第17話 ヴェノワの疑惑
エルネストは、ぎり、と歯ぎしりをする。ドッドッと鼓動が早く打ち始めるが、過去を悔いても仕方がない。今の自分に出来るのは、あの大失態による悲劇を完全に防ぐことだけだ。
エルネストは、深呼吸して気を落ち着かせ、正面でじっとしているメラニーに視線を向けた。
「……悪い。待たせたな、メラニー。ヴェノワはどうだ。変わりないだろうな?」
メラニーは、待ってました、とばかりに、妖艶な笑みを浮かべる。
「ええ。閣下のご命令通り、ヴェノワ伯爵家の様子を見て参りましたけれど。特に異変はございませんね」
メラニーは、旅芸人と言う職業柄、どこに出向いても怪しまれない。彼女が町の辻に立ってタンバリンを鳴らし、その美声を披露すれば、大抵の者は気軽に家へと招き入れてくれる。だから、これはシメオンしか知らないことだが、彼女は以前から、エルネストの密偵のような役割を担っていた。必要あらば、エルネストは彼女に、知りたい相手の内情を探らせている……メラニーの要求する、高額な報酬と引き換えに。これは双方にとって、利益ある関係だった。
メラニーは立ち上がり、胸元から巻き煙草を取り出して暖炉の火で点火する。そして椅子に戻ると、紫煙をくゆらせて優雅に言った。
「ヴェノワ家の使用人の皆様にも、それとなく『あの日』のことを聞いて回りましたが……あの日、その時刻には、誰も外に出ていない、と。ヴェノワの霧は、深いですから。皆様口を揃えて、そんな時間に庭に出る奴なんていないよ、と笑っていました。閣下のご心配も尤もですが……やはり、騎士団の皆様の言う通り、何も問題はないのでは?」
黙って話を聞いていたシメオンが、エルネストに真顔で問いかけた。
「閣下。すると、アイリス様は……違ったのですね?」
二人の真剣な視線を受けて、エルネストは低い声で言った。
「彼女の体をくまなく調べたが、兆候は無かった。アイリスは違う。断言出来る」
言いながら、エルネストの胸が、きりりと痛む。あの夜……いくら懐疑に駆られていたとはいえ、アイリスの服を乱暴に剥ぎ取るような真似などしなければ良かった。そうしたら、彼女をあんな風に怖がらせることもなかったのに……と、今でも後悔の念に駆られるエルネストだ。
こちらの事情など知らぬメラニーが、あら、と口元に手を当て、意味深に笑った。
「嫌ですわ、閣下ったら! アイリス様とは、既にそんな親密なご関係でいらしたのね。うふふ! であれば、閣下。アイリス様を、このままヴェノワにお返しになるわけには参りませんわね?」
メラニーは、ふーっと長い煙を吐き出しながら、エルネストを楽しそうに見つめている。エルネストはそっぽを向き、ぶっきらぼうに言った。
「当初はそれでいいと考えていたが……そもそもこの婚姻には、国王陛下の裁可が下りているからな。陛下の面目を立てる意味でも、いくらアイリスが『違った』からと言って、そうすぐに、『はい、さようなら』とはいかないだろ」
我ながら、情けない言い訳だ。本当は、ただ自分が、アイリスを手放したくないだけなのに……だが、そう分かっていても、エルネストには、素直にそう口にすることは出来なかった。メラニーが、まるでエルネストの本心を見透かしたかのように、くすりと笑う。
「うふふ! では、そういうことにしておきましょう……ああ、それと。彼女の弟君の、アンジュ様。うらぶれた離れに閉じ込められているようで、お顔は拝見出来ませんでしたわ。使用人の皆様曰く、まだ年若く可愛らしい弟君だそうですね。皆様が、仲睦まじいご姉弟のことを、しきりと心配していらしたわ」
メラニーの言葉に、先日、あの屋上テラスでアイリスと話した時の記憶が蘇る。エルネストを見上げて弟のアンジュのことを話す彼女は……笑っていた。初めて見る、アイリスの、本当に幸せそうな笑顔。彼女の、いつも通り丁寧に結い上げた菫色の髪は秋の陽に輝き、陶器のように白く滑らかな頬は、吹き渡る秋風にほんのり上気していた。自分を見上げるアイリスの笑顔の、なんと可愛らしかったことか! エルネストは、胸の奥がうずくのを感じる。
(俺はあの時、不覚にも、心臓が止まるかと思った。あの笑顔を、弟なんかじゃなく、俺に向けてくれたら、と……俺はそんなことを、願っていい人間ではないのに)
エルネストは、身の内に燃える恋情を必死に抑え込み、何食わぬ顔でメラニーに頷く。
「ああ、アイリスに事情は聞いた。その弟を助けるために、アイリスは俺の求婚を受けたらしいからな。……おい、シメオン」
「はっ」
「うちの騎士団の精鋭を、ヴェノワから引き上げておけ。あれからもう半年だ。状況的に、もう危機は去った。あちらは引き上げて、食人鬼の襲撃に備えるぞ」
シメオンが武骨な声で「御意!」と答えた。
「わたくしはどう致しましょう? ご心配でしたら、またヴェノワに戻りますけれど?」
メラニーが、そう言って首を傾げる。エルネストは、疑惑を探るため、メラニーを暫くヴェノワに潜伏させていた。今回メラニーは、その報告をするために、ここガルディエにやって来たのだ。エルネストは首を振る。
「いや、いい。長く馴染みのない場所に居て、疲れたろ? 暫くここでゆっくりしていけよ。な、お前もそう思うだろ、シメオン?」
シメオンが赤黒い顔で「はっ!! 閣下のご意見に全面的に賛同です!!」と大声で言った。メラニーが「んまあ!」と軽く身をくねらせる。
「宜しいんですの、閣下? それでは、お言葉に甘えて、暫く逗留させて頂きますわ! ……ところで、閣下? アイリス様は、何もご存じないのでしょう。宜しいのですか、このままで?」
二人の視線が、エルネストに注がれる。エルネストは迷いなく頷いた。
「いい。国王陛下との密約だ。俺達の他に、絶対にこの秘密を漏らすわけにはいかない。このままにしておけ。アイリスには、いずれ俺から伝える。とにかく、まずは食人鬼だ。シメオン。領内に伝令を送り、物資の調達を始めろ。大至急だ」
シメオンが「御意!!」と胸を張った。
「お任せ下さい、この、ガルディエ騎士団長シメオン・ジュアノ!! 命を賭して、ラジールの奴らには、この美しいガルディエの地を一歩たりとも踏ませません!! これまでも、そして、これからも!!」
そう豪語する、騎士団の団長であり軍神とも呼ばれるシメオンに、メラニーは「素敵ですわ、シメオン様!!」と称賛の拍手を送り、エルネストは無言で頷いた。
ガルディエは、広い平地と清らかな河川に恵まれた、国内でも有数の穀倉地帯。実りの秋になると麦穂なびく一面の畑が豊かに輝き、今の時期であれば、あちこちに散らばる穀倉に、山ほどの小麦やその他の農産物が収穫されている。そのおかげで、この領地ひいては国内の人々は、厳しい冬を、飢えることなく安全に越すことが出来るのだ……。
ガルディエ。我が故郷、我が命。エルネストにとって、何ものにも代えがたい、大切な地。
『凄いわ! なんて素敵なのかしら。ガルディエは、いい所ね』
エルネストは、密かにため息をついて目を閉じた。近頃、何かというと、アイリスのことを考えている。無表情な彼女が、いつか、自分にあの可愛い笑顔を向けてくれないだろうか、と考えずにはいられないのだ。
(あああ、どうしちまったんだよ、俺は! 女なんて、どいつもこいつも、同じだと思っていたのに。なんでだよ、クソッ)
お読み頂き、ありがとうございます。
アイリスへの気持ちを認められないエルネストは…
次回「第18話 あいつといると、変になる」どうぞお楽しみに!
明日からの平日は、1日1回、20:10の更新です。
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