1日目 ネオンとナポレオンタルト
香港に何をしに来たのかと問われれば、街歩きをしに来たと言っても過言ではない。
香港と言えばネオン看板だが、現在その数はとても少なくなっている。基準が厳しくなり、年々撤去が進んでいるそうだ。昔の香港は建物から巨大な看板が道路に迫り出しており、オープントップバスに乗ればそれはそれは大迫力だったらしいのだが、そんな時代に訪れてみたかったものだ。私の生まれる前か子供の頃の話なのでどうしようもない。
とはいえ、全くネオンがなくなってしまったわけでもない。僅かだが残っている。今回はそれを探しに来た。
ひとまず旺角の歩道橋を目指して彌敦道を北上してみることにした。
廟街という屋台通りの近くを通った時、赤く光る質屋のネオン看板を発見した。バドミントンの羽のような形をした枠の下側、丸い部分に「押」という文字がある。何の形を模しているのかわからないが、私はこの質屋の看板が好きで、後にキーホルダーも買ってしまったくらいだった。
そして次に見つけたのは亀ゼリー屋のネオン看板だ。亀の形のネオンがなんとも可愛らしかった。青と黄色と緑と赤というカラフルさだっが、不思議とごちゃごちゃした感じはない。「百宝堂」と店の名前が書かれているが、後日この店で亀ゼリーを食べることになる。この時も亀ゼリーを食べる気になってはいたものの、お店の人がお客さんの連れているコーギーを熱心に可愛がっているのを見て「今じゃなくてもいいか」と思い、通り過ぎたのである。
質屋のネオンと亀ゼリー屋のネオンが特にお気に入りだ。他にも飲食店の真っ赤なネオンや麻雀店のカラフルでど派手なネオン、何の店かわからないが、とにかく「金」の文字が入っている5つのネオン(後にナイトクラブだと判明)などの写真を撮りながら、旺角を目指した。片道30分くらいの道のりだ。
旺角は私が「香港」と聞いて最初に思い浮かべるような街並みに近かった。通菜街と花園街という通りがあり、その通りを大きな歩道橋の上から眺めようと思っていた。この辺りにはたくさんのミニバスが停まっており、ネオンとミニバスが一緒に撮れる有名な写真スポットになっている。香港のレトロな赤いミニバスはとても画になるのだ。
歩道橋に上がってみると、誰かの歌声が聞こえた。最近ヒットしたKポップを歌う女性が仲間たちと楽しそうにしている。しかしそれだけではない。広い歩道橋の端にレジャーシートを敷いて、たくさんの女性達が談笑していたのだ。まるでピクニックでもするように。
だが私は特に驚かなかった。聞いたことがあったのだ。彼女達はフィリピンなどから香港に働きに来ている家政婦さん達で、この日は日曜日だったので雇われた家にはおらず、皆で集まっているのだと。気を使ってか、写真スポットの近くには誰も座ってはいなかった。その代わりに、あらゆる決めポーズで写真を撮る外国人観光客の姿があった。彼女(らしき人)の写真を何枚も撮ってあげる彼氏(らしき人)が多かった。
私も何枚か撮らせてもらうべく、彼らの隙間に音もなく入り込み、しれっと写真を数枚撮った。どうも1人で長居するのは気まずい。
写真を撮り終わると歩道橋から下に降り、通りを練り歩いた。年季の入った渋いビルにはいくつもの室外機と、夜になっても取り込まれていない洗濯物があり、その下には果物や古着や雑貨を売る露店がずらりと並んでいる。決してお洒落で綺麗なものではないが、その灯りが美しかった。本当に1人で香港にやって来たのだなとしみじみ思ったが、まだどこか半分夢を見ているかのようだった。
赤や緑のネオンや道の端にたくさん停まっているミニバスを眺めながらホテルに戻る道すがら、『ハッシュタグB』を見つけた。エッグタルトが有名らしいこの店には立ち寄るつもりでいたが、私が行こうとしていたのは尖沙咀にある別の店舗だっただけに「ここにもあったんかい」と驚いた。しかも空いているときた。またも私は吸い込まれるようにして入店した。指差しでエッグタルト……正確にはナポレオンタルトというらしいのだが、タルト部分が花のようにひらひらしている大きめのタルトを2つ指差しで頼み、オクトパスで支払った。1つで良いのに見栄を張って2つも買ってしまった。
私は紙袋に入ったタルト2つを大事に抱え、人混みをすり抜けながらホテルを目指して歩いた。
ホテルの部屋に着くと20時半を回っていた。部屋の冷蔵庫には無料で飲める缶ジュースが数本入っており、その中から炭酸レモンティーを選んで開けた。缶には『SparkingVLT』と書かれている。香港のコンビニやスーパーでこの飲料をよく見かけた。
私は2つのタルトをペロリと平らげてしまった。出来たてではないので少し硬くなっていたが、美味しく食べた。それからシャワーを浴びたのだが、シャワーの出し方が独特でわからず、素っ裸で格闘し、頭から冷水を被ったり熱湯を被ったりして1人で狼狽え、1日の終わりにドジ丸出しになってしまった。疲れていたのか、鏡に映る自分の顔は覇気がなく、目は真っ赤に充血していて思わず苦笑いした。
そんなこんなでなんとか無事に香港旅行初日を終えたのであるが、何故かこの日の夜は一睡もできなかったのだった。




