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乙女は歌う  作者: ふとん
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 細い溜息をつきながら手帳に文字を書きこむ娘を見送ると、隻眼の副官は未だ笑いを堪えたまま宿へと戻るディナンの隣に並んだ。

 物言いたげな視線にまた軽く息をつく。


「……何だ」


「お前も人間だったんだなと思っただけさ」


 セオンは軽口を叩いて、だがディナンの顔を覗いて今度こそ笑いを収めた。


「――何をそう難しく考えているのか知らないが、簡単なことじゃないのか」


 セオンの言葉に促されるようにしてディナンは娘の背中を見遣る。

 娘の背にはこの間渡した短剣が引っ掛けられている。


 簡単なことだ。


 文字を知れば得られる情報が格段に増えて、娘の絶望が増えるだけ。

 そして、ディナンには彼女の絶望を覆す力などありはしない。


「おー、帰ったか」


 セオンとディナンの後ろから声をかけてきたのは能天気な銀髪だ。手にはいくつかの地図が握られている。

 国境を越えればそこはガルカンダの庭になる。地図など幾つも持ち合わせがあるはずだが、彼が今持っているのは大判の広域地図のようだった。


「ちょっと来てくれ」


 いつもの口調にわずかな緊張を孕んで、ガルカンダはセオンとディナンを自室へと招き、部屋に入るなりガルカンダはテーブルに地図を広げてみせる。

 水差しとカップを重しに広げられた地図はディナンの睨んだ通り、国境を越えた辺りからガルカンダの根城辺りまでの広域地図だった。

 最新のものなのか幾つか見慣れない名前を見たが、以前見たものとあまり変わりは無い。

 どういうことかとディナンがガルカンダを見返すと、彼は根城と国境のあいだにある山を指差した。


「普段はこの山は通らないんだが、今回は山を抜けることにする」


「……どういうことだ?」


 訝るディナンの隣でセオンは普段の穏やかな顔をしかめた。


「団長、それは…」


「分かってる」


 不穏な短い会話にディナンも眉をひそめると、ガルカンダは常にない神妙な顔で口を開く。


「最近、この山を領主が勝手に掘り返してる。最近、鉱山と分かったらしい。――この山は元々俺と先代領主の決めた境界線だ。この山を越えると沼地が広がって耕作には向かないからな。今まで見向きもしなかった土地に随分とご執心らしい」  


「山を寄越せとでも言われたか」


 ディナンの指摘にガルカンダは軽く頷く。


「山を差し出すぐらいならいいさ。俺たちが鉱山なんぞ持ったところで商売に出来ないからな。だが、この土地に住まわせてやるから鉱山で労役をしろと言ってきた」


 拠点を持つ傭兵団は優秀で、傭兵の男たちは皆屈強だ。そして労役に駆りだせばガルカンダの兵力をさくことが出来る。ありがちな話にディナンは鼻で笑った。


「国境の辺境領主が欲を出せばそんなものだ」


「笑うなよ。話はこれだけじゃない」


 ガルカンダは苦く笑って、地図の上で指を滑らせる。


「今の領主はどうやら俺を目の上のたんこぶだと思い込んでるらしい。――この鉱山に相当数の兵が配備されたとさっき報告があった」


「……お前」


 今度はディナンが口の端をひきつらせた。


「頼む! 鉱山の偵察だけでいい。手伝ってくれ」


 潔く頭を下げるガルカンダの銀髪を見下ろしながら、ディナンは深く溜息をつく。


「……だからお前は嫌いなんだ」


 ガルカンダという男は金だけでは動かない、感情だけでも動かない。金と掟によって動くディナンにとって扱いにくい人種だ。   

 だが、約束は守る男だ。


「――仕方がない」


「じゃあ…!」


 ぱっと頭を上げたガルカンダをディナンは睨み据えた。


「一つ、約束しろ」




 

 国境の街で一泊した翌朝、ガルカンダは人数分の馬を連れてきた。荷馬車の荷を全て馬に積み直すが、


「馬に乗れない?」


 ガルカンダに呆れられた弟子が申し訳なさそうな顔で馬の隣に突っ立っている。荷物を乗せられた馬は不機嫌そうだが、不思議と娘の隣に居着いていた。


「怖いなら俺の馬に乗るか?」


「阿呆か、お前は」


 娘と一緒に困り果てるガルカンダに呆れて、ディナンは弟子に冷たく言い放つ。


「乗れ」


「そんな無茶な…」


 隣からガルカンダが抗議してくるがディナンは無視して、弟子に手綱を握らせた。


「鐙に足を掛けろ。初めのうちは鞭を使うな。馬は賢いからな。お前が間抜けでも馬が走ってくれる。せいぜい振り落とされないように乗れ」

 

 矢継ぎ早に指示すると弟子は目を回さんばかりに困惑を顕わにしたが、ディナンが親切などしないことを知っているからか、おずおずと鐙に足をかけた。


(出来ないと喚けば放り出してやるものを)


 何も言わずに懸命に馬にしがみつく弟子を意地悪く横目に映し、ディナンも馬の背に乗った。

 

 朝靄からにわかに現れた外門は国境を越える最後の関だ。

 傭兵と言うには不揃いなディナン達以外に旅人はなく、関所の兵士は眠たげに彼らを国境から送りだした。


 分厚い門扉を潜ると荒野のほど近くに切り立った山脈がある。

 その山脈を縫うように続く細い道が国境の唯一の道であった。

 馬に乗り慣れない一人の速度に合わせても一日で辿りつくであろうその山脈は、攻めるに難しく守るに易く、国の境としては申し分のない壁である。

 

(ベルナンドは俺たちを追放することにしたか)


 アッズーロからの追っ手はすでにない。

 王であるベルナンドは国外にディナンたちを追放して、全てのことに口を噤むことを選んだようだ。


(昔から根回しのいい男だからな)


 自らは追っ手を出さずにディナンを確実に仕留める方法をベルナンドは選んだのだ。


「――話さなくていいのか」


 一行のしんがりを歩かせていたディナンの馬に足並みをそろえたガルカンダが呟くように言う。

 ガルカンダの視線の先では、弟子がルドやアーリルに馬の乗り方を教えられている。


「あの短剣、お前の物だろう」


 弟子の背にくくりつけられている短剣を見分けたらしい。相変わらず目のいい男だ。

 ディナンはガルカンダの問いには答えず、代わりに自分の問いを投げつける。


「返答は決まったか」


 質問を投げ返されたガルカンダは息を詰まらせるように一瞬迷って、だが次にはしっかりと肯いた。


「――お前の頼み、必ず守らせてもらう」


 国境の関所から上がる太陽が背を照らす。

 大きな傷を抱えた弟子の背も明るく照らす。


 まるで焼きつけるようなその光を背に、ディナンは高く槍のように空を突く山脈を見つめた。




またしても遅れてすみません。

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