完全無欠のパーフェクトフード 1-2
翌朝、部屋から出ると、隣の部屋から赤毛の美女が出てきた。眠そうに目をこすっていてかわいい。昔は物置として使っていた部屋だけど、いまは住人がいるのだ。
「あ、おはよう、マス――マ……マ、マリウス。――なんか、名前で呼ぶの、新鮮だね」
えへへ、と照れ臭そうに笑う。
「う、うん……おはよう、プリム」
五年前、僕が帝都を出てからすぐ、プリムはこのダイナーに泊まることが多かったそうだ。一人で行う夜営業。くたくたに疲れ切って、家に帰る気力もない……しかしながら、このダイナーは僕の住居でもあったため、生活の基盤は整っている。なんなら、元・日本人である僕が住みやすいようにと、それなりにお金をかけて改築をした結果、商人円街ではまず間違いなく一番の快適空間だと思う。プリムの住むアパートよりも過ごしやすい――一週間のうち、アパートに帰る日よりも、ダイナーに泊まる日の方が多くなるのに、それほど長くの時間はかからなかった。そんな生活を続けているプリムを見かねて、ジェビィ氏が冗談交じりに「いっそ引っ越したらどうじゃ」と言ったらしい。アパートの家賃も浮くし、店が無人になる時間もなくなる上に住むのが腕っぷしで鳴らした元ヤン悪童プリムとなれば、防犯の効果も得られる。彼女は「それいいね!」とさらっと承諾し、翌週にはボロアパートを引き払って、ダイナー二階の物置に引っ越したのだとか。行動力の鬼か。
そして、僕が帝都に帰ってきて初めて気づいたそうだが――当然、ここは僕の家でもあるので、帰ってきた僕はこの部屋で寝起きする。その隣の物置でプリムは寝たり起きたり着替えたり身支度を整えたりしている。ひとはそれを同棲と呼ぶらしい。不思議だ――同じ家で寝たり起きたり着替えたり脱いだり身支度を整えたりシャワーをしたりしているだけなのに、同棲になってしまうらしい。世の中には不思議がいっぱいあるなぁ……。
ともかく、僕としても、このダイナー『マリウス』はプリムの店だ、と考えているので、そのプリムが店を守るためにここに住む決心をしたことを嬉しく思う。だから、ぜひこのまま継続して住んでほしいと、そう告げた。むしろ自分が別のところに住むとまで言ったのだけれど、プリムがそれはおかしいと言ったので、こうしてひとつ屋根の下で寝たり起きたり以下省略しているわけだ。
だが、今。目覚めて、改めて同じ屋根の下でプリムと生活していることを――プリムと同棲(と、他人がそう呼ぶ状態であることは否定できない)していることを意識した途端、再びケッコンという言葉が蘇ってきた。思わず、正面のプリムから目を逸らして、「あー……その、いい天気だね」などと、適当なことを言ってしまう。
「え? 今日、雨だけど」
「……たまには、雨もいいよね」
シェフとして働き始めてから、僕とプリムは五年ぶりに会ったとは思えないくらい、違和感なく話せていたけれど――今日は、それがまるでできない。意識してしまう。うう、結婚……同棲……。
「そうだね。お客さん減っちゃうから、あんまり好きじゃないけど――雨は自然の恵みだっていうもんね」
プリムはのほほんと話しながら、伸びた髪を手慣れた仕草でまとめて団子にして、布で縛った。仕込みをするときは邪魔にならないように、こうやってシニョン風にしているのだ。
「ね、マリウス。今日の昼のメイン、あたしがやってもいいかな?」
プリムは楽しそうに言った。
「マリウスの料理見てたら、新しいレシピ思いついちゃって。それにマリウスったら、今日なんか目の下クマすごいし」
「え?」
ぺたぺたと自分の顔を触ってみる。触ったところでクマって触ってもわからないので意味はないけれど。ただ、倦怠感と眠気はたしかに強い。
「昨日、サニーさんとトリオデさんとこで飲んで、帰ってきたあともなんかやってたでしょ?」
「あー、うん。実は、寝付けなくて……ちょっと料理を。ごめん、起こしちゃった?」
「ううん、あたし、気配に敏感だから起きちゃっただけ。声かけるか悩んだけど、なんか心ここにあらずって感じで作業してたからやめといた」
「み――見てたの?」
「階段からこっそり、ちょっとだけね」
くすりと笑う。
「どうせ、雨でお客さん少ないし――仕込みはあたしがやっちゃうから、マリウスは寝てなよ」
「いや、でもそれはさすがに悪いし――」
「あ、もちろん、対価はもらうよ?」
いたずらっぽく、プリムは言った。
「冷やしてたアレ、あたしにも食べさせて――ね?」
昨夜作ってから、魔冷庫で冷やしている、アレ。なにを作っていたかまで、ばっちり見られていたというのに、僕はまったく気づかなかった。気恥ずかしい限りだ。けれど、プリムと話して、なんというか――安心した。落ち着いてきた。
「うん。なんか、ようやく眠くなってきた。ごめん、ちょっとだけ、甘えさせてもらうね」
「どうぞどうぞ」
軽やかなステップで階下に消えていくプリムを見送った。僕は胸に残った安心感がいったいなんなのか、理解している――少なくとも、理解しているつもりでは、ある。
ようするに、好きなのだ。隣にいたいと思うし、隣にいてほしいと思う。ともに歩みたいと思うし、ともに休みたいとも思う。二十五歳ともなれば、この感情がなんなのか、照れも恥もなく告げられる――いや、照れも恥ずかしがりもしつつ、けれど、これはラブという感情ですと、言えるようにはなった。五年という月日は、少しだけ、僕を成長させてくれた。
だが、しかし。
「……結婚、かぁ……」
想像もしていなかった。一緒にいたいと思っていたので、その具体的手段としての婚姻は、なるほど道理ではある。しかしながら――これは僕だけではないと信じたいが――僕のような大人になりきれない男にとって、結婚というのは、なんだかこう、現実感がない選択肢なのだ。
え? 結婚って、実在する儀式なんですか? 風説ではなく?
そんな気分。いや、僕の両親もきちんと結婚していたし、知り合いにだって結婚しているひとはごまんといるけれど――いざ自分が、となると、途端に不思議な感覚に襲われる。食べたことのない、どんな味なのか想像もつかないものを食べるとき、しり込みしてしまう感覚に似ている。ようするにヘタレているのだとは理解しているけれども。
自室に戻って、寝台に倒れこむ。うつらうつらとしつつ、僕は考えてしまう。
一緒にいたいから、一緒にいよう。それだけじゃ、ダメなんだろうか。ダメなんだろうなぁ……。
その日の昼営業も終わりに差し掛かったころ。
「ダメに決まってんだろ」
と、あきれ顔で断言したのは、ガタイのいい中年男性、テックさん。食肉ギルドの代表――いや、元・代表。食肉ギルドは五年前の騒動後、しばらくして解体された。そして、そのノウハウも人員も、会社として資本を立ち上げたテックさんにまとめ上げられ、最大手の食肉卸会社として、現在も肉を売っている。彼の現在の肩書は社長だ。プラスアルファ、屋台の斡旋を行う会社も継続して経営しており――こちらは帝都外への営業を積極的に行っていて、いまや帝都指折りの大企業だという。二社の社長を二足の草鞋でやっている、超やり手の経営マンになってしまった。身なりは前と変わらないけれど、白髪は増えたように見える。
「いやまあ、おれも気持ちはわかるけどよ。ふわふわしている男ほど、結婚に対して「なんか怖いな……」って思いがちなんだよな」
プリムの作った昼メニューは、刻んだトマト、オニオンをスパイスで炒めた辛めのソースとチーズたっぷり使用したソースの二種類を挟み込んだ、旨辛系のバーガーだ。パティは僕が作った特性バーガーと同じもの――ではなく、豚ミンチを配合した、オイリーなもの。ひとくち噛みしめれば、ガツンとした辛さを野菜とチーズが中和しつつ、こってりした豚の脂が口の中に溢れ出す、パワー系の一皿。プリムらしい料理だが、付け合わせはいつものフライドポテトではなく、葉野菜のミニサラダ。これが箸休めにちょうどいい塩梅で、口の中をさっぱりさせてくれる。抜群のバランス感覚だ。
テックさんは豪快にかぶりついて、うなずいた。
「もともと嬢ちゃんの料理は美味かったが、おまえが帰ってきてから、キレが増したような気がする」
「僕としては、この五年でのプリムの成長ぶりに驚きました。僕が使ってなかった食材も積極的に使ってて、もういっぱしの料理人ですよ」
「ま、この料理屋激戦区、商人円街で磨かれたんだ。腕が悪くなるわけねえわな。……食材や調理器具も、この五年でずいぶんと増えたしな」
テックさんはちらりとキッチンを見た。肉挽き器、目の細かい金属製のざる、頑丈な針金で作られた泡だて器――すべて、同じ会社の商品だ。
「おまえとしちゃ、帰ってきたらああいうのがキッチンに並んでたわけだし、いい気分じゃないかもしれんが」
「あー、まあ複雑な思いはありますけど、レイチェルの作る調理器具は本物ですから。プリムがちゃんと一式揃えていることは、素直に嬉しいです」
それに、だ。
「流通と生産に関しても、あの女がいなければ、例えばこんなに気軽にチーズは使えなかったと思いますし……。正直、感謝してますよ」
直接言うことはないだろうけど。あの女に対する苦手意識や敵対心がなくなったわけではないのだ。
五年前、僕をこてんぱんにやっつけた、『ノックアウトバーガー』社長であり”傭兵女王”のレイチェル・タイムは、その豊富な知識と交渉力で異世界知識系チートの王道を突っ走っている。
「いまは外国を回っているんでしたっけ?」
「らしいぞ。この間、副社長のウィステリア・ダブルとちょっと話したんだが、半年前から出張中らしい。その間、帝都から出られないのが心底つらいって嘆いてたぞ。同じ景色は見飽きたんだと」
「ああ……人質法で。貴族様も大変だ。あれだけ稼いでると、納税とか利権争いとかいらない横やりやひがみとの戦いとか、ゴリゴリやってそうですし」
「おまえだって貴族だろうが」
「元、ですよ。勘当されてますから」
両手を広げて見せる。いまの僕にあるのは、シェフという肩書だけだ。ついでに言うと、悪天候でお客様が少ないこと、プリムがメインで料理をしていることもあって、今日はシェフとして働いていない。給仕をしつつ、テックさんと話し込む余裕すらある。
「しかし、結婚なぁ……。ん? そういや、おまえ、帝都に帰ってきてから実家には顔出したのか?」
「いや、出せるわけないでしょ。勘当されてるんですから」
「でも、結婚するんだろ? 元貴族とはいえ、一応は親に報告くらいはしたほうがいいんじゃないか? 五年前に直接会ってんだから、勘当つっても縁がないわけじゃねえだろ。特に妹のほう」
……う。言われてみると、そんな気はする。――というか、五年ぶりだし、ノックアウトバーガーとの騒動の際は世話になったと言えなくもないし。なにはなくとも、無事に帰りましたと、言付けくらいはしておかないといけなかったか。正直、実家のことも頭の片隅にはあったけれど、なんとなく後回しにしていたところはある――これは僕の悪い癖だな。ついつい、逃げてしまう。大人になったようで、なりきれていないのは、五年前から依然変わらず。
僕のなんとも言えない顔を見て、テックさんは、
「……ま、どうするかはおまえの自由だけどよ。ひとつだけ、アドバイスをしてやろう」
にんまりと笑って、テックさんは声を潜めた。
「夜遊びは結婚前に一生分済ませておけ」
「最低だなアンタ」
「結婚後ならどうしようもないが、結婚前ならバレてもギリギリセーフだ。結婚前にそういう店に行くのは浮気にはならん」
「行きませんし、恋人がいるのにそういう店に行くのもアウトでしょうが!」
「お固いねぇ。……ていうか、あれ、おまえらってもう恋人なのか? おまえ、旅に出る前も、旅から帰ったあとも、プリムにそういう宣言してないんじゃないか? 事実上ラブラブだってのはみんな知ってるが」
「そ、そういう宣言……とは?」
「好きです、とか、付き合ってください、とか、一生おれのハンバーガーを食ってください、とか」
「……言ってないです……」
「なんだ、ヘタレは五年経っても治ってねえのか」
ずば、と言われるとぐぅの音もでない。そうですヘタレです……。
「というか、それすら言えてないのに結婚とか、いきなりすぎるって。……まあ、嬢ちゃんなら度量の広さで受け入れてくれそうだが……おまえはそれでいいのか? プリムの嬢ちゃんばっかり男気見せるような関係で」
追い打ちが来た。
「……そう、ですよね……。そもそも、いきなり僕が結婚してくれって言っても、プリムが受け入れてくれるとは……うう……」
「いや、五年間もほったらかしにしてたのに、ずっとこの店を守って待っててくれたんだから、そりゃおまえ、嬢ちゃん側は受け入れ準備万端――」
テックさんが言い終わる前に、カラン、と扉のベルが鳴った。僕は条件反射で振り返り、「いらっしゃいませ!」と元気よく言い――入ってきたお客様の顔を見て、固まった。
若い女性だ。僕より二つ年下の二十三歳。フリルの多い服はやめたのか、落ち着いたデザインのドレス。黒髪黒目――髪は伸ばしているようで、以前よりも長くなっているけれど、そのぽややんとした雰囲気は、変わりない。
前もこんなことあったな、なんて思って、思わず身構える。
「……え、ええと……」
口ごもる僕。「マジかよ、噂をすればなんとやらだ」と笑っているテックさん。そして、プリムはカウンターから目を上げて、パッと笑った。
「あ、ジーンちゃん! いらっしゃーい」
そう。そこにいたのは、我が妹――僕と違って、現在もしっかり貴族である、ジーン・アントワーヌだった。妹はくすくすと笑って、プリムに手を振り、言った。
「――そんな身構えなくても、もう昔みたいに抱き着いたりしませんのよ、カリムさん」
だれもかれも成長している。当たり前の話だけど。
書籍第一巻発売中です!
電子書籍もありますのでおうちでの読書にどうぞ。
たくさん売れると続きが書けます。




