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氷姫の婚礼 ー氷の令嬢と野獣辺境伯の危険な関係ー  作者: 愛崎アリサ


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第39話 アンジュは私が守る!

 ガルディエへの遣いを見送った私は、屋敷の居間に使用人を集める。ミゲルの使用人は全員追い出したから、ここにいるのは、元からヴェノワ家に仕えてくれていた忠実な使用人ばかりだ。


「みんな、私に力を貸して欲しいの。うちのワイン蔵に……とても危険な動(・)物(・)が迷い込んでしまったのよ。だから、退治出来る人が来るまで、その動物を閉じ込めておきたいの」


 皆がざわつく。私は、アンジュと目配せをした。アンジュは青白い顔で頷く。私はアンジュに、化け物のことは言わないように口止めしていた。『ヴェノワ伯爵』として、この屋敷の皆を混乱と恐怖に陥らせないために、と説得して。アンジュは、本当は叫び出したいほど恐怖を感じているだろうに、素直に私のお願いを聞いてくれた。


(あのガルディエでの戦いの時。エルネスト達は、城壁の上に篝火(かがりび)を無数に焚き、火薬を付けた火矢でラジールを攻撃していた。でも、ヴェノワに、ガルディエにあるような高性能の火薬など、あるはずがない……ならば、この土地にあるものを使って、どうにか切り抜けるしかないわ!)


 私は、不安そうにこちらを見ている使用人達に、てきぱきと指示を出した。


「みんな、手分けして、乾いた枝や藁(わら)を集めて! 使い古しの布でもいいわ! とにかく、乾燥していて、燃えそうなものを、何でも。夕方になるまでに、出来るだけ沢山よ。ワイン蔵の周りに、大きな篝火を幾つも焚くの!」


 彼らは私の求めに応じて、素早く動き出した。ある者は、カラマツとカシの枯れ枝を拾いに白霧(はくむ)の森へ、ある者は、乾燥した古布を探しに、屋敷の不用品倉庫へ。私は、アンジュ達と一緒に、父の書斎から大量の蒸留酒(じょりゅうしゅ)の瓶を運び出す。父が存命していた頃、父はよく、親しい友人達にヴェノワのワインをプレゼントしていた。彼らの中には、蒸留酒の名産地の領主などもいて、彼らは返礼として、地元の蒸留酒を送ってくれていたのだ。


(ワインでは、お酒の濃度が低すぎて、とても火はつけられない。でも、高濃度の蒸留酒であれば。着火するには、十分なはずよ!)


 私は、あの夜のガルディエの城壁を参考に、地面に箒(ほうき)で印を書いていった。夜になるまでに、ワイン蔵の周囲を篝火で取り囲むのだ。皆の集めた枯れ枝や藁、古布を印の場所に積み上げて、大量の蒸留酒を染み込ませていく。


(エルネストが来るまで、どうにか持ちこたえるのよ。彼が到着するまで、絶対に、ミゲルを……ラジールを、ここから逃がしはしない!!)


 時間は、刻一刻と、過ぎて行く。私達は、少量の料理油を染み込ませた松明にかまどの火を移して、次々と篝火に点火していった。ぼうっ! という音と共に、あちこちで炎が勢いよく燃え上がる。全てに点火し終えた時には、日はすっかり傾き……白い霧が、辺りを密やかに包み始めていた。


 ふいに、ドンッ、ドンッ!! という音がワイン蔵の中から響いた。見れば、ワイン蔵の重厚な木の扉が、揺れている! 扉が叩かれる度に、太い閂(かんぬき)が、ミシミシと音を立てた。アンジュが悲鳴を上げる。


「姉様!! 扉が……壊れちゃうよ!!」


 使用人達の顔に、緊張が走った。無理もない。私は彼らに、『蔵の内部に、とても獰猛で危険な動物が入り込んだ』と伝えているのだから。私は咄嗟に、彼らに叫んでいた。


「女性や非力な者は、屋敷へ入っていて! 力のある者は、庭の倉庫から、大きくて重みのあるものをありったけここへ! ワイン蔵には、この扉しか出入り口は無いわ……扉の前に色々積み上げて、バリケードを作るのよ!」


 辺りがざわめきに包まれた。私はマーサに言って、女性や若い下働きの少年達を、屋敷へ誘導してもらう。力ある男達は、倉庫から、板切れや樽などを荷車に乗せて走って来て、蔵の扉の前にそれらを積み上げた。ダンッ、ダンッ、ガリガリガリ! という音がして、蔵の扉からは、小さな木の破片が散っている。破られるのも時間の問題だろう。私の背中を、冷や汗が伝う。


(ヴェノワの霧は、深い……篝火を焚いてはいても、あの凶悪なラジールが、もし、この霧の中に出て来てしまったら!)


 その時だった。バリバリバリ!! という破砕音がして、遂に扉が破られた。裏庭に緊張が走り、その直後。バリケードに積み上げていた樽の一つが勢いよく飛んで来て、辺りに立っていた男達を薙(な)ぎ倒した!


「きゃああ!? みんな!!」


 男達は、ばたばたと地面に倒れ伏した。残っていた数人も、「う、うわああ!」と叫んで逃げ出すが、やはり、背後から投げつけられた板切れに当たって、どう、と地面に倒れる。必死に築いたバリケードは崩され……その奥から、ラジールが姿を現した。炎の向こうのラジールは、その金茶色の凶悪な目を篝火に爛々(らんらん)と輝かせて、口からよだれを滴(したた)らせている。それを見たアンジュが、半狂乱になって私の腕にしがみついた。


「姉様!! 姉様、どうするの?! あいつが……出て来ちゃったよ!!」


 私はアンジュを背に庇い、恐怖に胸を震わせながらも、静かに言った。


「いい? あいつの弱点は、火と陽の光よ。それがあれば、あいつは動けない。その証拠に、見て! 奴は、あの場から動こうとはしないでしょう」


 私は、この蔵を、周到に篝火で取り囲んだのだ。この配置であれば、どこを抜けるにも、火の粉がかかる。しかも、蒸留酒を大量に染み込ませてあるから、火勢は容易には衰えない。ラジールは、扉の前をウロウロするばかりだ。アンジュが嬉しそうに叫ぶ。


「ほ……ほんとだ! じゃあ、これだけ篝火があれば……」


 ラジールは、ひとしきり炎の向こうをウロウロしていたが……やがて、蔵の中へと戻って行った。アンジュが、ほっと肩を下ろす。


「あいつ、諦めたのかな?」


「油断は禁物よ。でも、とにかく、このまま持ちこたえることが出来れば……」


 エルネストが、きっと助けに来てくれる。そう、思った時だった。ドカドカッ! と大きな音がして、私達は飛び上がる。見ると……蔵の壁の一部が、崩壊していた。蔵の明り取りでずらしてあったレンガが、ラジールに崩されたのだ! ぽっかり空いたレンガの隙間から、ラジールがずるりと抜け出て来る。まさか、レンガの壁が崩されるなんて……あの場所には、篝火が少ないのに!


「アンジュ、こっちよ!! 早く!!」


 私は、アンジュの手を引いて篝火の間を逃げる。ラジールは、炎に怯えて距離を取りながらも、執拗に私達を追って来る。それもそのはず……ラジールが最も好むのは、若い人間の肉なのだ。奴の残忍な金茶色の目は……泣き喚くアンジュを捕らえて離さない!


「姉様、怖いよう、姉様!!」


「アンジュ!! あなたは、絶対に、姉様が守るわ!!」


 私は、この可愛い弟の手を離さずに叫んだ。どうにかして、ラジールを、退けなければ!


(落ち着いて……霧の森での長い生活で視覚がすっかり退化した奴らが、それでも獲物を見失わないのは、異常に発達した嗅覚のせいよ。ならば……!)


 私は、篝火の間を巧みに抜けながら、蔵の外に転がっていたワインの瓶を掴んだ。ヴェノワでは、よくあるのだ。こうして、誰かが気まぐれに飲んで残したワインを、そのまま放置することが。そして、今年の夏は、あれだけ暑かった。ということは! アンジュが、金切り声を上げる。


「うわあああっ?! 姉様、あいつが来る!!」


 一際大きいダンッ! という音と共に、ラジールが宙を飛んでアンジュに襲いかかる!


「姉様ああ!!」


「化け物!! これでもくらえ!」


 私はそう叫んで、ラジールの顔目掛けて、思いっきりワインの瓶を投げつけていた。ガシャーン! という音と共に瓶が割れ、飲み残しのワインが、ラジールの顔にぶちまけられる!


「ギャオッ!!」


 ラジールは不気味に叫んで、地面に転がった。辺りに、鼻を突く酸っぱい匂いが立ち込める。アンジュがゲホゲホ咳込んで叫んだ。


「な、なにこれ?! 毒?!」


「いいえ! 残ったワインよ! 夏の暑さで、酸化したのだわ! あれなら暫く、嗅覚は使い物にならないはずよ!! さあ、早く! 今のうちに……」


 辺りに響く雄叫びに、私達は悲鳴を上げて耳を塞ぐ。正気を失ったらしきラジールが、その身を炎で焼きながら、唸り声を上げてこちらに突進して来る! 私達は駆け出すが……アンジュが足をもつれさせて転んだ。私はアンジュの腕を引く、が、もう到底、間に合わない! こちらに迫るラジールが、とてもゆっくり見える……私は、地面に倒れたアンジュを庇って、抱きしめていた。この可愛い弟を、守ってあげなくては!


(エルネスト……ごめんなさい、私……)


 ぎゅ、と瞑った瞼の裏に。ふいに、青白い閃光が煌めいた気がした。ラジールの、恐ろしい叫び声が聞こえる。私は、アンジュを胸に抱きしめたまま、ゆっくりと目を開いた。視界の先に……豪奢な真紅のマントがはためいている。篝火を受けて輝く、あの、アッシュブロンドの髪は……!


「エルネスト……!!」


 エルネストの聖剣グランダルが、恐ろしいうなりを上げ……青白い光と共に、ラジールの体を真っ二つに切り裂いた。ラジールが、断末魔と共に消滅する。聖剣グランダルの青白い光が掻き消え、エルネストは、その美しい大剣を軽々と鞘に納めた……と同時に、彼は踵を返して、私の元へ全速力で駆けて来る。そして、アンジュごと、私を抱きしめた。


「アイリス!! 良かった……無事で、本当に、良かった!!」


「エルネスト!!」


 だが。抱き合う私達の真ん中には、アンジュがいるのだ。アンジュが「ぷはあっ?!」と目を白黒させて、私の胸から顔を上げる。


「な、な、な……何?! 誰?! 姉様、誰なの、この人?!」


 アンジュは、赤くなったり青くなったりしながら、エルネストの体を押し戻す。そして、私の前に両腕を上げて立ちはだかり、怒ったように言った。


「だ、誰だか知らないけど……僕の大事な姉様に、触るな!!」


 エルネストは無表情にアンジュを見下ろしていたが。ふいに、ニヤリと笑って言った。


「よう。威勢のいいガキだな。お前がアンジュか。悪いが……」


 と言ってエルネストは、私の腰をぐい、と抱き寄せて、見せつけるように熱いキスをする。アンジュの「あっ?!」という叫び声に私は焦って身をよじるが、やっぱり、エルネストの腕からは逃れられない。エルネストは、「んんー!!」と呻く私から顔を離すと、真っ赤な顔で口をパクパクさせながらこちらを指さしているアンジュに、涼しい声で、けれどどこか挑戦的に、言い放った。


「『僕の大事な姉様』は、これからは『俺の大事な妻』だから。残念だったな、ガキ!」


(この男……エルネスト!! ぜんっぜん、変わっていないわ!!)


 私は、大人気(おとなげ)なくアンジュに向かって鼻で笑っているエルネストに呆れつつ……その胸に身を預けて、言った。


「ありがとう……エルネスト……助けに来てくれて、本当に、ありがとう!!」


 エルネストの腕が私をぎゅっと抱き寄せ、彼はもう一度、私にキスをした。今度は見せつけるためじゃない、本気の口づけ。彼は私を抱きしめて「はあ……」と深い息を吐きながら耳元で囁いた。


「あんたに怪我が無くて、本当に、良かった……報(しら)せを受けた時には……本気で心臓が止まるかと思ったよ」


 私は逞しいエルネストの胸で、ほっと息をついて目を閉じた。緊張と恐怖で冷たくなった私の全身に、次第に熱が戻って来る。気付けば裏庭には、ガルディエ騎士団の精鋭がなだれ込んで来ていて、彼らは、倒れたヴェノワの使用人達を手際よく介抱してくれている。篝火が、私達を赤々と照らしていた。



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