第25話 どうしました、閣下?
アイリスが静かに出て行って。エルネストは、緊張の糸がぷつりと切れた様に、ずるずると椅子の上で体を弛緩させる。そして天井を仰ぎ、両手で顔を覆った。
(俺のために? アイリスは、俺を心配して、ああして来てくれたのか……)
それなのに。腹の底から、やり場のない怒りが沸き上がって来る。エルネストは頭を抱え、地団太を踏んで髪を掻きむしった。
「ああああー、もう!! 何してんだよ、俺は!! 俺は、あいつの言葉が、心底嬉しかった!! 本当の俺を……誰にも言えない俺の苦しみを、アイリスになら、理解してもらえるんじゃないか、と……そんな風に思えた女は、あいつが初めてなのに……なのに、なんで俺は、突っぱねて追い返してんだよ!? クッソだせえ……!!」
アイリスを前にすると、なんだかひねくれてしまって、どうしても素直になれない。エルネストは「なんでだよ、このクソ野郎!! 最低だろうが!」と頭を抱えた。
(アイリスが俺の求婚に応じたのは、弟を助けるためだけだ……だがそう思うと……俺は、あいつが……アイリスが、俺のことを愛しているわけじゃない、と思うと、気が狂いそうになる!! 俺なんか、そんなこと言える立場じゃないのに!)
エルネストは、椅子の上で頭を抱えてのたうち回りながら、考え続ける。
(しかも俺は、あいつに『あんたに惚れてない』とか『欲しいのはあんたじゃなくてワイン』とか、最低なことばっかり言っちまった……本当は、あいつに拒絶されて、自分が傷つくのが怖いだけなのに……って、なんつー情けねえ奴なんだよ、俺は!!)
その時、コンコン、という控えめなノックの音がした。まさか、アイリスが戻って来た……? エルネストは焦って、ボサボサ頭のまま立ち上がる。が、扉の外からは、呼んでもいない男の声がした。
「閣下? シメオンです、今宜しいですか」
エルネストはチッと舌打ちし、ぞんざいに「入れよ」と答えた。「失礼します」と一歩入って来たシメオンが、エルネストを見て首を傾げた。
「閣下? どうしたんです、その乱れた御髪は? 暴風に吹かれた麦畑のようですが?」
「うるせえな!! なんでもねえよ、ほっとけ!! ……クッソ、最悪の気分だ……」
怒り口調で椅子に腰かける主に、シメオンは不思議そうに「はあ……」と言った。エルネストは不貞腐れて、シメオンを振り返りもせず言う。
「で? 何の用だよ」
「閣下、腹具合はいかがですか」
突然のシメオンの問いかけに、エルネストはぶっと噴き出した。
「はあ?! 腹具合?! なんだよ、いきなり?! 腹なんか、別にこわしてねえよ!」
「いやいや! 違いますよ、腹減ってませんか、ってことです」
エルネストは眉を潜めてシメオンを見上げる。シメオンは気まずそうに頭をかいた。
「いや、それがですね。朝からこの雨でしょう。外に出られないので、私、下の小ホールで鍛錬していたんですよ。そしたら、勢い余って、奥のテーブルに置いてあった卵のボールを落としてしまって。侍女らに大目玉を喰らったんですが、結構な数が割れてしまったので、厨房長が、じゃあ、戦前の景気づけに、殻を取り除いてケーキでも焼くか! って。今ちょうど焼き上がったんですよ! 閣下もご一緒に、いかがです?」
食事室に行くと、騎士団員や使用人がわいわいと楽しそうに集まっていた。辺りに漂う甘い匂いが、なんとも幸せな気分にさせる。
「あっ、閣下! こちらにどうぞ! ちょうど、アイリス様も今、下りていらしたところなんですよ!」
ラウラだ。笑顔で手招きする彼女の隣で、アイリスが控えめに会釈している。エルネストは、不貞腐れた顔でそっぽを向いた。
(ああああー! クッソ、何してんだよ、俺は! あいつは別に、何も悪くないのに……)
エルネストを先導するシメオンが、そんな主の様子には気付きもせず、アイリスとラウラの元へまっすぐ歩いて行く。甘いものが大好きなシメオンは、上機嫌に言った。
「いやあ、しかしいい匂いだなあ! 閣下、ラウラがここに席を用意してますから、アイリス様とお二人でケーキをどうぞ。私、さっき厨房長に言って、お二人の分はハート型に焼いてもらったんですよ。戦前の貴重な、恋人同士のティータイムですからね! 私もこう見えて気が利くでしょう、わーははは! ん? どうしたんだ、ラウラ」
先程からこちらの様子を窺っていたラウラが、シメオンの袖を引っ張っている。シメオンはきょとんとこちらを振り向いた。そして、軽くのけぞる。
「ど、どうしました、閣下!! その、不機嫌なお顔は!? やっぱり腹具合が!?」
「……悪くねえ、って言ってんだろ。うるせえ奴だな」
低く呟く主に、シメオンは「はあ、そうですか」と間の抜けた返事をした。ラウラは、困った顔で三人を見ている。アイリスが苦笑して、こちらに声をかけてきた。
「今、お茶を淹れたところなの。良かったら、ここに来ない?」
エルネストはむしゃくしゃしながらも、彼女の指した椅子にどさっと腰かけた。ラウラとシメオンがホッとした顔をする。アイリスが隣に座り、いつもと変わらない静かな声で言った。
「ケーキ、切りましょうか。ちょっと、難しいけれど」
そう言って、アイリスは一生懸命、ハート型のケーキを切っている。そんなもの、真ん中でずばっと切りゃあいいのに、と思うが。
(そうすると、ハートが真っ二つになって縁起が……って、何考えてんだよ、俺は! 女々しいガキじゃあるまいし!!)
「出来た! ちょっと、形は悪いかもしれないけれど。はい、どうぞ。アプリコットに、クリームもあるのよ」
アイリスが、綺麗に切ったハートの右上部分を、エルネストの皿に入れてくれる。そして、白いクリームとアプリコットのスライスを丁寧に載せてくれた。ふと、彼女と至近距離で目が合う。エルネストは気まずく思いながらも、ぼそりと呟いた。
「……ありがとな」
アイリスは目を丸くし、すぐに「どういたしまして」と微かに首を振った。俯いたその滑らかな頬が、うなじが、美しく上気している。エルネストは、視線を逸らして咳払いした。
(ああああー!! クッソ、なんだよ、こいつ!! わざと? わざとか?! 試してんの、俺のこと?! その手には乗らねえからな!!)




