第23話 可哀想?
私は顔を上げ、頷く。視線が絡む。彼が何か言おうとして……口を噤み、色気のある笑みを浮かべた。
「へえ。残念。いい音色だったから……もっと聞きたかったのに」
「良かった! 練習した甲斐が、あったわ」
私がほっとして息を吐くと。彼がふいに、ニヤリと笑って身を乗り出した。
「ところでさ。あんた、それ、何の曲か知ってんの?」
「なんの? さあ……」
私は首を傾げる。メラニーは、特に何も言っていなかったけれど。と思っていたら。彼が肘掛に肘をついて、笑って言った。
「『愛欲に溺れて』。それ、ガルディエでは、新郎新婦の、床入り前の儀式で奏でられるんだけど。なんつーか……そういうこと?」
メラニーさん!!! と心の中で叫びながら、私は焦って首を振った。
「ち、ち、違うわ!!! 私はただ、あなたに、安らいで欲しいと思って……!!」
エルネストは笑って立ち上がった。そして奥のキャビネットで酒瓶を物色しながら、気楽な様子で言う。
「メラニーだろ」
「え」
「その楽器。メラニーに教えてもらったろ。その曲も。あいつの旦那が得意だったやつだ」
「メラニーさんの……旦那様?!」
彼は私の前に美しい銀のカップを置き、ワインを注ぎながら言った。
「そう。吟遊詩人。もう死んだけどな」
「そうだったのね……メラニーさん、私には何も言ってくれなかったわ」
「だろうな。あいつ、秘密主義だからさ。ああ見えて、すげえ警戒心強えんだよ。……で、これ。ヴェノワの有名なワイン。俺のお気に入りのやつ。あんたにとっては、懐かしいだろ」
エルネストが微笑んだ。私は、瓶にぶら下がっている懐かしいヴェノワの絵柄付きタグに、思わず頬を緩めて頷いた。
「ええ、本当に! 嬉しいわ。私の父も、この銘柄が大好きだったのよ!」
私達は軽く乾杯をして向き合って座る。エルネストは暖炉の火を見ながら、黙っている。私もまた、彼と同じように、オレンジ色の火の、灰色の煙となって上っていくのを無言で見ていた。
「……で?」
エルネストの声に、顔を上げる。彼はこちらを見ないまま続けた、その端正な顔が、暖炉の火に仄かに照らされている。
「どういう風の吹き回しだよ? なんで、いきなり楽器なんて? ヴェノワでは、コンチェラなんぞ触る機会は無かっただろ?」
私は頷いた。コンチェラは、ヴェノワ地方ではあまり流通していない。
「ええ。でも私、何かしたかったから」
「ははっ! ここは、あんたには退屈か? そりゃそうだよな、あんたはほとんど、部屋にほったらかしで……」
嘲るように笑うエルネストに、私は真顔で首を振った。
「いいえ、違うわ。そう言う意味じゃなくて……私は、何かしたかったのよ。あなたのために」
エルネストが、眉を寄せてこちらに顔を向けた。私は思い切って切り出す。
「ごめんなさい。私……夜中にあなたがうなされているのを、聞いてしまったの。あなたは毎晩、とても苦しそうだわ」
あの夜から。エルネストは、ほとんど毎晩、うなされていた。実際には、あの夜からではなく、ずっとそうだったのかもしれない。私が、気付いていなかっただけで。
彼は真顔でこちらを見つめている。私は、ワインを一口飲み、静かに言った。
「ごめんなさい。盗み聞きしたわけじゃないの。隣の部屋だから、聞こえてしまったのよ。でも、気付いたら、心配でたまらなくなって……何か、あなたの気分を紛らわせてあげることが出来たら、と思ったの。それで、メラニーさんにコンチェラを教えてもらったのよ。音楽なら、少しは、安らかな気分になれるかしら、と思って」
「……可哀想?」
「え?」
「俺のこと、可哀想だと思った?」
エルネストは、革張りの椅子に座ったまま、私から視線を逸らせた。暖炉の火が、彼の美しい横顔に、絵画のような光と影の陰影を描き出している。
「一人で苦しんでる可哀想な奴を、慰めてやろうと思った? いらねえから、そういうの。俺、一人で平気なんで。大体、俺がうなされてるとか、あんたの気のせいだろ。俺のことなんて何も知らないくせに、分かったような素振りすんじゃねえよ」




