第30話 美しき野獣の王
私の絶叫と、辺りの「閣下ぁぁ!!」という叫び声が見事に合わさった瞬間。
白銀の刃が月光のように閃き、恐ろしい唸りを上げる。美しい軌跡と共に切り裂かれる、灰色の影。直後、キイイィン、と甲高い耳鳴りのような音がして、私は耳を塞いで身を屈める。辺りの人々も、悲鳴を上げて身を屈めた。だが、エルネストは、堂々とそこに立ち、髪を風に靡かせて、再び両手で大剣を構えている。私は、恐怖にガクガク震えながら、彼の鋭い視線の先を辿った。切り裂かれた灰色の影が、夜空をのたうち回るように浮遊して、再びエルネストに向かって流れ落ちて来る!
私は悲鳴を上げたが、彼は間一髪のところでそれをかわし、大剣を振り抜いた。輝く軌跡が夜空に閃き、灰色の影は再びその輪郭を削ぎ落とされる。鼓膜を突くような不快な音と共に、灰色の影は再び、上空へと勢いよく舞い上がる。だがやはり、それはエルネストの頭上を漂い、くるくる旋回しながらも、彼から狙いを外さない。
(一体、なぜ?! どうして、あいつはずっとエルネストを狙っているの? あっ?!)
その時、私は気づいた。剣だ! 彼の、あの聖剣グランダルが、恐ろしく光り輝いている。上空を漂うラジールの魂は、まるでその光に吸い寄せられるように、再びエルネストに向かって急降下して来る! それと同時に、城壁の端からは、弓を手にした兵士の一人が、青ざめて振り返り、叫んだ。
「団長おお!! ラジールが、城壁を上って来ます!!」
シメオンの絶叫が、城壁の上に響いた。
「閣下を援護しろ!! 閣下の邪魔をさせるな! 前回のような失態は、絶対に侵してはならん!! ラジールなんぞ、一匹残らず、城壁から払い落とせ!! 第三小隊!! ……撃てええ!!」
再び城壁から放たれる、燃え盛る火矢の雨。白い霧の底が、赤く燃える。私は腕で顔を覆いながら、必死に考える。
(前回のような、失態……? 前回の防衛戦で、彼らは、何か失敗したのかしら……って、ああっ、上手く考えられない!! どうしよう、怖い……!)
私の視線の先で、エルネストが再び灰色の影を切り裂いた。と同時に、城壁の向こうではラジールの阿鼻叫喚が響く。人生で初めて経験する、恐ろしい戦場。何も出来ない自分がもどかしいが、怖くて全身が震えて、立つことすらままならない。けれど私は、それでも、決して俯くことなく、どうにか顔を上げていた。私は今、どうしようもなく無力だ。けれどせめて、エルネストと同じ場所で、エルネストの闘いを、見届けたい……。
灰色の影は、次第にその輪郭を小さくしながら、上空をゆらゆらと漂っていた。その弱った様子に、私が少し安心した時。戦場の喧騒の中、今まで冷淡に、無表情に剣をふるっていたエルネストが、初めて眉を寄せるのが見えた。
「逃げるか……そう簡単に、逃げられると思うなよ!!」
彼はそう呟くと、ふいに城壁上を駆け出した。彼の見上げる先で、その力を失い始めたラジールの魂が、のたうち回りながらその軌道を大きく変え、王国内部へと向かって漂って行くのが見える! シメオンが絶叫した。
「閣下あぁあ!! ……第八小隊、持ち場に付け! 奴を逃すな、閣下を援護だ!! ……撃てぇぇ!!」
シメオンの怒号に、城壁の先に展開した部隊が、一斉に夜空に向かって火矢を打ち上げる。灰色の影は、行く手に突如現れた炎の幕に行き場を失い、その場に停滞した。エルネストは、その一瞬の隙を、逃さなかった。彼は、白銀に輝く大剣を手に、鬼神のごとき迫力で城壁を駆け抜けて行き。彼が、戸惑う灰色の影の真下に追いついた瞬間。
エルネストは、城壁を蹴って飛び上がり、大剣を振り下ろしていた。
月光のような軌跡が閃き、灰色の影の中心で暗く渦巻いていた黒い塊を、真っ二つに切り裂いた。直後、それは、細かな光の粒となって闇夜に溶けて消えて行き。辺りから、わっ! と歓声が上がる。城壁に下り立ったエルネストは、大剣を手に、激しい呼吸を整えていた。
閣下、万歳!! の大合唱に、エルネストはゆっくり立ち上がり、大剣を腰の鞘に納めている。私は、ドッドッと口から飛び出そうなほどに早く打つ自分の心音を聞きながら、深い息を吐いていた。膝がガクガクして、今にもこの場にへたり込んでしまいそうだ。こちらに歩いて来るエルネストは、真紅のマントを翻して、威風堂々歓声に応えていると言うのに。
(ああ、良かった、エルネスト……無事で、本当に良かった……!)
シメオンが、エルネストの元へ駆け寄って来て、叫んだ。
「ラジール、退却!! その数半分以上を失い、散り散りになって逃げ出し始めております!!」
城壁の端に並んで下を見ていた火矢部隊が、わあわあと喜んでいる。エルネストはシメオンに頷き、城壁から下を眺めた。そして、拳を突き上げて声を張り上げる。
「我らの勝利だ!! 皆、よくやった!!」
わあああ!! と歓喜の声が響き渡る。私は、わなわなと震えながら、激しい動悸を整えた。
(勝った……勝ったのね!! エルネストは、彼らは、恐ろしい敵を、退けたのだわ!!)
城壁の端に立つエルネストが、ゆったりとこちらを振り向いた。彼のアッシュブロンドの髪が、吹き上げる風に麗しく靡き、その翡翠の瞳が、燃え盛る篝火を受けて、黄金に輝いている。端正な顔に不敵な笑みを浮かべた彼は、ひどく野性的で恐ろしく……同時に、とてつもなく美しかった。
(野獣の、王……! これが、エルネストの力なのね……!)




