第18話 あいつといると、変になる
アイリスを抱き寄せて、彼女の甘い香りを、その柔らかい肌のぬくもりを、この身に感じると。どうしても、あの夜のことが思い出されてしまう。自分に無理矢理ドレスを剥ぎ取られた彼女は、怯えて、震えていた。それなのに。
(あんな状況で、あいつは、俺に願いごとをして来やがった。しかも、自分のためじゃない、弟のために。どうしてだよ? 自分が傷つけられるかもしれない、って時に、どうしてそんなことが出来るんだ)
アイリスを前にすると、エルネストは、妙な尊敬の念に駆られる。これまで自分は、腕力や権力で全てをねじ伏せて来た。食人鬼はもちろん、宮廷の貴族共の下らない権力争いだって、それを上回る『力』で解決して来たのだ。それなのに。アイリスは、非力で権力も持たないくせに、必死に知恵を働かせて、どうにか自分の道を切り開いて行こうとする。その姿は、エルネストから見ればひどく新鮮で……率直に言って、立派だった。
(あいつの体……綺麗だったな……)
ベッドの上で、恥ずかしそうに体を隠していたアイリス。淡い月光に照らされた彼女の裸体は……恐ろしく美しく、官能的だった……とまでうっかり考えてしまったエルネストは、叫び出したい気持ちをどうにか飲み込んで、肘掛の上で拳を握り、目を固く瞑る。
(うあああ!! クッソ!! 考えるな、考えるな、俺!! あいつのあの姿を思い出すと……あいつが欲しくて、気が狂いそうになる!! ……駄目だ、駄目だ駄目だ!! あいつは、俺がどうちょっかい出しても無表情だし、俺のことなんぞ、何とも思ってないに違いない……クッソ、なんで、どうでもいいクソ女どもは簡単に俺に靡くのに、よりにもよってアイリスだけは、俺にニコリともしてくれねえんだよ!?)
エルネストは何度か深呼吸をして興奮を押さえながら、考え続ける。
(落ち着け、深呼吸だ……大体、あいつが俺の求婚に応じたのは、俺のサインが欲しかっただけだからな。なのに、俺が妙な色気を出してあいつに近づいたら、今度こそ完全に嫌われる……あいつのことだ、『エルネストは……そういう人なのね』とか、あの冷たい目と声で……うわああ、怖えぇ!! そうなったら、それこそ、一巻の終わりじゃねえか!!)
暖炉前で、シメオンがメラニーに喝采されて、鼻の穴を大きく広げて赤黒い顔をしている。呑気な奴らだ……。エルネストが呆れて彼らを眺めていると、ふいにシメオンが、「あ、そうだ」と、思いついたようにぽん、と手を打った。
「アイリス様と言えば。先程、アイリス様とお会いして、少しお話したのですが……」
エルネストは器用に片眉を上げる。主の不機嫌を敏感に察知したらしきシメオンが、焦ったように両手を胸の前で振った。
「いやっ!! お待ち下さい、閣下!! 私は、単に、ラウラとアイリス様が一緒にいるところに、通りすがっただけでして!! アイリス様とは、ほんの数秒、一言二言、言葉を交わしただけにございます!! ラウラも一緒でしたし、やましいところなど、露ほども……!!」
「……面倒な奴だな。だから、何なんだよ」
エルネストは不機嫌な声で言った。自分のいないところで、シメオンがアイリスと対面していた……と思うだけで、自分でも訳の分からない怒りが沸き上がって来る。シメオンは、直立不動の姿勢で叫んだ。
「ははっ!!! では、僭越ながら! アイリス様は、先程、閣下とメラニー殿が仲睦まじく居館に入られるのを、ご覧になっていたようです!! ラウラが言うには、ひどく悲しそうなご様子だった、と。アイリス様は、この私にも、閣下とメラニー殿は、二人きりの濃密な時間を楽しんでいるに違いない、という、なんというか、女性特有の、ちょっと考えすぎではないかな、とも思える恨み節を、淋しそうに呟かれておりました!!」
女にモテない純朴男シメオンは、アイリスの呟きを、悪意なく、かなり誇張して報告していた。エルネストが驚いたように少し口を開け、メラニーがふふ、と密やかに笑う。
「んまあ……辺境伯閣下。罪なお方ですわね? あなた様の大切な女性が……わたくしに、焼きもちを焼いてらっしゃるようですわよ?」
エルネストは平静を装いつつも、意図せず自分の顔が熱くなるのを感じる。メラニーが、再び忍び笑いを漏らした。
「あら、珍しい。閣下ったら! そのお顔は……本気、ということですかしら。うふふ! あなた様のお心が、他の女性のものになるのは淋しいですけれど……わたくし、閣下を全力で応援させて頂きますわ!」
メラニーの熱っぽい言葉に、エルネストはバツの悪さを隠してぶっきらぼうに言った。
「……さっさと下に行け、メラニー。そろそろ、下の奴らが騒ぎ始めるぞ」
メラニーがこの城で歌を披露する時にはいつも、騎士団の中で楽器の心得がある者達が、即席で楽団を編成していた。彼らはメラニーが大好きだから、無報酬でも喜んで彼女の後ろで演奏している。メラニーもまた、そんな男達には、気前よくハグしてやったりするのだった。
メラニーは「そうですわね」とからかうようにエルネストを一瞥し、優雅に頭を下げた。
「それでは、わたくしはこれで。辺境伯閣下、シメオン様、ごきげんよう!」
メラニーは上機嫌に私室を出て行った。パタン、とドアの閉まる音がして、シメオンがだらしないため息をつく。
「いやあ、メラニー殿は、相変わらずのお色気ですね! そりゃあ、アイリス様も、閣下との仲を勘ぐってしまうというもの……っと!! 失礼しました!! な、なんでもございません、閣下!!」
青ざめるシメオンに、エルネストは呆れて両手を上げる。全く、不用意な発言の多い奴だ。
「お前な……まあいい」
「はっ……」
エルネストは立ち上がり、窓辺へ歩いて行った。木枯らしが、ほとんど葉を落とした白樺の木々を揺らしている。久しぶりにうららかな午後だ。こういう日の夜には、霧が出やすい。日没で急に空気が冷えて、霧になりやすいのだ。
エルネストは、透明な風吹き渡る城砦を眺めながら、窓辺で腕組みをする。シメオンが、無言で主の傍らに控えた。空は水色に冴え、窓から差し込む晩秋の陽光が、エルネストの頬を淡く照らしている。美しき、ガルディエの秋……。と考えつつふと見ると、傍らに立つ巨躯のシメオンが、赤黒い顔で自分を食い入るように見下ろしていた。エルネストは眉を寄せる。
「……なんだよ?」
「へ……? ハッ……!! も、申し訳ございません、閣下!! 閣下が、あまりにもお美しく残酷な顔をしてらしたので……このシメオン、思わず見とれてしまいました!!!」
「馬鹿か、お前。言っとくが、俺は男色の趣味はねえからな。第一、残酷って何なんだよ。褒め言葉じゃねえだろうが」
「は、ははっ!!! 重ね重ね、申し訳ございません!!!」
エルネストは、勢いよく頭を下げるシメオンの細い三つ編み髪を、ぐっと引っ張る。この、戦以外ではどこか間抜けな副官に、なんだかいたずらしたい気分だった。
「う、うへえっ!?」
妙な声を上げてキョロキョロするシメオンに、エルネストは朗らかに笑って言った。
「お前もさっさと下に行って、今のうちにメラニーに構ってもらえ」
「か、かま……!?!?」
「なんだよ、だらしねえ顔だな。そんなことじゃ、あの百戦錬磨のメラニーを落とすなんぞ、いつまで経っても出来ねえぞ!」




