赤の章 第1節
死の騎士ことシノに飛ばされた先は、光助が住処とする洋風の屋敷のリビングだった。
「黒希、大丈夫だろうな……」
今すぐにでも戻りたいところだが、
「なぁ君」
光助は、悪魔の魔の手から救い出した幽体の少女の前に屈み、声を掛けた。手は繋いだまま。光助が離さないのではなく、少女が離そうとしない。その手は、目に見えて分かるほど震えていた。
「名前は?」
少女は俯いた状態で、
「……芽衣」
小さな声で答えてくれる。
「なぁメイ。両親は、生きてるのか?」
「……ううん」
「そうか……ここには両親と一緒に来たのか?」
「……分かんない」
光助はどうするかを考え、思いついた。
「ここより良い所に連れてってやるよ。きっと、そこにお前の両親がいるはずだ」
それに、芽衣は顔を上げた。
「本当?」
「死んだ後、ここにいないなら天界にいると思う。俺もついて行って一緒に探してやりたいんだけど、まだ、ここでやることがあるんだ」
芽衣は首を傾げると、力一杯笑ってくれた。
「ありがとう、お兄ちゃん」
光助は笑みで返し、
「おう任せろ!」
パーカーの右の袖を、肘のところまで捲った。
彼の肘の内側に、刃物で斬ったような古い傷があった。
「フレイヤさん、力を貸してくれ」
と、呟く。
その言葉に呼応するかのように、右手に白い光が宿る。
「両親と、また会えるといいな」
そう言って、右手で芽衣の額に触れる。
光が、芽衣に乗り移る。やがて、白い光は芽衣を包み、彼女の姿と共に消えた。
天界へと飛ばされたのだ。
「……」
光助はしばらくその場に屈んでいた。
両親、か。
ため息を吐き、リビングを出ると、玄関の両開きのドアが勢いよく開け放たれた。
慌てた形相で駆け込んできた金髪の少女は、こちらを見るなり、
「ライバル。アンタの力を貸して」
「珍しいなぁ。涼風が俺と口を利くなんて」
涼風。それが、金髪少女の名だ。相変わらず生地の薄いパーカーを着ているせいで、水色のブラジャーが透けて見えてしまっている。
しかし、彼女が話しかけてくるとは珍しい。
随分前から、どういうわけだか一言も口を利いてくれなかったのだが。
「そんなに慌ててどうしたんだ? ラノベの新刊が出たとかか?」
「違うよ! エミたんが魔王に誘拐されちゃったんだよ‼︎」
「エミたん? 誰だそれ」
光助は訊くも、涼風は全く聞いていないようで床に膝をついた。
「このままじゃ……薄い本みたいにエミたんがあんな事やこんな事をされちゃうよ……」
拳で床を殴る。
「それだけは絶ェェェッ対に許せないよ。エミたんに色々していいのはワタシだけなんだからッ‼︎‼︎」
第三者から見れば狂っているよう見える。だが、光助は動じない。これが彼女の平常運転だとよく理解しているからだ。
「エミたん……か。まさかな」
ふと、ある少女の姿が浮かんだが、すぐに消えていった。
彼女のわけがない。アイツは、いつもオドオドしていて頼りない小動物みたいな奴だ。そんな奴が、こんな所に来るわけがない。
「魔王つったらルシファーだよな。アイツとは関わるなってシノからキツく言われてただろ」
「それでも行くの‼︎ アンタもパーティーメンバーに入ってるんだからね」
「分かった分かった。身内の頼みだし、断る気はねぇよ。そのエミたんって奴を助けに行こうぜ」
光助は涼風に歩み寄り、手を差し出した。
涼風はその手をじっと見つめ、取らずに自力で立ち上がった。
「転移するよ」
「おう」
涼風の橙色の瞳の奥に、複数の記号が浮かび上がる。記号が弾ける。
周囲の景色が一変する。
屋敷のリビングから、石造りの薄暗い廊下に変わる。
ルシファーの城の中だ。
「初めて来たけど、ここ結構寒いな」
外に気温がないせいか、ここは特別寒く思えた。
「……ライバル」
涼風が何かを感じ取った。
壁に備え付けられていた蝋燭の火が揺れた。
風はなかった。
「あらまぁ。誰が来たかと思えば……」
女の声がした。
柱の陰から、女が現れた。
光助もよく知る悪魔、リリスだ。
「こんな所で迷子になったの?」
小馬鹿にした調子で、リリスが言った。
それに涼風が、
「エミたんを取り返しに来たんだよ!」
「それは聞きけない願いね。アレは女神の娘。そう簡単に手に入る物ではない。だから、返せないわ」
リリスの言葉に、光助は硬直した。
エミたん。女神の娘。
その二つのワードが一つの線で結ばれる。
_____________________咲?
光助は駆け出していた。
目の前に立ちはだかるリリスでさえ、今はどうでもよく思えた。
「え、ちょっとライバル⁉︎」
涼風の制止など耳にも入らない。
咲が魔王に捕らえられている。その不確かな情報だけで、彼は全力で走った。
「誰が行かせるとォッ‼︎⁉︎」
リリスの頬に、光助の右拳が減り込む。
「邪魔、すんなぁああァァァァァッ‼︎‼︎‼︎」
雄叫びを上げ、リリスを地面に叩きつけた。床が沈む。城全体だけでなく、空気までもが揺れる。
光助の一撃には、それほどの威力があった。
リリスを突破し、廊下を真っ直ぐ突っ走った先にあった扉を体当たりで開けた。
そこは、広間だった。
廊下同様、柱の蝋燭だけが光源なので薄暗い。
辛うじて見えた広間の中心に、台座があった。
その上に、真っ白な少女が寝かされていた。
「咲⁉︎」
少女の名を叫び、駆け寄ろうとするが、突如として目の前に現れた白いスーツ姿の男によって阻まれた。
「飛んで火に入る何とやらとは、まさにこの事だ。一人捕まえただけで、二人も寄って来た。礼を言おう。手間が省けた」
その男を睨み、光助は右拳をさらに強く握り締めて、
「ルシファー……テメェ、咲に何をした‼︎」
「眠らせているだけで、死んではいない。今はまだな」
「……咲をどうする気だ」
「私の力の糧となってもらう。お前と、あの魔術師の娘もな」
「そうかよ……」
全身に力を入れる。
目の前の敵に集中する。
「テメェの自分勝手な理由で家族を奪われてたまるかよ‼︎」
魔王に、地獄を統べる王に、人間の少年は拳を武器に立ち向かった。




