最終話 氷姫の婚礼
ヴェノワの後始末は、拍子抜けするほどあっさりと終わった。というのも、あのラジールの姿を見た者が、私とアンジュ以外、誰もいなかったからだ。ギュスタフは変貌前のミゲルしか見ていないし、あの時裏庭にいた使用人達も、気を失って倒れていたからラジールを見ていない。私は当然、あのことを口外する気は全く無いし、アンジュはアンジュで、蔵にいた『得体の知れない化け物』のことは、誰にも言わないと決めたそうだ。アンジュは私に、菫色の瞳を輝かせて言った。
「だって僕は、父様の爵位を継ぐ人間だもん。父様だったら、きっと……屋敷の皆が怖がったり嫌がったりすることは、言わないに決まってるよね!」
ヴェノワでの一連の出来事は、あの夜、エルネストに全て話した。私達姉弟が、ラジールのことを、誰にも明かさない決断をしたことも。彼は私を抱きしめ、たった一言、「ありがとう」と低く囁いた。
エルネストによれば、ミゲルの体内には、通常よりも長くラジールが留まっていたらしい。ミゲルが連日酒浸りだったことと関係しているそうだが、詳しいことはこれから調べるみたいだ。
篝火は、皆の協力でその夜の内に片付けられ、割れた二階の窓ガラスも、翌日すぐに修繕された。但し、突然消えたミゲルのことだけは、届け出ないわけにはいかない。事件の数日後には、役人が数人、ヴェノワ家にやって来た。だが、執事ギュスタフを初めとする使用人達が口を揃えて『彼は伯爵家を乗っ取る目論見が外れて、出て行きました』と本心から訴えたため、ミゲルの失踪に疑惑を抱かれることもなかった。
その翌月。アンジュに、国王陛下から正式にヴェノワ伯爵の爵位と領地が返還された。白い正装に、ヴェノワ家の深い葡萄色のサッシュをかけたアンジュは、とても立派だった。でも、儀式前に、付添いの私に「姉様、どうしよう!? 僕、お腹が痛くなって来たよう!」と泣きべそをかいていたのは、内緒だ。
それから三月ほど経った、早春の朝。
空が水色に晴れ渡り、冷たく、けれどどこか花の香りを運ぶ風が、吹き渡る日。
ガルディエ領内の大教会で、私とエルネストの、盛大な結婚式が執り行われた。私は純白に輝くウェディングドレスに身を包み、アンジュにエスコートされてヴァージンロードを歩く。両親は既に他界しているし、私の一番大切な肉親はアンジュだから、私が無理を言ってお願いしたのだ。アンジュは、伯爵姿で白い花を胸に差して、左右の手足をそれぞれ一緒に出して歩いている。先日の儀式以上に、ガチガチに緊張しているみたい。私はアンジュの手を取りながら、笑いを堪えるのに必死だった。
(アンジュったら! こんなにぎくしゃく歩いていて、転んだりしないかしら!)
祭壇の前で私を待つエルネストは……いつにも増して、美しかった。アッシュブロンドの柔らかい髪を綺麗に撫でつけ、端正な顔で微笑む彼の、翡翠色の瞳が私を優しく見つめている。その姿は、もはや、美しいを通り越して、神々しさすら感じられる佇まいだ。
(なんて、素敵な人なのかしら! 私は……幸せ者ね!)
皆に見守られて結婚の誓いを立てた私達は、高らかに鳴る鐘の中、荘厳な大教会を後にする。馬車の列が向かうのは、もちろん、ガルディエ辺境伯城だ。
城に着くと、大歓声が私達を迎えてくれた。城門の上からは白い花びらが雪のように降り注いで、皆の祝福の気持ちを伝えてくれる。私達は、人々の歓声に手を振って応えながら、居館へと向かった。
居館のエントランスでは、正装に身を包んだシメオンやラウラを筆頭に、騎士団の面々や使用人達が、ずらりと勢ぞろいしていた。赤黒い顔をして目を潤ませたシメオンが進み出て、辺りに響く大音量で言った。
「おかえりなさいませ、閣下、アイリス様! この度は、ご結婚、誠におめでとうございます!! このシメオン、お二人の婚儀を見届けられなかったのが、無念千万でございますが……この晴れの日の続きは、是非、大広間で! 私共総出で、婚礼の宴の準備を整えておりますゆえ!」
シメオンの男泣きに、辺りが苦笑に包まれる。シメオンはエルネストの副官だから、城主不在の城を守る任務のため、泣く泣く、ガルディエ城に残っていたのだった。
祝宴は、それは華やかだった。ヴェノワの招待客は、大教会での婚儀のあとそのままヴェノワに帰っているから、アンジュが宴で淋しい思いをするのでは、と私は密かに心配していたのだが。
「アンジュ伯爵様、可愛いー!」
「ねえ、アンジュ様! こっちよ! きゃー!」
アンジュは、祝宴に招かれた他領地の貴族の女の子達に、大人気だった。私は驚いたが、それよりも、アンジュ本人の方がよほど仰天したらしい。何しろアンジュは、幼い頃からヴェノワを出たことはなく、十歳を超えた辺りからはずっと、あの離れに監禁されていたのだ。同世代の女の子への免疫など、無いに等しい。
「ぼ、僕……その……ごめんなさいぃ!!」
アンジュはそう叫ぶと、逃げるように私の元へ走って来た。女の子達はがっかりした様子で去っていく。私は、私にぴたりと寄り添うアンジュに、笑って言った。
「アンジュったら! 彼女達と、仲良くお話したらいいのに!」
「べ、別にいいよ! だって僕は、姉様のお祝いに来たんだもん! だから僕、姉様のそばに、ずっと……」
と赤い顔で言ったアンジュの頭の上に、ぽん、と大きな手のひらが載せられる。アンジュが「わあっ?!」と肩をすくめ、私は、その人物に明るい声をかけていた。
「……エルネスト!」
アンジュがムッとした顔で、自分の頭の上に載った手のひらを指さす。
「ガルディエ辺境伯! この手のひらを、僕の頭の上からどかして下さい! ……無礼ですよっ!」
その言い方に、私達は顔を見合わせて笑ってしまう。アンジュが、赤い顔で喚いた。
「な、何がおかしいんです、辺境伯! ……姉様も、姉様だよ! 笑ってないで、姉様からも何か言ってよ!」
エルネストが、軽やかに笑った。
「あのなあ! お前、辺境伯、ってやめろよ。言っとくけど、俺は、お前の義理の兄だからな? 素直に『お義兄様』って呼んだらどうだよ」
「う、そ、それは……」
「まあ俺は、女の子の相手一つ出来ない軟弱者に、兄なんて呼ばれたくないけどな? 大体お前、姉様、姉様、って、ちょっとアイリスに、甘やかされ過ぎてんじゃねえの」
「なっ……!!」
エルネストは、赤い顔でわなわなするアンジュの頭をわしゃわしゃ撫でて、笑った。
「なーにが『ごめんなさいぃ』だよ! 女に声掛けられたくらいで、尻尾巻いて『姉様』のところに逃げて来やがって。お前には、剣や槍の稽古よりも先に、教えてやろうか? このエルネスト様が直々に、女の扱い、ってやつをさ!」
アンジュはあの夜、助けに来てくれたエルネストに、『僕も強くなって皆を守りたいから、剣の稽古をつけて下さい!』とお願いしていたのだ。エルネストは、「うぐぐ!」と顔を赤くして拳を握りしめるアンジュに、上機嫌に言い放った。
「言っておくが、どんな女だって、この俺にかかれば、百戦百しょ……」
エルネストが言葉を切り、勢いよくこちらを振り向いた。私は彼のそばで、何も言わず微笑んでいただけなのに。エルネストが、顔色を失って必死に叫ぶ。
「ちょっと待て! 違うんだ、アイリス! 誤解だ、今のは、単なるたとえ話で……俺は、アイリス以外の女に、興味なんてねえから! 本当に! 絶対! 誓って! 俺が愛してるのは、本当に、アイリスただ一人で……あああ、もうっ!!」
と言って彼は、突然私を抱き寄せて、キスをした。大広間が「わあっ!」と歓声に包まれる。彼はゆっくり私から顔を離し……大広間中の大歓声の中、ほのかに上気した顔で、囁いた。
「……これで、信じてくれるか?」
私は、言葉もなく、頷く。きっと私の顔も、エルネストと同じく、ほんのり赤くなっているに違いない。アンジュが、ごほん! と赤い顔で咳をした。
「姉様……それに、お義兄様! 人前でそういうことは……慎むべきだと思いますよ!」
賑やかな祝宴の中、ラウラやシメオン、それにメラニーが、私達のところへ祝福を伝えに来てくれた。淡いピンク色のドレスを着たラウラは、感極まって泣きながら叫ぶ。
「ご婚礼おめでとうございます、アイリス様! 私はこの日を、どれだけ心待ちにしていたことか……アイリス様を、奥様、とお呼び出来ることが、本当に嬉しいです!」
ラウラの言葉に、騎士団の正装姿のシメオンも、目を潤ませて何度も頷いた。
「ラウラの言う通りです、閣下、アイリス様! 私共は、お二人のお子に会えるのが、今から楽しみでたまりません!」
メラニーが「うふふ、シメオン様ったら、気が早いですこと!」と笑った。今日の彼女は、杏色の艶やかなドレス姿で、シメオンは、いつにも増して赤黒い顔で彼女を見下ろしている。メラニーが、うふふ、と色っぽく笑って私達に言った。
「でも、本当ですわね。アイリス様、閣下? もしもベビーシッターが必要でしたら、是非わたくしに声をかけて下さいませね? このメラニー、いつでも、はせ参じますわよ!」
宴は続き……皆の挨拶が途切れたところで、私は広間の端に目立たないように移動して、ほう、と息をついた。すると、とんとん、と柱の影から肩を叩く者がいる。エルネストだ。驚く私に、彼は、いたずらっぽく「来いよ」と笑い、私の手を取って、喧騒の大広間をするりと抜け出した。
エルネストに手を引かれて着いた先は、あの、居館の屋上テラスだった。春の夜風が吹き渡り、頭上には、満点の星空が広がっている。私は、「わあ!」と歓声を上げた。エルネストが嬉しそうに笑う。
「今日は、いい天気だったから。こんな日は、星が綺麗なんだよ。アイリスに、見せてやりたくて。でも、風が冷たいから。……ほら」
エルネストはそう言って私を引き寄せ、背後から抱きしめた。そして、そのまま欄干に両手をつく。私は暫く、エルネストの腕の中から幸せな気分で夜空を見上げていたが……やがてエルネストが、空を見上げたままポツリと言った。
「……俺には、夢がある」
私は首を後ろに捻って、彼を見上げる。彼は、星空を見上げたまま続けた。
「ラジールとの闘いを、終わりにすることだ。これはまだ、限られた者にしか明かしていないが……長年の調査で、一つ分かったことがある。夏の間、北部ラジール大森林の霧が、完全に晴れる五日間があるんだ。来年の夏、ガルディエは東部ジャルダンと共闘して、ラジール大森林に大規模な討伐隊を出す予定だ。そこで奴らの根城を叩いて……完全に潰す。そうすれば、もう二度と、奴らが人間を襲うことはなくなるだろう」
私は驚く。もしも、エルネスト達が、そんな偉業を成し遂げてくれるのなら! 遂にこの国に、人食いの悪鬼ラジールに怯えない平和な日々が訪れる……私は興奮して言った。
「すごいわ! 私、あなたのことを、心から尊敬するし……応援する!!」
エルネストはふふ、と笑い、背後から私を抱きしめて言った。
「ありがとう。アイリス、あんたなら。きっと、そう言ってくれると思ってたよ」
そして彼は、私の菫色の髪にキスをして、低く囁く。
「……愛してる、アイリス。アイリスは、俺だけのものだ。他の男には、指一本、触れさせない。俺が死ぬほどあんたを可愛がってやるから、覚悟しろよ?」
私は、エルネストの腕の中で身をよじって、彼に向き合った。エルネストが首を傾げて微笑み、私の髪をそっと撫でる。時に近寄りがたいほど美しく冷淡で、誰よりも強く、なかなか他者に心を開かない。魔性のように女を魅惑し、かと思うと、子供のように不貞腐れて喚く、実に扱いにくい、この男。
私は、エルネストの首にそっと両腕を回し……その耳元で優しく囁いた。
「愛しているわ、エルネスト。あなたは、私だけのもの。他の女には、絶対に渡さない。私、可愛い弟のアンジュよりもずっとたくさん、あなたを甘やかしてあげるから。覚悟してね?」
私は、エルネストがアンジュに「アイリスに、甘やかされ過ぎ」と言った時の、微妙に不機嫌な態度をしっかり見ていた。案の定、エルネストは「ごふっ?!」と叫んでのけぞる。
「な、な……あんた、また、変なところ見て……!」
私は笑って彼の腕をするりと抜け、星空のテラスを駆け出す。エルネストが「あっ、こら! 待てよ、アイリス!」と笑って追いかけて来た。彼は私を抱き上げて上機嫌に言う。
「なら早速……思いっきり、甘やかしてもらうとするか! 何せ今夜は……記念すべき、俺達の新婚初夜だからな!」
私は笑って彼の腕に身を任せ、目を閉じる。私達の幸せな新婚初夜は……長くなりそうだ。
Fin
最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。
アイリスとエルネストの物語、お楽しみ頂けましたでしょうか♪
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連載中のブクマ、ポイント評価、リアクションも誠にありがとうございました。大変励みになりました。
お読み頂いた全ての方に、この場を借りて心より御礼申し上げます。
次作もどうぞお楽しみに~✨




