第32話 宴は過ぎて
大広間がざわつき、シメオンが、困惑したように私に問いかける。
「あ、あの……アイリス、様? その……どうかなさいましたか?」
私は、目尻の涙を拭って、シメオンに言った。
「いえ……ごめんなさい、失礼な真似をして。でも、なんだかとても、面白かったから」
「はあ……面白い、ですか?」
「ええ」
私はシメオンに頷き、こちらに怪訝な顔を向けているエルネストを見上げた。彼は、気まずそうに視線を逸らす。
「あなたが、いつも祝宴で、女の人を侍らせていたのは知っているわ。だから今日も、きっとそうなのだろうと思っていたのだけれど。良かったの? 誰も呼ばなくて」
「う、うるせえな! いいだろ、別に! てか、あんたは、俺が女と一緒にいた方が、良かったのかよ?!」
私は、ぶっきらぼうに答えるエルネストに、首を振った。
「いいえ。ただ私、あなたに気を遣わせてしまって、悪かったかしらと思って。あなたは前に、私よりも可愛がっている女達が山ほどいる、って言っていたから」
「ぐっ……! そ、それは……」
広間の皆が、非難がましい顔でエルネストを見た。彼は「なんだよ、お前ら?! 盗み聞きしてんじゃねえよ!!」と叫ぶ。私は、苦笑しながら、言った。
「だから私、きっと今日は、綺麗な女の人に囲まれているあなたを、遠くから見ているだけかしら、と思っていたの。でも、こうして、あなたのそばにいられるなんて。私、とても嬉しいわ。……本当にありがとう、エルネスト」
私が、笑顔でエルネストに言うと。広間中からわっと歓声が起こり、あちこちから口笛と喝采が飛んで来た。エルネストが、「るっせえぞ、お前ら!!」と赤い顔で声を張り上げる。
「ああああ! もう、知るか! おいっ、お前ら、酒持ってこい! 朝まで死ぬほど飲み明かすぞ!」
エルネストの声に、広間がわああ、と再び喧騒に包まれた。入り口からは沢山の酒樽や料理が運ばれ、あちこちで再び馬鹿笑いが起こる。楽しい宴の再来だ。
「アイリス様! 今、ちょっと、宜しいですかっ?!」
ラウラだ。見ると、彼女の後ろには、幾人かの使用人の女の子たちが、恥ずかしそうにもじもじと身を寄せて立っている。私は、軽く首を傾げて微笑んだ。
「ああ、ラウラ。さっきは、七面鳥をありがとう。とても美味しかったわ。それで……そちらは?」
ラウラは「御礼なんて、滅相もない!」と笑顔で言ってから、後ろの女の子達を私の前に押し出した。
「実はですね! 私の友達のみんなが、是非一度、アイリス様とお話をしてみたい、と言うので連れて来たんです! 良かったら、少し、お付き合い頂けませんかっ? こんな時でもなければ、皆がアイリス様とお話をする機会なんて、ありませんので!」
彼女たちは「きゃー!」と顔を赤くして押し合いへし合いしている。なんだか、可愛らしい。アンジュみたいだ。アンジュもここに、呼んであげられたら良かったのに。アンジュは、元気にしているかしら。早く、アンジュに会いに行きたい……。
私は、内心の切なさを隠し、笑って頷いた。
「ええ、もちろん、いいわよ。私こそ、あなたたちのような可愛い皆さんとお話が出来るなんて、嬉しいわ!」
それから、沢山の使用人や騎士団の人たちが、私のところへ挨拶に来てくれた。彼らが顔を赤くして、嬉しそうに私に声をかけてくれるから、私はとても幸せだった。私に向けてくれる彼らの親しみの情が、手に取る様に、感じられたから。
(ここの人達は、なんて気さくで、温かい人達なのかしら。私は、幸せ者ね……)
ここは、戦場の城。私のこれまで過ごして来たような、貴族の屋敷とは違う。私は、けれど、最初はとても冷たく、怖く感じたこの城が、今では大好きになっていた。まるで、第二の故郷みたいに。
(それは、エルネストに対しても……って、あら? エルネストが、いない? どこに行ったのかしら)
ふと振り向くと、隣にいたはずのエルネストがいない。色んな人達と話をしていて、気づかなかった。もう今は、夜半もすっかり過ぎている。泥酔して床に寝る者、半裸で前庭に飛び出し大騒ぎする者などが出て、正気の人々が文句を言いながら彼らを担いだり引きずったりして帰って行くのが見えた。まだ残って賑やかに騒いでいる者も大勢いるのだが、ホールを見回しても、エルネストの姿はどこにもない。
きょろきょろしている私に、背後から野太い声がかけられた。
「アイリス様、閣下をお探しですか? 閣下でしたら、先ほど、居館の屋上に向かわれましたよ!」
シメオンだ。私が振り向くと、彼は「失礼、急に話しかけて」とニコニコと続ける。
「屋上には、夜通し警戒を続ける見張り兵たちがいますからね。閣下はいつも、祝宴の時は、そういう兵士達にも労いの言葉をかけて回るのです。先程は城壁の方に行かれていて、一度お戻りになりましたが。ちょうど今少し前に、今度は屋上に上がって行かれましたよ」
「そうだったの……私、全然、気が付かなかったわ。ごめんなさい。そんなことにも気が及ばないなんて、これじゃあ、城主の婚約者失格ね……」
私がしょんぼり言うと。シメオンは「わはは!」と笑って手を振った。
「いやいや、とんでもない! アイリス様は、城内の者に引っ張りだこでしたからね! 彼らは貴女様と言葉を交わせて喜んでいるでしょうし、祝宴の席で人々と交流するというのも、城主夫妻の重要な責務ですから。閣下も、それでこそ自分の婚約者だ、と思っていらっしゃるに違いありません!」
そう言って、シメオンは、「あ、それと」と私にぺこりと頭を下げた。
「アイリス様、先ほどは、助け舟をありがとうございました。アイリス様がああして朗らかに受け流して下さらなかったら、私は閣下に、半殺しにされるところでしたよ!」
わはは、と笑うシメオンに、私は笑って首を振る。
「いいのよ。私は、本当に楽しかったの。だって、あなたたちを見ていると……エルネストのことを本当に慕っているのが、とてもよく分かるから」
シメオンは「仰る通りです」と照れ臭そうに笑った。私が「どうぞ、かけて」と近くの椅子に促すと、彼は「では、失礼して」と腰を下ろす。周りの幹部たちは、いつの間にか酔いつぶれて、床で寝てしまったようだ。皆、大いびきをかいて、気持ちよさそうに眠っている。
シメオンは、暫くぼんやり広間を眺めていたが。やがて、優しい顔つきで私を見下ろして、言った。
「もうガルディエには、慣れましたか」
「ええ、そうね。最初は、緊張していたけれど……今はすっかり。ガルディエは、とてもいいところね」
私が笑顔で彼を見上げると。彼は「それは良かった」と心底嬉しそうに頷いた。
「実を申しますと。あの日、イチイの木の下で、初めて貴女様にお会いした時。私は、『こんなに冷たそうな女性を閣下の元へお迎えして、本当に大丈夫なのだろうか』と内心、とても不安だったのです。いや本当に、今となっては、失礼極まりない誤解だったわけですが」
シメオンはバツが悪そうに頭をかいた。私は笑って頷く。
「いいのよ。私は、自分が周囲からどう見られているか、よく知っているから。あなたも『ヴェノワの氷姫』に会って、さぞ驚いたでしょう」
シメオンは「いやいや」とひたすら恐縮しながら、続ける。
「本当に、今となっては、己の愚かさを恥じ入るばかりです。貴女様は、氷の姫君なんかじゃない。言い訳するわけではありませんが、このシメオン、貴女様が、聡明で気品に溢れた、心優しいご令嬢であることは、すぐに見抜けました!」
シメオンはそう言って胸を張り、「がーははは!」と笑った。彼が座っているのが、私の隣の席で助かった。もしこれが真向かいだったら。彼の口から噴射される大量の唾を、真正面から浴びていたに違いない……実際、シメオンの前の床に伸びている騎士団の人達の上に、それはシャワーのごとく降り注いでいた。
熊のような大男シメオンは、そんなことは気にもせず、笑顔で私を振り向いた。
「先ほども申し上げましたが。アイリス様が私共の敬愛する閣下のご婚約者様で、本当に良かった。私共ガルディエの者は、みな心からそう思っております。なぜなら……貴女様は、閣下にとって、ただ一人の心安らげるお方なのですから」
「え?」
私は思わず、隣に座った巨躯のシメオンを見上げる。彼は言った。
「閣下はこれまで、誰といても、どこにいても、いつも心に壁を作り他人を拒絶していた。今とは別人のように、笑っていても、本当に近寄りがたく、恐ろしい雰囲気で」
「……前にラウラも、そんなことを言っていたわ」
「でしょうね。この城砦にいる者は、きっと誰しもが感じていることでしょうから。そんな閣下が、貴女様がいらして、少しずつ変わって来られたのです。あの方の身に纏う雰囲気から、他者に対する拒絶が、猜疑が、冷酷が、消えて来た。長く閣下にお仕えしている私共には、分かります。私共は、それが……この上なく嬉しい。私共の敬愛する閣下が、やっと、心許せるお相手に出会われたのだと」
と言って、彼はふいに、酷く真剣な顔をした。その瞳の強い光に、私は思わず身構える。シメオンは、何か言おうと口を開き……だがそれを飲み込んで、言った。
「……アイリス様。どんなことがあろうとも。貴女様は、閣下にとってただ一人の大切なお方だということを、どうかお忘れなきよう。私共一同、お二人のお幸せを、切に……切に願っておりますゆえ!!」
私は、訳が分からず、無言で彼を見つめる。シメオンが、ははは、と笑って首を振った。
「いや、何を言っているのでしょうね、私は。少し、飲み過ぎたようです。水でも飲んで酔いを覚まして来ましょうか。さ、アイリス様も、お疲れでしたら、自由に退室なされて大丈夫ですよ。奴らは、朝まで飲み明かすでしょうから。閣下もお戻りになるか分からないし、どうぞ、ご無理なく」
「え、ええ……」
席を立つシメオンに、私もつられるように立ち上がる。ふと見ると、シメオンが、エルネストの、あの聖剣グランダルを手にしているではないか! 私は、驚いて問いかけた。
「し、シメオンさん! その剣は、エルネストの……」
「え? ああ、これですか。そうですよ。閣下が、後ほどお部屋に届けるように、と私に預けて行かれたのです。畏れ多いことに、戦勝後の酒宴ではよくあるんですよ、実は」
ははは、と笑うシメオンに、私は戸惑って問いかけた。
「届けるように、って……エルネストは、その剣を、護身用に肌身離さず持っているのでは?」
「え? いえ、そんなことはありませんよ。この聖剣グランダルは、ラジールを倒すためだけの特別なものですから。アイリス様も、ご覧になったでしょう。ラジールの魂を呼ぶ、この剣の輝きを。この神器を扱えるのはガルディエ直系の方だけですし、この剣が斬り裂けるのも、ラジールとその魂だけです。他のものは、何一つ斬れません。だから、こうして私が持っていても、まさに宝の持ち腐れってわけですが」
冗談めかして言うシメオンに、私は目を見開く。ラジールを倒すためだけの、特別な剣? それならば、なぜ、あの夜。
エルネストは、この剣を、私の寝室に持って来たのだろう……?




