第31話 勝利の宴
その夜は、私が見たこともないほど盛大な宴が開かれた。
闘いから戻った者達は皆、入浴や着替えを済ませて居城の大広間に集まって来ている。その中心にいるのは、もちろん彼らの主であるエルネストだ。いつもの絹シャツに着替えた彼の周りには、シメオンや騎士団の幹部たちが侍り、酔っぱらった赤ら顔で馬鹿笑いをしている。
もう時刻は大分遅くなっているはずだが、この城砦の人達には、そんなことは関係ないらしい。城内はどこもかしこもお祭り騒ぎで、厨房も、これまで戦のためにと貯えていた食材を全て放出するかの如く、豪勢な料理を次々と仕上げては大広間へと運び込んで来る。酒樽も山ほど並べられていて、まさに狂乱の宴、と言いたいところだが。
(例の、女の人達は、どこなのかしら? 皆の噂では、ほとんど裸のような派手な衣装を着た女の人達が、歌って踊って、城主の関心を引くために競い合う、と聞いたけれど)
私は、ラウラと共に、大広間の入り口にいた。煌びやかな女性達の姿はどこにもないが、兵士たちの馬鹿笑いや食器の賑やかな音が、大広間の外まで響き渡っている。宴はかなり前に始まっていたものの、ラウラが「戦勝祝いの宴ですからね! 閣下のご婚約者であるアイリス様には、それはもう、美しく着飾って頂きませんと!」と鼻息荒く言うので、身支度に時間がかかってしまったのだ。
今夜私が着ているのは、いつもより格式の高い、ロイヤルブルーの絹のドレスだ。これもエルネストからの贈り物だが、私はまだ、一度も着たことがなかった。あまりにも高価そうで、こんな特別のお祝いでもなければ、とても着られない。優美に揺れる裾には細かなダイアモンドが散りばめられていて、私が動くたびに光を反射して、星のようにキラキラ輝いている。ダイアモンドの耳飾りと首飾りもいつもよりも高価な品で、支度を手伝ってくれたラウラは「な、な、なんてお美しいのでしょうか! 女神様のようです!」と絶叫していた。
私の傍らに立っていたラウラが、うきうきと言う。
「盛り上がってますねえー! ささ、アイリス様! どうぞ中へ!」
「え、ええ。あの、かなり遅れてしまったけれど。今から入っても、いいのかしら?」
「もちろんですよ! ガルディエの宴は、出入り自由ですから! もう帰った者も、今から来る者もいます! 閣下は、アイリス様のことをお待ちだと思いますので、胸を張って参りましょう! ささ、ご遠慮なく。どうぞどうぞ!」
私は、興味津々で頷いた。こんなに派手で賑やかな宴など、私はこれまでの人生で一度も参加したことがない。社交界の、気取った貴族の舞踏会とは大違いだ。ここでは、誰もかれもが、大酒を飲んで楽しそうに馬鹿笑いしている。舞踏会で、淫らな下心を隠しつつ変な愛想笑いをしている貴族たちと違って、この大広間の彼らは、心から楽しそう。
(皆、とても楽しそうね! 誰も彼も、親しそうで、遠慮がなくて……なんだか、一つの大きな家族みたい!)
私は、ラウラの後に続いて大広間に足を踏み入れた。室内は雑多な喧騒に満ちていて、辺りに漂う酒の匂いだけで酔っ払いそうだ。
(ラウラは、遠慮なくというけれど。私は、どこにいればいいのかしら? 戦のあとの宴だもの。騎士団の配下に囲まれているエルネストの邪魔をしたら、悪いわよね)
と思っていたのだが。私に気付いた人々は、笑顔で道を開けてくれる。さっと別れた人波の向こう、真正面に、エルネストがいた。酒杯を手にした彼は、私を見て、驚いたように目を見開いている。主の視線に気づいたシメオンが振り返り、たちまち顔を赤黒く染めて、叫んだ。
「おお! これはこれは、アイリス様ではありませんか! お待ちしておりました! さあさあ、そんなところにいらっしゃらないで、どうぞこちらへ!」
エルネストのそばにいる騎士団の人々が、一斉にこちらに顔を向ける。ラウラがさっと脇に寄り、私に前に行くよう促してくれた。皆の注目を浴びて、いささか居心地が悪いが、ここで逃げ出すわけにもいかない。私は、密かに緊張しながら、シメオンの手招きする方へ行き、ゆったりと頭を下げた。
「……遅れてしまって、ごめんなさい。今からお邪魔しても、いいかしら?」
シメオンが、いつも大きい声を酒の勢いでさらに大きくして、言った。
「もちろんでございます!! それにしても、ああ……なんとお美しいのでしょう、アイリス様!! その白い肌、その優しい眼差し、その優雅な仕草! まるで、氷の女神様が地上に下り立ったかのごとき麗しさです! 我々の敬愛する閣下のご婚約者が貴女様で、私共は本当に幸せです! ご婚礼の日が今から待ち遠しいですよ、がーははは! おいっ、お前らぁ! アイリス様の美貌に、乾杯だああ!」
シメオンは、勢いよく酒杯を突き出した。なみなみと酒の入っていた巨大なカップから酒が溢れ、座っている配下達の頭の上に滝の如く降り注いでいる。だが彼らは、そんなこと気にもせず、頭から酒を浴びながら「うおおお、乾杯!」と野太い声で大合唱していた。
(なんだか……色々凄いわ! あの人達、お酒でずぶ濡れだけど、大丈夫なのかしら?)
私は思わず、興味津々で彼らを眺める。シメオンが、エルネストに大声で言った。
「閣下あ! 閣下のお美しい婚約者様が、ようやくお出ましですよ! ささ、どうぞどうぞ、アイリス様! 閣下のおそばへ!」
私は、鳴り響く口笛の中、エルネストの隣に座らせられた。エルネストは、彼らの囃し立てる声にいつも通り「馬鹿かよ、お前ら」と機嫌よく応じているが、私のことは決して振り向かない。と、そこへ、ラウラが人混みをかき分けて、私のそばに笑顔で駆け寄って来た。
「アイリス様! 厨房長の特製、七面鳥のガルディエ風オーブン焼きをお持ちしました! 戦勝祝いの宴でしか食べられない、幻の逸品なんですよ! 是非召し上がって下さい!」
そう言って私の前に置かれた皿には、ハーブをまぶしてこんがり焼いた七面鳥のスライスが載せられていた。上には、溶けたチーズと薫り高いソースが、付け合わせには、ローストしたナッツや、ニンジンやインゲンなどの彩り野菜が添えられている。私は、ラウラに笑顔で「ありがとう!」と御礼を言った。
ここでは、戦勝祝いの宴だけは、誰でもが飲食を共にして良いらしい。身分も年齢も性別も関係ない、無礼講だ。エルネストによれば、戦の勝利は兵士だけによってもたらされるものではなく、食事や生活の後方支援まで、この城砦にいる全員の力で成し得るもの。だから勝利は、等しく全ての者で祝うべき、というのが、ガルディエ伝統の考え方だそうだ。だからこそ、この城内の人々の結束は固く、まるで一つの巨大な家族のような連帯感があるのかもしれない。
ラウラは、祝宴でだけは自由に話しかけて良い城主に、笑顔でぴょこんと頭を下げた。
「閣下! 戦の勝利、おめでとうございます! これで目下の憂いは無くなりましたし……次の大きな宴は、アイリス様との婚礼の宴ですよね! 私共一同、それはもう、楽しみにしておりますので!」
興奮して目を輝かせるラウラの声に、広間中から一斉に拍手と口笛が起こった。私は、皆に囃し立てられて恥ずかしくなり、ちら、とエルネストを見る。彼は、いつも通りではあるけれど、やっぱり私の方を見もせずに言った。
「なんだよ、お前ら? 人のことより、自分達のことを考えたらどうなんだよ。これからは、祝宴に女を呼ぶことはないからな」
ええーっと言う声と、ヒューヒュー言う声。シメオンが胸を張り、広間中に響く大音量で言った。
「それはもう、当然でございましょう!! 私は、これまでも長らく、そう進言して参りました!! 私共の敬愛する閣下には、あのような、強欲で淫乱で、性格の悪い女共はふさわしくありません! 確かに、彼女らのいやらしい体は、閣下の肉欲を満たすには最適だったかもしれませんが……あっ!!」
左右の配下が必死の形相でシメオンの腕を引っ張り、シメオンは赤黒い顔を青くして、口元を押さえた。大広間がしん、と静まる。私が、隣に座っているエルネストをそっと見ると、彼は珍しく、その場に固まっていた。広間中の人々が、エルネストの機嫌を窺うように、息を潜めている気配。私のそばにいるラウラが、声もなく「あわわわ」と唇を動かしているのが見えた。
私は思わず、プッと吹き出していた。
広間中の視線が、一斉に私に向いた。でも私は、堪えきれずに、声を上げて笑っていた。
「ふ、ふふふ……あははは!」
お読み頂き、ありがとうございます。
楽しい宴の中、アイリスはエルネストの姿を見失い…
次回「第32話 宴は過ぎて」どうぞお楽しみに!
今週末は1日1回、11:30の更新になります。
宜しくお願いします♪




