第4話 度胸のある女だな
私が表情も変えずに突っ立っていると、彼はふふ、と笑って私の顎から指を外し、すっと距離を取った。そして、ダンスを申し込む時の仕草で、優雅に頭を下げて挨拶をする。
「失礼。初めまして、アイリス・ド・ヴェノワ嬢。私は、エルネスト・ド・ガルディエ。国王陛下より、このガルディエ地方の守護及び統治を仰せつかっている者。以降、どうぞお見知りおきを」
彼は私の手を取って、その甲にキスをした……と思ったら。そのまま、私の手をぐっと引いた。あっ、と思った時には、私は、彼に抱きしめられていた。太陽と乾いた風、そして砂埃と彼の香りが私を包む。背後の皆が、息を飲んだ気配が伝わって来た。エルネストの声が、触れた肌を通して耳に響く。
「……思ったより、抱き心地は悪くないね。愛想も色気も、まるでないけどな」
エルネストはそう言って私から少し身を離し、私をじろじろと見回す。体中を見透かすようなその不躾な視線と失礼な物言いには少しムッとしたが、ここで彼の機嫌を損ねるわけにはいかない。この男からは、どうにか、協力の約束を引き出さなければならないのだから。私達の視線が絡む。彼はふいに、悪魔的に美しい笑みを浮かべた。そして、つい、と私の耳元に唇を寄せて、魅惑の声で囁く。
「……俺、嫌いじゃないんだよね。あんたみたいに、冷たくて愛想がない女。そういう女を俺に死ぬほど惚れさせて……破滅させるのって、悪くないから」
エルネストは「だろ?」とからかうように囁いた。この男は、天性の女たらしに違いない。私は、彼の色気に惑わされないよう気を付けながら、密やかに囁き返した。
「まあ、そうでしたのね。では私は、よほど気を付けると致しましょう。あなた様は、とても魅力的なお方ですから。私は、氷姫の名にふさわしく、出来るだけ、あなた様に好意を持たないようにさせて頂けば宜しいかしら」
エルネストが、その美しい翡翠色の瞳を大きく見開いた。私達は暫く、至近距離で見つめ合う。やがてエルネストが「ふっ」と息を吐き、軽やかに笑い出した。
「ははは! すげえな! 度胸のある女! 俺にそんな物言いをした女は、あんたが初めてだ!」
背後に、さざ波のようにざわめきが広がる。エルネストは、左手でぐい、と私の腰を抱き寄せ、魅惑の声で言った。
「どうぞお手柔らかに。見眼麗しい、氷のお姫様。……さて、と。昼飯にするか!」
昼食の席も、なんとなく空気が張り詰めていた。使用人が皆、城主エルネストに対して粗相の無いように、と真剣に仕事をしているのが分かる。今この場に、あの騎士団長、シメオンの姿はない。噂は嘘ではないようで、エルネストは使用人に甲斐甲斐しく食事を運ばせながらも、決して一人たりとも、自分のそばに長く置くことはなかった。
(辺境伯が人を寄せ付けない、という噂は本当だったのね。彼は、よほど警戒心が強いんだわ。でも、だからと言って、こんなに長いテーブルを挟んで座るなんて。これじゃあ、折角彼と話をしたくても、なかなか切り出せないじゃないの……)
私とエルネストは、長い長方形のテーブルで隔たれていた。話をしようにも、遠すぎて、かなり大きな声でなくては届かない。ヴェノワの両親が揃っていた頃、私達家族は、来客用の長いテーブルではなく、ダイニングの片隅にある小さな丸テーブルで食事をしていた。私達家族はいつも、楽しく会話しながら食事をしていたのに。
(どうしよう。彼とは、ゆっくり話がしたかったのに。こんな状況では、とても無理よ)
エルネストには、一刻も早く助力を願い出たかったし、そのためには、今回の求婚の理由だって聞かなければならない。でも、ここには何人もの使用人が忙しなく行き交っていて、とても、そんな私的な話を切り出せる状況ではない。私がそうしてヤキモキしているうちに、「失礼」という聞き覚えのある声がして、開いた扉に、あのシメオンが姿を見せた。彼は一礼して室内に入り、大股で真っすぐ主エルネストの元に向かう。エルネストは、シメオンの耳打ちに何度か無言で頷いていたが、やがて口元をナプキンで拭き、スッと立ち上がった。
「急用が出来た。悪いが、これで失礼する。あんたは、ゆっくりしていけよ」
エルネストは私に優雅に頭を下げ、シメオンを伴ってさっさと食事室を出て行ってしまった。私は、ほっとしたのと残念なのと半々な気持ちで、ほう、と息を吐く。
(行っちゃった……結局、彼とは、何も話せなかったわ。今晩にでも、どうにか機会を作って彼と会えないかしら。とにかく早く、ヴェノワのことを、お願いしなくては……)
私の頭の中は、ヴェノワに残して来たアンジュのことでいっぱいだった。エルネストがどういう理由で私に求婚して来たのか知らないが、わざわざ国王の許可を得てまで求婚して来たからには、絶対に、何か大きな目的があるはず。それ次第では、私のお願いも聞いてもらえるだろう、というのが、この求婚話を聞いた時の私の目算だった。
(彼がこの婚姻で、私から何かを得ようとしているのならば。それと引き換えに交渉出来るはず。天国のお父様、お母様。どうかお願い、私に、力を貸して……)




