第11話 そういうことは、人前ですべきではないと思うわ
エルネストは、顔を伏せてもがく私をしっかり抱き寄せたまま、平然と彼らに声をかけた。
「おう、お前ら、ご苦労。どうだよ、首尾は」
「はっ。悪くありません。各々、精進させて頂いております!」
「なら次こそ、この俺を負かしてみろよ? 褒美は弾んでやるから」
「は、それは……」
「そこは『はい』だろ、シメオン」
楽しそうに笑うエルネストに、シメオンは「はあ」とバツが悪そうに頭をかいた。
「そうは仰いましても。なかなか、閣下には……。と、そんなことより。そちらは、閣下のご婚約者であられる……」
「ん? そうそう。ヴェノワの氷姫。いい女だろ。お前らも知っての通り、この女、俺のだから」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。エルネストの、私の腰に回していた腕が、背に回された……と思った瞬間。私の顔は上向かされ、私の唇が、彼の唇で覆われる。下からわっと歓声が上がった。私は目を開けたまま「んんっ?」と唸る、が、私の体は彼の腕にがっしり捉えられていて、身動きが取れない。私が「んんー!!」と唸ってジタバタする中、下から興奮した野次と、幾つもの口笛が飛んで来た。
エルネストは長い口づけの後に顔を離し……ぜえぜえ息をしている私を抱き寄せながら、下で盛り上がっている男共に言った。
「ま、そういうわけで。お前ら、この女にちょっかい出すなよ。……いいな?」
明るいが、異様に凄みのある声だ。下から「ははっ!!!」という地響きのような声が上がる。私は恥ずかしくて、まともに顔を上げることも出来ない。こんな屈辱を与えたエルネストに、腹の底から怒りが湧いて来る。
(この男……!!! 絶対に、許さないから!!!)
私の気持ちを知ってか知らずか、エルネストは平然と私を抱き寄せたまま、彼らに声をかけた。
「じゃあな。怠けんなよ、お前ら」
下から「はっ!!」という野太い返事が返って来る。エルネストは私を連れて、上機嫌に鍛錬場を後にした。後ろから「お出ましありがとうございました、閣下!!!」という挨拶が響いていた。
ガルディエ辺境伯城。高く堅牢な城壁と深い堀に囲まれた、鉄壁の城砦。城門を入った内部は上下に分かれた構造になっており、坂を上った上側には城主の居館と騎士団幹部の宿舎、鍛錬場など、坂を下りた下側には、使用人や騎士団本体の居住区、家畜小屋、菜園などがあった。
「……随分な仕打ちね。あんな、人前で……」
騎士団の鍛錬場を出た私は、やっと私を離してくれたエルネストに、小声で言った。私達は今、居館の前庭を歩いていて、この辺りには誰もいない。
「別にいいだろ? あんたは、俺の婚約者なんだし」
「そういう問題ではないでしょう。ああいう、その……男女の秘め事、みたいなことは、人前ですべきでは、ないと思うわ」
エルネストは、きょとん、と私を見下ろし。ふいに腹を抱えて笑い出した。
「なっ……何を笑って……」
「あんたさあ! 何なの、それ?! 23にもなって、なんだよ、男女の秘め事って!!」
私は、馬鹿にされた恥ずかしさに顔が熱くなるのを感じる。貴族女性の一般的な結婚適齢期は18くらいだし、我が国は性に対する意識が寛容だから、この年で経験が無い方がおかしいのかもしれない。私は出来るだけ平静を装って、顎を上げて素っ気なく言い放つ。
「ごほん。いけないかしら。あなたがあまりにも羽目を外したらいけない、と思って、ご忠告差し上げたの。だってあなたは、この城の主ですもの。あなたをお手本にする子供達も多いはずよ。そんな子供達が、『敬愛する無敵の城主様』の破廉恥な行いをいきなり見せつけられたら、がっかりするのではないかしら、と思って」
エルネストは笑いを収め、ぽかん、と口を開けて私を見下ろす。そして、感心したように顎を撫でた。
「……あんた、やっぱりすげえな。変わった女。あんたといると、ほんと退屈しねえわ」
そう言って彼は、暫く私を見つめていたが。やがて、ふい、と顔を前に逸らして、ぶっきらぼうに呟く。
「うちの騎士団には、気性の荒い連中も多い。城内の女に下劣なちょっかい出すようなのも、いないとは言えないんだよ。その点、あんたが俺の婚約者で、なおかつ俺があんたを溺愛している、とあんだけ印象付けておけば……あんたの身に、危険はない。俺の女に手を出すような馬鹿は、さすがにいないからな」
「え……じゃ、じゃあ……あなたは、私を守るために、わざと……」
思ってもいなかったエルネストの真意に、私は驚いて彼に問いかける。エルネストはちら、と私を見下ろしたが……ふいにまた、意地悪な笑みを浮かべた。
「……っていうのは、今思いついた理屈。さっきは単に、あいつらに見せつけてやりたかっただけ。澄ました伯爵令嬢のあんたが、俺に無理矢理キスされてるところ。あいつらも興奮してたから、休憩中の見世物としては良かったんじゃね? 可愛かったよ、氷姫さん!」
「なっ……!!! こ、この……!!」
エルネストは、笑いながら私の拳を受け止め、そのまま手を引いて歩いて行く。本当に無礼な男だけど、その手は大きくて……温かかった。私はなんとなく幸せな気分になって、彼に付いて居館へと向かう。
城主の住まいである居館は、3階建ての堅牢な建物だ。1階には食事室と大広間、2階には、小ホールや備蓄品室。3階には城主一家の寝室と、2階同様、幾つかの小ホールがあった。空き部屋のような小ホールは、戦の際には作戦室だったり、武器や物資の保管庫になったりするそうだ。エルネストが指揮官室として使っているのも、こういう小ホールの一つらしい。厨房は火災の危険を避けるためこの建物には無く、すぐ隣に、独立した厨房兼食料庫があるとのことだった。
城内を案内しながら、エルネストが言った。
「この城砦は、食人鬼から国を守る最後の砦だ。襲撃戦の時には、城砦の人間が一丸となって奴らを退ける。……と言っても、来たばかりのあんたに出来ることは何もない。あんたは、部屋にいて邪魔にならないようにしててくれれば、それでいい」
と、さも当然のように言う彼に、私はきっぱり言った。
「確かに、戦闘訓練も受けていない私が前線に出るのは、無理でしょうね。けれど、後方支援なら。例えば、兵士の方たちの食事の世話とか武具の手入れとか、私にだって何か出来ることはあると思うわ。手伝わせて」
エルネストは、驚いた顔で私を振り向いた。私は、背の高い彼を見上げて真顔で言う。
「私は、力はないけれど、頭だけはよく回るの。何をすべきか教えてくれさえすれば、割と早く色々と覚えるし、お役に立てると思うわよ」
エルネストは無言で聞いていたが、やがて「へえ?」と楽しそうに頷いた。彼の翡翠色の瞳が、美しく輝いている。彼は、特にそれ以上は何も言わず、私を先導するように歩いて行く。
前方に、赤い両扉が見えて来た。扉の脇に立っていた2人の衛兵は、エルネストの姿を見ると直立不動で敬礼し、恭しく扉を開けた。
「ここが、居館屋上に続く唯一の出入り口だ。城砦内には四方に見張り塔が建っているが、この上からも城の周囲が見渡せるようになっている、し、投石や弓矢での攻撃も出来る。城砦内まで食人鬼が入り込んだ時の、万が一の備えだ。過去に一度も、そんな失態はないけどな」
最上階へ続く階段の内部は薄暗く寒々しく、壁にくりぬかれた小さな明り取りの窓から、金色の秋の陽ざしが静かに差し込んでいる。私は、先に立って階段を上るエルネストに問いかけた。
「ねえ、エルネスト。城内に、食人鬼が入り込んでくることは、ないのかしら」
「ないね。言っただろ、過去に一度も、そんな失態はない、って。俺達は、絶対に負けることは無い。絶対に、だ」
窓から差し込む黄金の陽ざしの中、エルネストは美しく微笑んだ。なんという傲慢な男だろう。自信家も、ここまで来ると、清々しい。だがそうでなければ、こんな危険な要衝の指揮官など、とても務まらないに違いない。私は、彼の背負う重圧を思い、神妙な顔で頷いて言った。
「……そう。素晴らしいわ。あなたは決して、失敗しないのね。それでこそ、ガルディエ辺境伯よ。城の皆も、あなたがそうしていれば、さぞ心強いでしょう。私、あなたのこと、心から尊敬するわ」
私は素直にそう言ったのだが。何故か一瞬、エルネストの顔に、影が差した。私は思わず問いかける。
「エルネスト? ……どうしたの?」
お読み頂き、ありがとうございます。
少しづつ距離の縮まる二人。屋上テラスでふと目にしたアイリスの笑顔に、エルネストは…
次回「第12話 辺境伯閣下、射抜かれる」どうぞお楽しみに!
明日は、10:10、14:10、19:10の1日3回更新です。宜しくお願いします。
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