第2話 奇妙な求婚
「黙れ! 姉様は、呪われてなんかいない! そんなの、お前が勝手に流した悪い噂だろ!」
アンジュが顔を赤くして怒鳴った。ミゲルが「うるさい、小僧!」とアンジュ目掛けて足を振り上げる、アンジュが目をつぶった……が、私は二人のその動きを、正確に見ていた。私は、こんな時のために台所に隠しておいた栗のイガを布巾で掴み、ミゲルの足目掛けて力いっぱい投げつけた!
「ぎゃっ?!」
グサッ。特大のイガが、彼のトラウザーズの太ももに勢いよく刺さった。ミゲルが慌ててイガを払い、けれど今度は払ったその手を痛がっている。その間抜けな顔に思わず吹き出しそうになるが、笑っている場合じゃない。私は、ぽかんと口を開けているアンジュを「こっちよ!」と引き寄せ、寝室へと突進した。ミゲルが怒り狂って私に向かって来る。
「こんの……小賢しいアバズレが! もう我慢ならん、今ここでお前を殺して……」
アンジュが「姉様!!」と絶叫した時。突然、玄関から大きな声が響いた。
「ミゲル殿! 書簡が、届いております!」
私達は一斉に玄関に目を向けた。老執事、ギュスタフだ。マーサの夫で、長く父に仕えていた優しい老執事。彼は、細い体を直立させて、震えながら叫んだ。
「ミゲル殿! 書簡が……」
「ええい、うるさい! 聞こえておるわ! 今はそんなもの……」
「速達です! ガルディエ辺境伯より、先ほど早馬にて届けられました!!」
「……何? ガルディエだと?」
ミゲルが眉を潜めた。私はアンジュを抱きしめ、二人で成り行きを見守る。
ミゲルが、ギュスタフからぞんざいに書簡をひったくった。金の縁取りのある、美しい書簡だ。封蝋には、見たこともない紋章が押されている。
(ガルディエと言えば、国中に悪名を轟かせる、恐ろしい辺境伯の治める地だったはず。でも、ヴェノワとガルディエは、領地境を接しているだけで、交流など無いわ。一体、何の書簡かしら)
ガルディエ領は、このヴェノワの北隣だ。早馬で書簡など、何か、領地上の問題でも起きたのだろうか……。私はドキドキしながら、ミゲルが手紙を読むのを見守った。書簡の文字を追うミゲルの目が、次第に見開かれていく。
「……『私、エルネスト・ド・ガルディエは、亡きマイユ・ド・ヴェノワ伯爵のご息女、アイリス殿に婚姻を申し込む。本婚姻につき、マイユ伯は既に故人のため、直に国王陛下よりご許可を賜ったので、念のため申し添える。但し、娘は身一つで寄越せ。従者の同行は許さん。持参金も不要。婚礼荷物は最低限、鞄一つ程度。なお、当方国土防衛の責重く正式な婚儀は未定だが、急ぎ娘を寄越さなければ、ヴェノワ伯爵家は相応の報いを受けるだろう』……」
書簡から顔を上げたミゲルの顔が、驚きと恐怖に強張っていた。私もまた、驚きに目を見開く。
貴族法では、爵位と領地が国王預かりになっている貴族の場合、特例でその家の子に対する婚姻の許可を、国王から直接受けることが出来る。貴族の婚姻は全て政治的なものだから、それで問題はないとされていた。だからといって、そんな特例を本当に利用する、強引な人物がいようとは。ミゲルが、掠れた声を絞り出す。
「あの野獣が……アイリスに求婚だと?! そんな、まさか!!」
ガルディエ辺境伯、エルネスト。国内最強の騎士団を有するガルディエ家の当主にして、我が国の北部国境を防衛する、国内屈指の武人。だがエルネストは、その武勇と派手な行いのせいで、人々から『野獣辺境伯』と呼ばれ恐れられていた。彼は、北部大森林から襲い来る食人鬼ラジールを撃退して称賛を集める傍ら、戦勝時の酒と女の狂乱の宴により、嫌悪と反感も同時に買うという呆れた男だ。
(そんな男が、なぜ私に求婚を? ヴェノワとガルディエには何の繋がりもなく、私と彼は、会ったこともないのに)
エルネストは、これまで一度も結婚していない。それは、彼の女遊びの派手さのせいもあるが、単純に彼の気性が激しく、彼が男女問わず他人を信用しないせいだ、と噂されていた。彼が常にそばに置いているのは、ガルディエ騎士団長ただ一人。だから世間では、もしかしたらその男が、エルネストの公然の愛人なのではないか、とも噂されている。
私が無言で考えを巡らせていると、ふいに、ミゲルが高い声で笑い出した。
「……そうか、きっと、そうだ! あーははは! これはいい! 貴様は、ガルディエの野獣が食人鬼に差し出す『生贄』というわけか!」
私は「生贄?!」と怯えるふりをして、冷静に考えを巡らせる。ミゲルは残忍な顔で言った。
「いつだか、雑報紙で騒がれていた。ガルディエの野獣は、最強でもなんでもない。あの男は密かに、自分の女を人食い鬼共に生贄にくれてやって、奴らを追い返しているんだと! 陰気で他に嫁の貰い手もない『氷姫』なら、生贄には申し分ないだろうよ。俺が手を下すまでもない、お前は、ガルディエで人食い鬼に喰われて死ぬ、というわけだ!」
ミゲルは上機嫌に、泣きそうなギュスタフを連れて離れを出て行った。アンジュが、泣きながら私にしがみつく。
「姉様!! 嫌だ、行かないで!! 生贄なんて、絶対に、嫌だ! わああん!」
「大丈夫、落ち着いて、アンジュ。姉様に、考えがあるの」
私は泣き喚くアンジュをなだめ、居間の椅子に腰かける。そして、アンジュに囁いた。
「いい? これは、チャンスよ。私、辺境伯に会って、ミゲルをこの家から追い出す力を貸してもらえないか、頼んでみる」
「えっ? でも……そんなこと、出来るの? だって、野獣だよ?! 姉様にもしものことがあったら、僕……わああん!!」
「ほら、泣かないの。姉様の話を聞いて。ミゲルの話は、嘘よ。彼がいつも読んでいるのは、本当のことを伝える論考紙じゃなくて、でたらめしか書かれていない、雑報紙だから。姉様はね、ギュスタフに頼んで、ミゲルには雑報紙だけを渡すようにお願いしていたの。ミゲルが嘘に騙されるように。ミゲルは浅はかだから、簡単に騙せるわ」
「えっ?! そうなの?!」
顔を輝かせるアンジュに、私は笑顔で「ええ」と頷いた。ただでさえ、派手な振舞いで目立っている辺境伯なのだ。生贄なんて、衆目を集めて雑報紙を売りたいがための版元の大嘘に違いない。
「だから、姉様のことは心配しないで。アンジュも知っての通り、姉様は、力は弱いけれど、頭はよく回るのよ。きっと辺境伯は、何か目的があって私に求婚してきているはず。それと引き換えに、お願いしてみるの」
「じゃあ……辺境伯の最強騎士団に、あのミゲルをやっつけてもらうの?!」
目をキラキラさせるアンジュに、私は笑って首を振った。
「いいえ。力を借りると言っても、そう言う意味じゃないわ。姉様はね、貴族法の抜け穴を使って、どうにかしようと思っているの。でも、辺境伯が協力してくれるかは、分からないけれど」
アンジュは幾分ガッカリした様子を見せながらも、不安そうに言った。
「そうなんだ……。でも、本当に大丈夫なの? 僕、姉様に何かあったら……」
私は、震えるアンジュを抱きしめた。本当は、アンジュを連れて行きたい。けれど、この子は国王からの爵位返却を待つ身。正式な爵位相続まで、ヴェノワを出るわけにはいかないのだ……。
「約束する。姉様は必ず、あなたを助けるために、ここに戻って来る。だから、アンジュも約束して。姉様が帰るまで、ミゲルに逆らわず、大人しくしているのよ。私、適当な嘘を言って、ミゲルを脅しておくわ。もしもアンジュに悪さをしたら、辺境伯がここに兵士を送ってくる、というようにね。ミゲルには、私の代わりに、マーサにあなたのお世話をさせるよう約束させるから」
苦し紛れの脅しだが、その脅しは、きっと効果がある。書簡から顔を上げた時、ミゲルの瞳が恐怖に揺れていたのを、私は見逃さなかった。常識では、辺境伯が国内に兵を送るなどあり得ない。だが、『気性の激しい野獣なら』という恐怖が、国内の暗黙の了解として根強くあったから。
私はアンジュと、額をこつん、と合わせた。
「大丈夫、きっと上手くいくわ。諦めないで、頑張るのよ。私達の幸せな居場所を、取り戻すために!」
私達は泣きたいのを堪えて、しっかり抱き合った。ガルディエ辺境伯、エルネスト。野獣と呼ばれる彼は、一体、どんな男なのだろう……。




