第15話 彼に、お似合いだわ
その数日後。私はラウラと一緒に、居館そばの庭園にいた。
「あのう……本当に宜しいのですか、アイリス様? なんだか、お手伝い頂くのは、恐縮なのですが……」
「いいのよ。私も、みんなの役に立ちたいのだもの。是非、やらせてくれる?」
ローズマリーを手にしたラウラが「はあ……」と頭をかいた。私は今朝、庭園に出てハーブ採取を手伝わせてもらっている。今晩の肉料理に使うハーブを摘むそうだ。私は言った。
「ヴェノワにいた頃、私はよく菜園の手入れをしていたのよ。弟のアンジュは、チキンのハーブ焼きが大好きだから」
ミゲルに強制された仕事でもあるけど。事情を知らないラウラが、嬉しそうに笑った。
「アイリス様は、本当に弟のアンジュ様が大好きなのですね! アンジュ様のお話をする時のアイリス様は、本当に優しくて、幸せそうなお顔をしてらっしゃいます!」
「えっ……そうかしら?」
「はい! 優しい姉上様がいらっしゃって、アンジュ様もお幸せですね。近いうちに、アンジュ様と会えるといいですね、アイリス様!」
私は「ええ、そうね」と頷いた。ラウラの言う通り、早く、アンジュに会いたいけれど。例の貴族院の沙汰が、まだ下りていない。ここで下手にヴェノワに帰ったら、あのミゲルが何か勘付くのでは、とそれが私は怖かった。
(あの男は愚かだけど、何かのきっかけで、貴族法の改正に気付かないとも限らない。ここで油断して計画が失敗したら大変だもの。あとひと月くらいの、辛抱よ。貴族院から後見人却下の通達が来たら、すぐに里帰りさせてもらおう。それさえあれば、ミゲルをやっとあの屋敷から追い出せるわ)
貴族院の決定事項は、絶対だ。一度申請が却下されたら、二度とミゲルはアンジュの後見人にはなれない。そうしたら、ヴェノワは完全にアンジュのものになる。私はその日が、待ち遠しくて仕方なかった。
(それに、アンジュがヴェノワ伯になれば。嘘か本当か分からないけれど、エルネストが欲しがっているワインだって、いくらでも彼にプレゼント出来るわ。それが本当に彼の求婚の目的なら、ね……)
背後が騒がしくなった。私達は顔を上げる。一台の馬車が、居館前庭に入って来ていた。前庭に、鍛錬中だった男達が嬉しそうに集まって来る。ラウラが目を丸くして「あれは……」と呟いた。そして、無表情にそちらを眺めている私に、慌てたように言う。
「あ、あのっ! アイリス様、ハーブはもう十分ですので!! そろそろ、お部屋に戻りましょうか!!」
「えっ? でも、まだこれだけしか採っていないわ。これで足りるの?」
「いいんです! さあ、お早く……」
ラウラに背を押されるようにしてエントランスに向かっていたら。前庭から歓声が上がった。私は、再びそちらに顔を向ける。ラウラが「あわわわ」と目を白黒させた。馬車から下りて来たのは……女性だ。深緑のビロードのドレスが艶めかしい。大きく開いたデコルテからは豊満な胸が、スカートの深いスリットからは肉感的な足が見えていた。鮮やかな杏色の長い髪は一本に高く結われ、ルビーの首飾りと耳飾りに、腰には銀のタンバリンがぶら下がっている。遠目に見ても分かる、目鼻立ちのはっきりした美女だ。
(華やかな人ね……彼女は、一体……)
と眺めていた私の視界に、真紅のマントが入った。居館から出て来たエルネストが、彼女を出迎える。美貌の城主が彼女をエスコートする様子は、まるで一枚の絵画のようだった。そこに、私の入る隙はない……。
ラウラが焦ったように私を見上げた。彼女の顔が青ざめている。
「待って下さい! 誤解です、アイリス様!! あの人は、単なる、旅芸人の女性です! たまにガルディエの兵士を鼓舞するために訪れてくれて、それで騎士団の男共の士気が上がるから、って……別に、閣下個人の趣味じゃありません! 閣下にとっては、アイリス様が、ただ一人の婚約者様で……」
「ありがとう、ラウラ。……綺麗な人ね。彼に、お似合いだわ」
自分が今、どんな顔をしているのか、分からない。女は親しそうにエルネストに腕を絡め、二人は居館へと消えて行った。私は無言でその背を見送っていたが、ラウラが「アイリス様……」と悲しそうに呟くのを聞いて、スッと背筋を伸ばして彼女に微笑んだ。
「……続き、摘みましょうか。本当は、これじゃ足りないでしょ?」
ラウラは「は、はい……」と気まずそうに頷いた。私はローズマリーを一枝切り取りながら、ちら、とラウラに視線を投げる。
「気にしないで、ラウラ。彼は……辺境伯は、政治的な理由で私と婚約しているの。だから、彼が他の女性と親しくしていても、私は別に構わないのよ」
本当に、そうかしら。私は、自分でもそれが本心なのか分からないまま、淡々と話していた。ラウラが、籠を手に「アイリス様……」と情けない顔をした。私は、摘んだローズマリーを彼女の籠に入れながら、微かに笑った。
「本当に、気にしないで。ほら、早くしないと、厨房長に怒られちゃうわ」
ラウラはじっと俯いていたが、ふいに頬を赤く染め、籠を乱暴に地面に置いた。そして私に背を向けて、勢いよくハーブを刈り取り始める。
「うがああっ! あんの、色ボケ女が!! さっさとここから、出て行きやがれ!! アイリス様を悲しませたら、このラウラが……」
「おい。何を暴れているんだ、ラウラ?」
急に後ろからかけられた男の声に、私達は振り向く。そこには、あの騎士団長シメオンが、不思議そうな顔で立っていた。ラウラが嬉しそうに声を上げる。
「シメオン様!! どうしたんですか、こんなところで?」
「いや、それはこっちのセリフだ。こんなところで何してるんだ、お前。こちらは……閣下の御婚約者の、アイリス様ではないか?」
と、シメオンは私を見下ろして言った。近くで見ると、やはり、体が大きい。背も高いのだが、有り余る筋肉のせいでとにかく体格が良く、生成りの麻シャツの前ボタンが弾け飛びそうになっている。でも、その茶色い瞳が丸っこくて優しそうなので、エルネストに感じるような威圧感とか、怖さとかは、あまり感じない。
ラウラが、地面に置いていた籠を持ち上げ、シメオンの前に突き出した。小柄なラウラが巨躯の彼のそばにいると、クマにじゃれつくリスみたいだ。
「シメオン様。見て下さい、これ。すごいでしょ! 今夜の肉料理に使うハーブなんですよ。厨房長に摘んでくるように頼まれたんですが、今朝は、アイリス様も手伝って下さったんです!」
私は、「ね、アイリス様!」と笑うラウラに頷き、シメオンと彼女を交互に見た。
「二人は、仲がいいのね」
二人は顔を見合わせて、いかにも親しそうに笑った。ラウラが言う。
「そうなんですよ! 実は私とシメオン様は、同郷なんです。このお城に上がらせて頂いたのも、シメオン様の口利きがあったからなんですよ! ね? シメオン様!」
「ええ。ラウラは、人柄が良いですから。何年か前に閣下が女中を探していたので、ご紹介しました。この子は素直で勤勉でしょう。閣下はそれで今回、ラウラをアイリス様専属の侍女に抜擢されたんですよ」
シメオンはそう言って笑う。ラウラが「えへへ」と照れながら言った。
「シメオン様は優しくて力持ちだし、下に小さいご兄弟が沢山いるから、村の子供達と仲良しなんです! 私も、子供の頃から、シメオン様にはよく遊んで頂いたんですよ!」
そうか。だからシメオンは、どこか人懐っこく、優しい感じがするのか。私は微笑んで頷いた。
「そうだったの。それは素晴らしいわね。きっと、あなた達の故郷は、素晴らしいところなのでしょう。二人を見ていれば、分かるわ」
二人は「いやあ、そんなことは……あるんですけどね!!」と同時に言って、笑った。シメオンが、ラウラの籠に入ったハーブを見て、顎を撫でながら嬉しそうに言う。
「晩飯は肉のハーブ焼きか、楽しみだなあ! しかし、アイリス様にハーブ摘みを手伝って頂いたなど、閣下が知ったらご機嫌を損ねそうですが」
ははは、と気楽に笑うシメオンに、私はぼそりと呟いた。
「……そんなことはないわよ、きっと。彼は今……素敵な女性との逢瀬を、楽しんでいるのでしょうから」
自分でも驚くほどの冷たい声。ラウラとシメオンが焦ったように目配せをしているので、私は慌てて取り繕った。
「……ごめんなさい。なんでもないわ。ねえ、ラウラ。そろそろ、厨房に行かない? これだけあれば、十分じゃないかしら」
「え、えっと……はい、そうですね、アイリス様! 行きましょう、行きましょう!」
ラウラは、腰を屈めるシメオンに何か囁いたあと、そそくさと私のあとに付いて来る。私達は、居館を挟んでこの反対にある、厨房棟に向かった。前庭を通り過ぎざま、ちら、と居館のエントランスに視線を向ける。当然だけど、彼らの姿は、もうどこにも見えない。
(あの夜。エルネストは、私に何もしなかった……でも。もしかしたら、彼女には……)
なんだか、言いようもなく気分が沈む。私は、ラウラに気付かれないよう、軽く首を振った。
(いいえ、余計なことを考えるのは、やめましょう。惨めになるだけよ。もしも、彼らがそういう関係だったとしても。私には、何も関係のないことだわ……)
厨房の大きな戸口は開かれている。中で働く人々の陽気な話し声や、食器の音が響いて来た。私は厨房の人たちが好きだ。気さくで親切な彼らは、なんとなく、マーサやギュスタフを思い出させるから。 私は、出来るだけエルネストのことを考えないようにしながら、ラウラと二人で厨房へ入って行った。




