第33話 エルネストの告白
私はひとり、三階への階段を上がっていた。宴の夜には階段の前に衛兵が立つから、危険もない。彼らは私に敬礼をして、恭しく道を開けてくれた。階を上るごとに、酒宴の喧騒は遠のいていく。
三階の廊下は、しん、と静まり返っていた。が、暗い廊下に、薄く明かりが漏れている。エルネストの部屋だ。もう、屋上から戻ったのかもしれない。私は、隙間から橙色の光が漏れるドアを密かにノックした。
「エルネスト……? いる?」
静まった廊下に、私の声が響く。ややあって、固い靴音が近づいて来て、扉が開いた。絹のシャツの前をはだけたエルネストが、私を見下ろし、無言であごをしゃくった。私は「失礼します」と小さく声をかけて、部屋に入る。私の後ろで、エルネストが静かにドアを閉めた。
室内では暖炉が煌々と燃え、開け放したカーテンの向こうでは、相変わらず白い霧が漂っていた。大きな月が空高く、霧の向こうで、ぼんやりとその輪郭を描いている。
私は室内に真っすぐ入り、大きな窓に体を向けたまま、突っ立っていた。エルネストの声が、遠く背後から聞こえる。彼は多分、閉めたドアに背を預けたまま、動いていない。
「ようこそ、お姫様。……で? それは一体、どういうわけだよ」
低く響く声。私は、ゆっくりと後ろを振り向いた。彼はドアにもたれて腕組みをしたまま、私が、両腕に大切に抱えているものを見つめている。
「シメオンさんにお願いして、預かって来たのよ。ガルディエ家に代々伝わる、大切な聖剣なのでしょう。あなたがさっき、城壁の上で、ラジールの魂を倒したあの姿。とても……格好良かったわ。まるで、神話に出て来る、英雄みたいだと思った」
エルネストは、じっと私の話を聞いている。私は、平坦な声で続けた。
「シメオンさんに聞いたわ。この聖剣グランダルは、ラジールを倒すためだけの、特別な剣なのですってね。私、全然知らなかった。私、この銀の大剣は、あなたが護身用に、肌身離さず持っている大切な剣だとしか、思っていなかったから。でも、この剣では、ラジールとその魂の他は、何も斬れないのね。……では、あなたは、なぜ」
私は、エルネストを真正面から見つめ、言った。
「あの夜……あなたが初めて私の寝室に忍んで来たあの夜に、この剣を、手にしていたの? あの時、寝室には、あなたと私の他には、誰もいなかったのに」
私は、震えていた。彼に真実を聞くのが、たまらなく怖い。けれど。私は、私を無言で見つめているエルネストから、決して目を逸らさずに言った。
「城壁の上で、あなたは言ったわよね。『ラジールの魂は、人間の体に入り込んで、その人の魂を食らい、体を食い破って出て来る』と。つまり、あなたは……私を……」
そうだ。そうとしか、考えられない。私は、どうにか言葉を絞り出した。
「あなたは……私を、『ラジールに乗っ取られた人間』だと疑っていたのね。だからあの時、この剣を、寝室に持ち込んだ。つまりは、私を……斬るために!!」
手が震える。抱えていた銀の大剣が、どうしようもなく重く感じた。私は、わなわな震えながら口走っていた。
「そう考えれば、全て納得がいくわ! 私の部屋の前に当初兵士が立っていたのは、ラジールに入り込まれた私を、逃がさないため。あなたが私に、持参金も婚礼道具も、何一つ要求しなかったのは、本当は私と、結婚するつもりなど無かったから。あなたが私に求婚した本当の目的は、ヴェノワのワインのためなんかじゃない……この求婚の本当の目的は……私を、殺すためだったのね!! あなたは、私を呼び寄せて殺すために、私に求婚したのだわ!!」
エルネストが、組んでいた腕をゆっくり下ろし、カツ、カツ、と靴音を響かせて、私の前へと歩いて来た。私は自分のことを、冷静な人間だと思っていたのに。ショックのあまり、頭が真っ白で、何も考えられない。私はいつの間にか、すっかり取り乱して叫んでいた。
「でも、なぜ?! そんな馬鹿なこと、あるはずがないわ!! だって、私はヴェノワにずっといて、ラジールに接触する機会など、これまでの人生で一度も無かったのよ!! 私は、私は……人食い鬼なんかじゃない!! 人間だわ!!」
取り乱す私に、エルネストは、静かな声で言った。
「落ち着け、アイリス。あんたは、人間だ。ラジールは、あんたに入り込んではいない。あんたは、間違いなく人間だよ、アイリス」
エルネストは、震える私の腕から銀の大剣をスッと抜き取り、それを、私の後ろの執務机の上に静かに置く。そして、震えながら彼を見上げている私の真正面に回ると、右腕を前に、左腕を背に回し、深々と頭を下げた。その、まるで、国王にでも謁見しているかのような恭しい仕草に、私はその場に硬直する。彼は、頭を下げたまま、重々しい声で言った。
「……今まで隠していたことを、どうか許して欲しい。アイリス。俺は、あんたに……謝っても謝り切れない、罪を犯した」
彼はスッと顔を上げた。そして、動揺のあまり絶句している私に、いつもとは別人のような真剣な態度で告げた。
「我々ガルディエの一族の使命は、この国を、人食いの悪鬼ラジールから守護することだ。だが俺は、一度だけ、その使命を、果たせなかったことがある。この夏の終わりの、ラジールの襲撃だ。俺は……失敗したんだ。肉体を遊離したラジールの魂を、取り逃がした」
失敗! さっき城壁の上で、シメオンが言っていたじゃないか。『前回のような失態は犯すな』と……。動揺と混乱で声も出ない私に、エルネストはぎり、と唇を噛んで続ける。
「斬って、斬って、もうあと一撃で奴を倒せる、って時だった。城壁から、一体のラジールが躍り出て来たんだ。完全に、こちらの死角を突かれた。城壁を飛び上がったラジールの牙が、俺の足を掠め……俺は反射的に、そいつを避けて飛び退いていた。すぐさま背後からシメオンの槍がそいつを貫いたが、その時には既に、俺の真上にいたラジールの魂は、ふらふらと漂い去っていた。俺は追った、これ以上はないというほど全力で。だが、あと僅かで届く、というところで、奴は俺の剣の切っ先を逃れ、城壁を超えて国内に入り込んだ」
彼は、これまで見たこともない苦悶の表情を浮かべている。私は、掠れた声で辛うじて言った。
「では……あなたは、それが、私のところへ……ヴェノワへ来たと言うの?!」
「そうだ。俺達は、この大失態をすぐさま国王に報せ、同時に、馬を飛ばして取り逃した奴の行方を追った。もちろん、秘密裏に。言った通り、ラジールの魂は、人の体に入り込んで魂を食らう。しかもその魂は、ガルディエに伝わるこの聖剣か、東部ジャルダンに伝わる聖なる斧でしか倒せない。もしもそんな危険な存在が国内に入り込んだと知れたら、国内は大混乱に陥る。だから国王はこれを秘匿し、俺達は、この聖剣グランダルの光を頼りに、逃したラジールの魂を血眼で探した。あんたも見た通り、この聖剣グランダルは、肉体を離れたラジールの魂の存在を感知すると、光り輝く。その光を頼りに俺達が辿り着いた先は……ヴェノワだった。国内一の霧の名所、ヴェノワ。瀕死の奴は、夜霧に紛れ、ヴェノワの白霧の森に逃げ込んだんだ」
エルネストは、苦しそうに息を吐き、続ける。
「ラジールの魂は、実体を持たないその姿のままでは、一日と経たずに消滅してしまう。だから奴は、宿主となる人間を狙った。奴らは、生きた人間の体に入り込み、長い時間をかけてその魂を喰うことで、人間の体内で力を取り戻すんだ。奴は、明け方、追手の俺達から逃れ、人家に舞い降りた。それが、白霧の森からほど近い場所にある屋敷……ヴェノワ伯爵家だった。俺は配下と共に、必死で奴を追った。ラジールの魂は、徐々にその力を失い、グランダルの光も、それに呼応して、ほとんど消えかけていた。このままうまくいけば、奴は、人間を捕らえる前に消滅する、そう思った。朝陽が上り、霧が晴れて来た。ラジールの魂がふっと掻き消えて、聖剣グランダルの光が途絶えた。と同時に、ばたん、とドアの閉まる音がして、ヴェノワ伯爵家を覆う霧が晴れ……そこにいたのは、菫色の髪の、若い女だった。ラジールの魂が人に入ってしまえば、グランダルはもう感知出来ない。あれは夜明け頃で、庭には、井戸で水を汲もうとしているその女以外に人影はなく……俺は、その若い女に、ラジールの魂が入った、と思った。それが、アイリス。あんただったんだよ」
「そんな……そんなことって」
膝に、力が入らない。今にも、この場に崩れ落ちそうな脱力感。目の前が、ぐらぐら回って……気づいたら、エルネストの腕に、抱き留められていた。体の震えが、収まらない。何を言っていいのか、分からない。私は、思いも寄らないエルネストの告白に、耐えきれず号泣していた。
「私……私……」
「すまない、アイリス。こんな重大なことを、ずっと隠していて。何度も、明かすべきか迷ったが……どうしても、言えなかった。あんたに……嫌われたくなくて。軽蔑されたくなくて」
エルネストは、泣きじゃくる私をきつく抱きしめて、言った。
「ラジールの魂は、女に入る前に消滅したのか? それとも、女に入り込んでしまったのか? 俺達には、判断がつかなかった。だが、放置することは出来ない。ラジールの魂が人の体内に入ってしまったら、取り出す術はない。宿主ごと斬るしかないんだ。人に入ったラジールが宿主の体を喰い尽くせば、奴は外に出て来てしまう。一匹でも奴らが野に解き放たれれば、非力な人間など、簡単に食い散らかされてしまうだろう。そんな事態は、絶対に避けなければならない。だから俺は、どうにかして、ラジールがあんたの体に入ったかどうか、見極めなければならないと思った。そのための一番手っ取り早い手段が……あんたの言う通り、求婚だったんだ」
彼は私を抱きしめたまま、ぐす、と鼻をすすり、顔も上げずに続ける。
「ラジールの魂が入った人間は、体のどこかに、赤黒い特徴的なあざが出来る。それがあんたの体にあるかどうか、俺はどうしても確かめなければならなかった。だが、ガルディエとヴェノワに繋がりは無く、俺とあんたにも当然、面識はない。これが娼婦なら金を払えば済むことだが、あんたは、立派な伯爵令嬢だ。見知らぬ令嬢の肌を合法的に見るには、他に手段は無いと思った。俺は大至急国王と相談して婚姻の許可を取り、早馬を飛ばしてヴェノワに求婚の書状を送った。そして、あんたは俺の思惑通り、求婚に応じた。それで俺は、あの夜……あんたの部屋に忍んで行ったんだ」
お読み頂き、ありがとうございます。
エルネストに明かされた求婚の真実に、アイリスは…
次回「第34話 アイリスとエルネスト」どうぞお楽しみに!
この先2話にわたり、少し大人っぽい描写があります。
苦手な方はご注意下さい。
明日からの平日は、先週と同じく12:10更新です。宜しくお願いします。




