1日目 重慶大厦と雲呑麺
佐敦のホテルから重慶大厦へ急ぐ。地図は殆ど頭に入っていた。数ヶ月もの間Googleマップを見続けていたので迷いがなかった。ただ彌敦道を南に向かって歩けば良いのだ。
道中、香港の伝統技術である竹で組まれた足場を発見し、「これかぁ」と心の中で呟いた。調べたところによると、竹は低コストで柔軟性があり、錆びることもないため昔から使われているそうだ。誰でも組めるというわけではなく、国家資格が必要になるとも聞いた。
余談だがこの足場が写った写真を帰国後人に見せる機会があり、「燃えそう」とか「やっぱり日本の方が進んでいる」という趣旨の感想を貰ったのだが、それは誤解であるし、後者に至っては傲慢というものではないかとモヤモヤした。
15分ほど歩くと、「重慶大厦」と書かれた雑居ビルが姿を現した。様々な国の人々がひっきりなしに出入りしている。かつては九龍城砦取り壊し後に移り住んだ黒社会(香港マフィア)が住んでいたなんて話も聞いたが、今はそんな昔の雰囲気からだいぶ様変わりし、中に入ってみるとインド系の人々がたくさんいた。カレーのスパイシーな香りが漂っている。
中は想像していたよりも薄暗く迷路のようで、こんなことを言っては失礼かもしれないが、何とも言えない怪し気な雰囲気が漂っていた。奥まで行っていないのでわからないが、このビルにはドラッグストアやオフィスも入っているそうだ。上の階には格安のゲストハウスがたくさん入っていて、紀行小説『深夜特急』で著者が泊まったことや、香港映画『恋する惑星』で舞台になっていることもあり、自分がこの重慶大厦という場所にいることがなんだかとても不思議に思えた。
どの両替店で両替するかは決めていた。緑色の看板が目印で、早くも私はその看板を発見したが、あろうことかシャッターが降りていた。店仕舞いしたのか、営業日ではなかったのか、とにかくやっていないことは確かだった。
軽く絶望しながら他の両替店を探す。レートを見比べるがそこまで大差はない。2階がレートが良いと聞いていたので思い切って2階に上がろうとしたが、途中で待ち構えていたインド人の男性に「Restaurant?」と尋ねられ、「ノ……ノー!」と首を振って引き返してしまった。レストランへ続く階段だったのだろうか? 若干気になるが、気を取り直して1階の両替店を見て回る。もうこの際どこでも良いと開き直っていた。
目に付いた黄色い看板の店に行き、下手くそな英語で「プリーズ チェンジ ホンコンダラーズ」と言って両替した。難しいことはない。すんなり両替できたので、そそくさと重慶大厦を後にする。中の写真を撮ることはできなかったが、ここまでなかなか上出来である。「大丈夫。やれるぞ」と自分に言い聞かせた。
さて、次は夕飯である。時刻は18時を回っていた。あらかじめ行こうと思っていた茶餐廳(香港式カフェレストラン)の前までやって来たのだが……
雰囲気があまりにもローカルで、観光客らしき人の姿はなく、店員も店の奥に引っ込んで忙しそうにしている。若い人の姿はなく、殆どが中年の方かそれ以上で、男性が多かった。初めて入るにしてはなかなかにハードルが高い。今思い返せば思い切って入るべきだったのだが、この時の私は完全に怖気づいてしまい、結局入ることはできなかった。もっと入りやすそうな店はないだろうかと周辺をうろうろしてみる。それにしても飲食店がびっくりするほど多い。
迷って迷って有名な雲呑麺の店の前まで来た。緑色の外装が可愛らしい。中を覗き込むと店内は空いており、店員の女性と目が合った。私の方を見て微笑んでくれたので、「ここだ!」と思い、ついつい吸い込まれてしまった。
隅っこの2人掛けの席に座り、指差しで「ディスワン。ワンタンミン」と言って雲呑麺を注文すると、驚くほど早く提供された。たぶん広東語で「唔該,要呢個呀」と言ってメニューを指させば伝わったのだろうが、咄嗟に覚えたての言葉は出てこないものだ。
香港の雲呑麺は、なんだか変わった質感の黄色い麺が絡まり合って澄んだスープの中にもっさり鎮座しているのだが、その麺の下にはちゃんと雲呑が入っている。これは麺が伸びないための工夫であるらしい。
口に運んでみると、プチプチとした食感が新鮮だった。「輪ゴムみたいな麺」と例えられるそうだが、こういうことかと納得した。スープは海老の出汁が出ていて優しい味がした。海老雲呑も食べやすいサイズ感だった。
かなり小ぶりな器で出てきたが、しっかり満足感があった。これくらいの量でちょうど良いのだと思った。大量だときっと飽きてしまう。一緒に提供されるお茶も美味しかった。
完食すると店員の女性はレジの方へ案内してくれた。もしレジに誰もいない時は「唔該,埋單!」と言えば良いようだ。店員さんは英語で何か言ったが、いまいち聴き取れずに聞き返すと、わかりやすく「Cache?」と言ってくれた。「ああ!イェス!キャッシュ」と間抜けな返事をして現金で支払い、退店した。
空が段々と暗くなり始めていた。年季の入ったビルには無数の室外機と窓があり、窓にはちらほらと明かりが灯り始めている。街は変わらず騒がしく、心臓はずっとバクバクしていた。もちろんこの後の予定も決めてあった。夜の街に繰り出してネオンサインを探し、写真に収めなければならないのだ!




