第22話 雨の部屋で、ふたり
それから数日経った昼下がり。
その日は久しぶりに朝から本降りの雨で、戦の準備は一旦休憩になった。保存食に湿気は大敵だし、火矢の火薬なども濡れてしまったら使い物にならないからだ。私は、雨の中奇襲でもされたら、と心配したのだが、朝食の席でエルネストが言うには、食人鬼は雨と泥を極端に嫌うから、雨が降れば襲撃はまずない、とのことだった。
「ねえ、ラウラ。本当に、大丈夫かしら。私、ちょっと緊張しちゃうわ」
自室にいた私は、小さな竪琴片手にラウラに問いかけた。彼女は目を輝かせて何度も頷く。
「ええ、ええ、大丈夫に決まっています! ここ最近、毎日密かに練習して来たじゃないですか! 私も毎日聞かせて頂いておりますが、それはもう、素晴らしい音色です! とても、つい最近始めたばかりとは思えませんよ。閣下もきっと、喜ばれること間違いありません!!」
私はあの日以来、メラニーに楽器を教えてもらっていた。これは『コンチェラ』という名の楽器で、5本の弦がある美しい竪琴だ。ガルディエ地方に古くから伝わる竪琴らしく、エルネストの母親が、この優しい音色が大好きだったそうだ。メラニーは、『閣下のお母様である辺境伯夫人は、よく吟遊詩人を呼んで、歌わせていたのですよ。彼の歌声は……それは素晴らしいものでしたわ』と、なぜか少し悲しそうに言っていた。
ラウラが、私のアメジスト色のドレスのリボンを結びながら、首を傾げる。
「それにしても、メラニーさんはよくそんな昔のことをご存じでしたね。彼女は一体、何者なのでしょうか」
「本当にね。結局、肝心なことは何一つ、教えてくれなかったわ。でもきっとまたいつか、ここに来てくれるわよ。その時こそ、もっとゆっくり、あの方とお話してみたいわ」
メラニーは昨日、来た時同様、風のように軽やかに去って行った。自らの素性も、エルネストとの関係も、何一つ明かさないまま。けれど彼女は、この楽器のことだけは、みっちり教えてくれた。持ち方に姿勢、弦の弾き方から、簡単な曲の練習まで。『大丈夫。基本を押さえれば、初心者の方でも十分弾けますわよ!』と言って。但し、それを自分がどこで習得したのかだけは、最後まで教えてくれなかったが。
ラウラが突然、「あっ、この足音は!」と言って、ドアに飛んで行って耳を潜ませる。廊下に、固い靴音……エルネストだ。私もドアにそっと近づいて耳をそばだて、ラウラと顔を見合わせて頷き合う。固い靴音が隣の部屋に消えるのを待って、私は静かに言った。
「……彼、部屋に戻ったようね。良かったわ。シメオンさんにお願いしておいて」
私は朝食後、密かにシメオンに頼み、エルネストが少し部屋に戻るように取り計らってもらっていた。ラウラがはしゃいで手を叩く。
「さすがアイリス様! 準備はバッチリですね!!」
私はにこりと笑って頷き、ラウラと一緒に部屋を出る。隣は、エルネストの部屋だ。私はまだ、一度たりとも訪れたことが無い。彼の部屋のドアをノックする直前、ちら、とラウラを振り返った。彼女は、柱に隠れながら両腕で大きな丸印を作っている。私は、ラウラのはしゃぎっぷりに苦笑しつつ、コンコン、とドアをノックした。
「誰だ」
中から、低く鋭い声。私は、いつもの声で淡々と答えた。
「アイリスよ。今、少しいいかしら」
暫しの沈黙。コツコツ、と固い靴音がして、がちゃり、とドアが開く。絹のシャツの前をはだけて、いかにも寛いでいた様子のエルネストが、私を訝しそうに見下ろしていた。
「……なんだよ? あんたが訪ねて来るなんて……雨どころか、槍でも降るんじゃねえの」
廊下をちらと見ると、ラウラの姿はもうどこにもない。隠れているのかもしれない。私はエルネストを見上げた。彼は腕組みをして、私の言葉を待っている。
「……お邪魔しても?」
私の言葉に、エルネストはドアを広く開け、顎をしゃくる。入れ、という意味だろう。私は会釈して、彼の部屋に足を踏み入れる。私の背後で、ドアが静かに閉まった。
エルネストの部屋は、私の部屋よりも断然広かった。執務室と寝室、二間の続き部屋らしく、例の、私の部屋に通じていると言う扉は、今ここからは見えない。この部屋の正面には、窓を背にして大きな執務机があった。あとは、大きな暖炉と応接セット。奥には酒瓶の並ぶキャビネットもある。どの家具も重厚なマホガニー製のようで、白く優美な家具の並ぶ私の部屋と違って、どこか男性的な印象だ。
「初めてお邪魔するけれど、素敵なお部屋ね」
私が素直にそう言うと、エルネストは笑って執務椅子にどさりと腰を下ろした。そして、両手を頭の後ろで組んで横柄に言う。
「お褒めに預かり嬉しいね。……で、何? 夜這いに来るには、早すぎる時間だけど?」
いかにもからかっているその口調に、私はムッとして首を振った。
「いいえ。違うわ。……生憎だけれど」
「なんだよ。怖い顔。冗談に決まってんだろ。じゃあ、何だよ? 俺に何かして欲しいことがあるなら、手短に……」
「いいえ。あなたに、して欲しいことじゃないわ。私が、あなたに、してあげたいことがあるの」
「あんたが……俺に?」
エルネストは驚いた顔で、頭の後ろで組んでいた両手を解いた。私は持参したケースから、小さく優美な竪琴を取り出す。彼が目を見張った。
「それは……」
「ええ、コンチェラよ。あなたのお母様は、この音色がとても好きだったと聞いたわ」
エルネストは真顔で、コンチェラと私を交互に見ている。私は言った。
「あまり、上手ではないかもしれないけれど。私、一生懸命練習してきたの。あなたは毎日ゆっくり休む暇もないから、少しは気分転換になるかも、と思って。良かったら、聞いてくれる?」
エルネストはじっと私の言葉を聞いていたが、スッと立ち上がり、暖炉前に歩いて行った。そして、皮張りの椅子に腰を下ろし、首を傾げて微笑む。
「……いいね。聞かせてくれよ」
私は頷き、彼の向かいに腰かけた。アメジスト色のドレスが、椅子を流れ落ちるように優美に広がる。これもエルネストの贈り物のドレスで、私のお気に入りの一着だ。
(大丈夫。メラニーさんと一緒に、毎日あんなに練習したんだもの。まずは、この弦を弾いて……)
ポロン。柔らかな音色が室内に響く。音は狂っていない。私は安心して、覚えた楽曲をゆっくり奏で始める。メラニーが教えてくれたのは、何曲かの、滑らかな旋律の美しい曲だった。吟遊詩人ならここに歌声も載せるのだろうが、素人の私にはとてもそんな芸当は出来ない。でも。
エルネストは、静かに耳を傾けてくれていた。そんなに、上手ではないかもしれない。でも、こうして二人で、暖炉の前で向かい合っている時間は、温かくて幸せだった。窓を打つ雨粒の音と、竪琴の旋律、そして暖炉の火の爆ぜる音が、私達の間を緩やかに通り過ぎる。
幾つかの曲が終わって、最後の一音が、雨の夕方に溶けて消えた。沈黙が下りる。晩秋の雨の音がぱたぱたと、二人きりの部屋を満たしていく。エルネストが囁いた。
「……もう、終わり?」
お読み頂き、ありがとうございます。
雨の一日、暖炉の前でのんびりする二人。次回「第22話 可哀想?」どうぞお楽しみに!
明日からの週末は、2日連続、11:30と16:30の1日2回更新になります。
そして、もう間もなく、ガルディエでは大きな戦いが…
続きもお楽しみ頂けますように♪




