第28話 俺の妻になる女だから
あちこちから鳴り響く警報の鐘の音と、人々のざわめき。アンジュに手紙を書いていた私は、急いで立ち上がった。すぐにラウラが、血相を変えて私の私室に飛び込んで来る。
「アイリス様!! ご無事ですね、ご気分は悪くないですね!」
「ラウラ! ええ、私は平気よ! 遂に、人食い鬼が……」
「はい、でもまだ、ここへは到達していません! 尖塔の見張り兵が、遠くにラジールの動きを認めたようで……今、騎士団が迎撃の準備を整えています!!」
「エルネストは……」
と言った時、ちょうど、廊下に複数の靴音が響いて来た。エルネストだ! 私はラウラの「あっ、アイリス様!」と制止するのも聞かず、部屋から飛び出していた。
「エルネスト!!」
騎士団の配下達を従えて大股で廊下をやって来た彼は、驚いたようにこちらを見た。私は鳴り響く警報の鐘の中、彼に駆け寄る。
「エルネスト!! ラジールが、城砦に向かっているって……」
「ああ。夕暮れで気温が下がって、霧が濃くなって来た。もしや、と思ったが……まあ、想定していたことだ。問題ない」
「あなたは、これからどうするの?」
「前線に出るに決まってんだろ。さっきまでシメオン達と一緒だったんだが、鎧と、剣取りに来た」
「私にもお手伝いさせて! お邪魔にならないようにするから!」
エルネストは頷き、私は彼とその配下と共に、彼の部屋に入る。皆、さすがは手慣れたものだ。白銀に輝く王者の鎧に、あの夜見た、まるで神器のような銀の大剣。流れるように支度を整えていく彼らの様子に、私は邪魔にならないように、言われたものを手渡すくらいしか出来ない。全ての装備が整い、彼が無言で配下に頷いた時。
「エルネスト。これを」
エルネストが、私に視線を向けた。騎士団の人々が脇に下がる中、私は急いで彼のそばに行き、両手を差し出す。手のひらの上にあるのは、ガルディエの美しい紋章を刺繍したお守りだ。彼が驚いたように私を見る。私は彼の、燃えるような翡翠の瞳を見つめながら、言った。
「ラウラに聞いたの。ガルディエの、伝統的なお守りなんでしょう? 女の人から、大切な男の人に贈るものだ、って。だから私、あなたの無事と戦の勝利を祈って、一生懸命作ったのよ」
「あんたが……俺のために?」
私は頷き、ラウラに聞いた通りに、それを彼の腰ベルトにしっかり付けた。エルネストは、暫くお守りと私を見つめていたが。やがて「ありがとな」と真剣な顔で頷き、真紅のマントを翻して踵を返した。私は咄嗟に、その後姿に声をかける。
「エルネスト!」
配下に取り囲まれた彼が、半身をこちらに向けた。私は彼の邪魔をしないように、急いで問いかける。
「私も……お手伝いさせてもらえない? この前シメオンさんにお願いして、騎士団の火矢部隊の皆さんに、火薬の補充の仕方を教えてもらったの。何度か、訓練の場にも参加させてもらったわ」
その場にいた騎士団の面々が、エルネストに顔を向ける。私は、この場にいる彼らのほとんどと、顔見知りだ。なぜなら私は、ここ最近、騎士団の鍛錬場に頻繁に出入りしていたから。
(ガルディエでは、戦時の人員に性別は関係ない、と聞いたわ。この城砦の誰もが、勝利を得るために各自の出来ることをする、と。であれば、私だって、自分に出来る範囲でお手伝いをしてもいいはず)
私が鍛錬場に顔を出した時には、多くの騎士団員が驚きはしたものの、門前払いはされなかった。実際、火薬や矢の補充には多くの女性も関わっていたし、ここでは年若い子供だって、騎士団予備兵として、城砦内を伝令役で走り回っているのだから。それに。
「私も、あなたの……この城砦の人達の、お役に立ちたい。絶対に、邪魔にならないようにするから。……駄目かしら?」
エルネストは、私を真っすぐ見つめ……すぐに、白銀に輝く小手を付けた手を、スッと私に差し出す。私は彼を見上げた。
「来いよ、アイリス。但し。絶対に、無理はするなよ」
「ええ、分かったわ! ありがとう、エルネスト!」
私は、大股で歩くエルネストについて前庭に出る。警報の鐘は既に鳴りやんでいたが、あちこちから飛び出て来た人々で、城内は騒然としていた。
ラウラは私達の話を聞いていたようで、電光石火の速さで飛んで来て、私に鎖帷子を着せてくれた。前に、騎士団に所属する女性達に聞いた。ガルディエの防衛戦では、補給のために城壁に上がる者は、男女関係なくこの鎖帷子を身に着けるそうだ。鎧より滑らかで、頭から膝までを覆うローブのような防具。だが、これは布ではなく細い金属で編まれているため、とにかく重い。でも私は文句も言わず、よろめくこともなく、エルネストについて行った。皆の足手まといになるわけにはいかない。それに私はこのところ、ラジールの生態に関する書物や、ガルディエの戦術書を何冊も読みふけっていた。だから、少しは知識が身についているはず。
エルネストが姿を現すと、あちこちから「閣下!!」という歓声が上がる。煌びやかな白銀の甲冑に真紅のマントを翻らせた彼は、堂々と彼らの間を歩いて行った。その威風堂々な姿に、城砦の人々が、彼を慕って、頼って、その周りに集まって来る。騎士団の若い男が、血相を変えて駆け寄って来た。
「閣下!! お出まし、ありがとうございます!!」
「状況は」
「はっ!! 霧がどんどん濃くなっております! 篝火をこれでもかと焚いておりますが、霧の底に潜むラジールの奴らの正確な数は不明!! ですが、シメオン団長が先程まで遠眼鏡でご覧になっていた感じでは、せいぜい中隊くらいだろう、とのこと!! 団長は既に、火矢部隊と共に城壁に上がっております!」
「火薬の準備は万全だろうな?」
「はっ!! 火矢部隊は皆、新型火薬を搭載した矢を装備しております!!」
「それでいい」
エルネストは頷き、私を振り返った。彼の、人を寄せ付けないような恐ろしい迫力に、私はドキリとして背を伸ばす。
「アイリス。補給を手伝おうという心がけは殊勝だが……ひとまずあんたは、俺のそばにいろ。理由は……上に上がれば分かる」
「え……は、はい! 分かったわ!」
私はエルネスト達と共に、城壁に上がった。ガルディエの高い城壁の内側には歯車式の昇降機が付いていて、人や物資を上に運ぶことが出来るようになっている。上部に行くに従って、風は強く冷たくなり、夜風と篝火の匂いに、私の緊張は嫌でも高まる。
(これが、噂の昇降機なのね! 騎士団の人から存在を聞いてはいたけれど、実際に乗ってみると、なんて高さなのかしら……でも、怖がっている暇なんてないわ。皆に迷惑をかけるわけには、いかない)
吹きすさぶ夜風の中、城壁の上に降り立つ。堅牢な城壁の上には数えきれないほどの篝火が並び立ち、暗い夜の底を燃やすかのように煌々と燃え盛っていた。それでもなお、立ち込める白い霧を、完全に払うことは出来ないらしい。城壁の上は多少視界がきくが、城壁の下は白霧に沈んで、何も見えない。
「閣下!!!」
シメオンだ。黒檀のように鈍く光る甲冑姿のシメオンが、ガチャガチャ音を鳴らして小走りにやって来た。エルネストが鋭い声をかけた。
「どうだよ、首尾は」
「はっ!! 夕暮れ前から遠眼鏡で見ておりましたが……ラジールの奴らの数は、凡そ500というところでしょう! もうそろそろ、本隊がこの城壁の真下に到達しているはず! 第一小隊に、火矢を射かけさせましょう!!」
エルネストは表情も変えずに頷いた。
「新しい火薬を試す絶好の機会だ。景気よくやってやれ」
「御意!!! このシメオンに、お任せを!!!」
シメオンは勢いよく胸に手を当てる。そして踵を返すと、「お前らぁ!!! 火矢の準備はまだかあ!!」と怒号を上げて走り去って行った。城壁の上では弓と矢筒を持った部隊が着々と持ち場につくが、戦場など見たこともない私は、怖くて、意思とは無関係に、体の芯から震えが沸き上がって来る。辺りに漂う火薬の匂いに、城壁の下から吹き上げて来る強い風。
(怖い……! これが、現実の戦場なのね! 訓練と実戦では、まるで……)
「怖い?」
エルネストの声に、ハッと顔を上げる。私の右前に立ったエルネストは、その場に腕組みをして堂々と立ち、城外に鋭い視線を向けたまま続けた。
「戦場なんて、初めて見るだろ? 怖いよな」
「いえ……その、ごめんなさい。私、絶対に皆さんの足手まといには……」
「無理しなくていい。初めてここに立った奴は、騎士団員だろうが誰だろうが、足がすくんで動けなくなるんだよ。その場に座り込まないだけでも、あんたは立派だ」
エルネストは城外を見据えたまま、淡々と言った。そうか。だから彼はさっき私に、自分のそばにいろ、と言ったのか。彼の言った通りだ。城壁に上がって初めて、その理由が分かった。訓練も重ねたし書物の知識もあるから、大丈夫だと思ったのに。ただただ怖くて、足がすくんで、動けない……。
「ごめんなさい。私……何も分かっていなかった。軽率だった。戦場に出たこともないのに、手伝わせて、なんて、気安く言えることでは……」
私は泣きたい気分で謝るが、エルネストは私の言葉を遮り、きっぱりと言った。
「あんたは、俺の妻になる女だから」
え? 私は思わず彼を見上げる。彼は、ゆっくりとこちらを振り返り、真剣な顔つきで言った。
「アイリス。あんたはもう、ヴェノワの人間じゃない。あんたはこれから、俺の、ガルディエ辺境伯の、妻になる女だ。だから俺は、今日、あんたをここに連れて来た。ガルディエの闘いを、見てもらうために。あんたに……アイリスに、ガルディエの人間に、なってもらうために!」




