして。使用人一同、それはもう、ビックリ仰天でした。あの孤高の閣下が、まさか、と。そういうわけで、私は今回の件に関しては、何も存じ上げません」
「そう……」と落胆する私に、ラウラはぴょこんと頭を下げた。
「お役に立てず申し訳ありません、アイリス様! でも、きっと……閣下も、私共使用人には、恥ずかしくて何も言えないのだと思いますよ!」
「……え?」
私は眉を寄せる。ラウラは顔を上げて、いかにも恋に恋する乙女な様子で、目を輝かせて言った。
「だって、アイリス様は、大層お美しい女性でいらっしゃいますから! 閣下も私共には内緒にしていらっしゃいますが、きっと、どこかの舞踏会などで、アイリス様をお見初めになったに違いありません! 閣下は辺境を守護する立場上、滅多に社交の場には行かれなかったんですけど。ここ1年ほどは国王陛下に言われて、渋々、中央の舞踏会にも顔を出していらしたんです。アイリス様も伯爵家のご令嬢ですから、そういう舞踏会にもよくいらしていたんですよね? きっとどこかで、閣下とお会いになっていたんじゃありませんか? 私共使用人一同、お二人の馴れ初めをいつか聞かせてもらえるのを、とっても楽しみにしておりますので!」
ラウラの勢いに、私は曖昧に頷く。ラウラは愛想よく「それでは」と頭を下げ、元気に部屋を出て行った。私は小さく息を吐いて、暖炉前の椅子に腰を下ろす。パチパチ、と火の爆ぜる静かな音が、耳に心地よい。私は、くすんだ青いビロード張りの椅子に背を預け、ぼんやりと天井を見つめた。
「舞踏会で、か……ラウラは、あんなことを言っていたけれど。それは絶対にないわ。だって私は、もう何年も、舞踏会になど出ていないのだから」




