92、効果付き口紅
ヤヨイさんは、さっそく、口紅を一つ選んで塗っていた。今の彼女の気分を表しているのか、淡いピンク色の口紅だ。あっ、木箱には鏡も付いているんだな。
付加なしの口紅を使ったのかと思ったけど、壁沿いに立っていた王国の騎士達が、ぼんやりとヤヨイさんを見ていることに気づいた。弱い魅了効果の口紅か。僕には、その特殊効果は効かないようだ。
「ヤヨイさんは、毎日ソアラ迷宮に行っていましたね? 貴女の追放の原因となった何かは、ソアラ迷宮で起こったのではありませんか」
もう職員を辞めているイアンさんが、彼女に尋ねた。イアンさんは、何か確かめたいことがあるみたいだ。あっ、冒険者達が揉めている件か。
木箱の鏡を見て、上機嫌になっていたヤヨイさんの表情は、一気に暗くなった。また、黒い影を呼び込むのではないかと、僕はヒヤヒヤしてしまう。
「ソアラ迷宮の6階層がおかしいんだと思うよ。職員さんは、何か視えてるんでしょ? 私は、ソアラ迷宮では精霊の声が聞こえなかったから、何も視えなかったけど」
「ヤヨイさん、私は職員ではありません。ソアラ迷宮が発見された直後に退職しましたので、今はフリーの冒険者です」
「へぇ、知らなかったよ。辞めちゃったんだ」
二人の会話は、ヒヤヒヤする。ヤヨイさんが、イアンさんを傷つけてしまいそうだよな。イアンさんは、まだ暗殺者疑惑が完全に晴れてないし、彼自身が暗殺者に狙われているみたいだし。
「ええ、冒険者の方が気楽ですからね。ソアラ迷宮には、私は5階層までしか潜ってないのですが、6階層はどんな感じですか」
「ん〜、花畑がたくさんある草原だよ。魔物も、スライムしかいなかった。あっ、でも、見たことのない色のスライムもいたから、私は楽しかったよ」
楽しかった? 多くの冒険者は、ソアラ迷宮の6階層に行ってから、ケンカばかりするようになってるんだよな?
イアンさんは、ギルド長に視線を向けた。質問者は交代かな。
「ヤヨイさんも気づいただろ? ソアラ迷宮に潜った奴らが、この街に戻ってきてもケンカばかりしてるし、パーティ追放が相次いでいて、支援局員が足りない状態だ」
ギルド長は、ヤヨイさんから情報を得たいのだろう。だけど、彼女は、それどころじゃなかったと思うけど。
「私は、6階層を探索した後、7階層に降りる前に、寝取ったって言われて追放されちゃったから、よくわからないよ。でも6階層では、別に誰も苦戦しなかったし、普通だった。6階層を離れようとすると、何かが変わるのかな」
「6階層を離れるときか。地図を作ってくれた高位冒険者は、何も異変を感じなかったらしい。ヤヨイさんが所属していたパーティは、だいたいBランクだったよな?」
「いやいや、Bランクの人は少ないよ。ほとんどがCランクだと思うけど?」
「ふむ、そうか。Cランクがおかしくなるのか? だが、リーダーはBランクだったよな? そういえば、揉めている奴らは、そのどちらかだな。まぁ、ソアラ迷宮は新迷宮だから、Dランクを連れて行ってないだけかもしれないが」
えっ? ギルド長は、僕の顔を真っ直ぐに見ている。もしかして、実験しようとしてないか?
「ギルド長、エドさんがCランクだから利用しようと考えてますよね? 彼に依頼する気なら、私も行きますよ」
イアンさん! 優しい!
「あはは、バレたか。Bランクのジョーモも、そろそろ帰ってくるな。だが、昼間の方がいいか。なるべく条件を合わせたい」
ギルド長は、エルフ族の錬金術師のトーマンさんに、助けを求めるような視線を送っている。
「高位の冒険者が地図の作成で6階層に潜ったのは、夜ではないのですか? 彼らなら、ダンジョンが活発に動く危険な時間を選んで探索すると考えられますが」
「あー、そこは聞いてなかったな。だが、ダンジョン内で泊まったはずだから、より安全な時間に眠るのが冒険者の常識か」
つまり、ダンジョンコアが眠る昼間に、彼らも仮眠するんだ。
「今、迷宮から帰ってきてケンカをしているなら、冒険者の能力というより、昼間の6階層に、何かの原因がありそうですな。明日でよろしければ、私も同行しましょうか?」
「トーマンさんが潜ってくれるなら、案内人としてヤヨイさんも、お願いできるか? 様々なランクの冒険者に、どんな影響があるか、試してみたい。エド、可能ならアスカさんにも頼んでくれ」
やっぱりね。そう言うと思った。
「わかりました。あーちゃんに、声をかけてみます。今夜は、もう寝てるかもしれないですけど」
「早く寝るのだな」
「彼女は、まだ幼い子供ですからね」
「わかった。今から行ってもらいたかったが、明日の昼に、現地集合で頼む」
◇◇◇
「ヤヨイさん、宿屋はお決まりですか? 俺達が泊まる宿屋に空きがあるか、聞いてみますよ」
「あっ、もちろん、変な下心とかはないので、警戒しないでください。怪しい者ではありません」
会議室を出ると、壁沿いに立っていた王都の騎士団の人達が、ヤヨイさんに声をかけていた。怪しい者ではありませんって言われたら、逆に警戒するよな。まぁ、素性は明かせないんだろうけど。
「えっ? 私に言ってる?」
「もちろんです。良かったら、夕食をご一緒に……」
ガコッ! バコッ!
デレデレしている騎士達の頭を、ムロさんが殴った。
「おまえら、魅了にかかってるぞ!」
「そんな魔力は感じないよ」
「ふぅん、それが、エドさんのガチャ壺のチカラだな。また、錬金協会が儲けることになりそうだ」
ムロさんは、平気なんだな。弱い状態異常には、耐性があるのか。
「ほう、興味深いですな。弱い魅了効果だからこそ、相手は気づかないのでしょう。お嬢さん、あまり悪用しないようにされる方が良いですよ」
「エルフのオジサンには、効かないの?」
「私も、何やら、ホワンとした気配は感じますがな。さすがに、この歳になると、色ボケはしなくなりましたよ」
トーマンさんにそう言われて、ヤヨイさんは、嬉しそうな顔で木箱を抱きしめている。いつまで持っているつもりだろう? なんだか、お気に入りのおもちゃを手放さない子供のように見える。
僕は、イアンさんと一緒に、宿屋フローラルに戻った。イアンさんの監視兼護衛で、ムロさん達がついてくるからか、ヤヨイさんも、同じ宿屋に泊まることにしたようだ。
トーマンさんは、また明日、と言い残して、スッと姿を消した。すごいな、エルフ族。




