1話 賢者、魔王討伐へ行く
数日後。
ケンは王宮の会議室に呼び出されていた。
部屋には勇者カミト、僧侶エリア、戦士ドルゴの三人が集まっている。
彼らは魔王討伐を成し遂げた英雄だったが、ケンにとっては気心の知れた仲間でもあった。
「ケン殿、また難しい顔をしているな」
大柄な戦士ドルゴが笑った。
「当然じゃ。儂は今、研究という人生最大の喜びを奪われかけておる」
「大げさですね。陛下からの任務でしょう?」
僧侶エリアが穏やかに言った。
「エリアよ。おぬしは一度、儂の仕事量を見てから物を言うがよい」
「それは……少し遠慮しておきます」
カミトが苦笑した。
「それで、今回の任務って何なんだ?」
ケンが答えるより先に、国王が会議室へ入ってきた。
「待たせたな。今回、お前たちに頼みたいのは、魔王軍の残党が潜伏しているという南東の砦の調査だ」
会議室の空気が引き締まった。
魔王が倒されたとはいえ、魔王軍のすべてが消えたわけではない。各地に散った残党が、再び人々を脅かす可能性があった。
「勇者カミトたちには、砦の制圧を頼みたい。そしてケンには、砦に残された魔法陣の調査をお願いしたい」
ケンは静かに手を挙げた。
「陛下、魔法陣の調査だけであれば、研究所の者を派遣する方法もあるのではないでしょうか」
「調査隊はすでに派遣した。しかし、現地から届いた報告によると、結界の一部が暴走しているらしい。通常の魔法では解除できないそうだ」
「なるほど……」
ケンは資料を受け取った。
そこには、砦の地下に広がる巨大な魔法陣の図が描かれていた。
一目見ただけで、通常の術式とは異なる構造だと分かる。
複雑に絡み合う魔力の流れ。
見覚えのない文字列。
そして、魔法陣の中心に記された不自然な空白。
ケンの目がわずかに細くなった。
「……これは、厄介じゃな」
「分かるのか?」
カミトが身を乗り出した。
「まだ断言はできぬ。じゃが、放置すれば周囲に被害が出る可能性はある」
ケンは資料を閉じた。
「しょうがないのう…。現地で調べてみるとしよう」
*
南東の砦は、山あいの谷に建てられていた。
周囲には魔物の姿があり、砦の壁には黒ずんだ魔力の跡が残っている。
「本当にここに魔王軍の残党がいるのか?」
カミトが剣の柄に手をかけた。
「気を抜くなよ。妙な気配がする」
ドルゴが斧を構える。
エリアは祈りを捧げ、仲間たちを守る結界を張った。
そのとき、砦の奥から地鳴りのような音が響いた。
地面に亀裂が走り、壁に刻まれた魔法陣が赤く光り始める。
「全員、下がるんじゃ!」
ケンが叫んだ。
次の瞬間、砦の地下から黒い光が噴き上がった。
光は柱となって天井を貫き、周囲の魔力を次々と吸い込んでいく。
「な、何だこれは!」
「魔法陣が暴走しているんです!」
エリアが叫ぶ。
カミトが剣を構えた。
「ケン殿、止められるか!」
「黙って見ておれ!」
ケンは杖を地面に突き立てた。
足元に幾重もの魔法陣が広がる。
その模様は、王国の魔法使いが使うものとはまるで違っていた。線は細く、文字は複雑で、魔力の流れは驚くほど滑らかだった。
ケンは一瞬で魔法陣の構造を読み解いた。
「なるほど。魔力を吸い上げる仕組みそのものは単純じゃ。じゃが、制御部分が壊れておる」
杖の先から青白い光が伸びる。
「ならば、流れを逆転させればよい」
ケンが指を鳴らした。
魔法陣の光が、ぴたりと止まった。
暴走していた魔力が流れを変え、黒い柱が細くなっていく。
しかし、最後の瞬間。
魔法陣の中心から、巨大な魔物が姿を現した。
岩のような皮膚。赤く光る目。全身から噴き出す黒い魔力。
「魔法陣が、魔物まで呼び出していたのか!」
カミトが剣を抜いた。
「ケン殿、後ろへ!」
「必要ないわい」
ケンは一歩前に出た。
「儂の研究を邪魔する者には、少々痛い目を見てもらうぞ」
杖を軽く振る。
空中に無数の光の槍が現れた。
「――貫け」
次の瞬間、光の槍が一斉に飛び出した。
魔物の巨体が光に包まれる。
轟音とともに黒い魔力が弾け、魔物は地面に倒れ込んだ。
砦を覆っていた不気味な光も、ゆっくりと消えていく。
静寂が戻った。
「……今の魔法、何だ?」
カミトが呆然とつぶやいた。
「ただの攻撃魔法じゃ。少し手を加えておるがの」
「少しって……」
ドルゴが乾いた笑いを漏らした。
エリアはケンの杖と、地面に残る魔法陣を交互に見つめていた。
「ケン殿の魔法は、私たちが使う魔法とはなんだか別物ですよね」
「そうかのう。儂にとっては、昔から使っておる術じゃが」
ケンは何でもないことのように答え、魔法陣の調査を再開した。
仲間たちは、もう驚くことすら忘れたように彼を見つめていた。
*
王都に戻ると、ケンは調査報告書を提出した。
その日のうちに、国王から追加の任務が届いた。
砦の修復計画。
各地の魔法陣の点検。
魔法道具の改良案。
さらに、今回の戦闘を記録した報告書の作成まで含まれていた。
「……なぜじゃ」
ケンは書類を握りしめた。
「なぜ、仕事が増えておるのじゃ!」
研究室に、悲痛な叫びが響き渡った。




