表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔獣英雄アロー  作者: あおおに


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/16

ギルベルト隊の趨勢

 霧の森に、また魔獣が出た。

 その噂を聞いた時、俺は手にしていた羽ペンを折りそうになった。

 いや、実際には折っていない。

 折っていないが、先端が少し曲がった。

 最近の俺は、ちょっと力加減を間違えるだけで物を壊しそうになる。

 非常に不便である。


「霧の森だって?」

 休み時間、同級生たちが教室の隅で話していた。

「ああ。また冒険者がやられたらしい」

「前の魔獣はアローが倒したんだろ?」

「なら、今回もアローが行くのか?」

 その言葉に、何人かの視線が俺へ向いた。


 俺は聞こえていないふりをして、ノートに目を落とす。

 もちろん、聞こえている。

 むしろ、普通に聞くよりよく聞こえている。

 耳が勝手に拾うのだ。

「今度の魔獣は、前のやつより小さいらしいぜ」

「小さいなら楽なんじゃないのか?」

「それが違うらしい。一体なのに、いろんな能力を使うんだと。毒を吐くわ、跳ねるわ、木の上から襲うわ、魔法みたいなことまでしてくるわで、冒険者たちが手も足も出ないらしい」


 俺は、そこで完全に手を止めた。

 毒。

 跳躍。

 木の上。

 多彩な能力。

 小さい魔獣。

 胸の奥が冷えた。

 心当たりがあるどころではない。

 俺は、その魔獣を知っている。


 前に霧の森で俺を喰らった魔獣。

 いや、正確には俺を取り込んだ魔獣。

 あの巨大な親魔獣から分かれた、子のような存在。

 俺が倒した親魔獣は、復活していない。

 なら、残っていたのは。


 俺と同じように、あれに喰われ、あれに作り変えられた何か。

 あるいは、あの魔獣の欠片。

 俺は、胸の奥がざわつくのを感じた。

 笑えない。

 今度の相手は、たぶん前回より小さい。

 だが、小さいから弱いとは限らない。

 むしろ、厄介だ。


 一つ一つの能力は低くとも、多彩で、素早く、何をしてくるか分からない。

 しかも、俺と同じ系統の力を持っているなら。

 俺の未来の姿かもしれない。

 そう考えた瞬間、背筋に嫌な汗が流れた。

 



 その日の午後には、噂ではなくなっていた。

 正式に、霧の森の魔獣討伐の話が学院にも届いたのである。

 学院は貴族子弟の集まる場所だが、魔法学院である以上、王都や周辺領の魔獣対策と無関係ではいられない。


 ましてや、前回の霧の森の魔獣を倒したのは、俺という事になっている。

 当然、俺に討伐命令が下る。

 誰もがそう思っていた。

 俺自身も、そうなると思っていた。


 正直、行きたくはなかった。

 だが、行かなければならないとも思っていた。

 あれは、俺と無関係ではない。

 いや、無関係どころか、俺が一番近い。

 俺はあの魔獣の力を取り込んで生きている。


 だからこそ、俺が止めるべきなのかもしれない。

 そう覚悟し始めた時だった。

 予想外の知らせが入った。

「ギルベルト様が、討伐隊を率いる事になったそうです」

 レイシアが、少し困惑した様子で教えてくれた。


「ギルベルトが?」

「はい。正式な決定のようです」

 俺は思わず眉をひそめた。

 ギルベルト。

 俺の同級生で、何かと突っかかってくる男だ。

 家柄も実力も悪くない。

 剣は一流、魔法も一定以上の水準にはある。


 ただし、性格に難がある。

 本人は自信家のつもりなのだろうが、こちらから見ると、かなり面倒な方向にこじらせている。

「なぜだ」

「詳しい事は分かりません。ただ……」

 レイシアは言いにくそうに目を伏せた。


 俺には大体分かった。

 イーブルナイツ家とミスルランド家。

 俺とレイシアの婚約によって結びつく二つの家。

 それを面白く思わない一派がいる。

 前回の討伐で俺が手柄を得た。

 ならば、今回は別の者に手柄を立てさせる。

 あるいは、俺をあえて外す。

 政治的には、そういう事なのだろう。


 馬鹿げている。

 魔獣討伐を、派閥争いの道具にするな。

 そう思うが、貴族社会では珍しくもない。

 俺も貴族の次男だ。

 分かっている。

 分かっているからこそ、腹が立つ。

「ギルベルト様は、かなり張り切っているそうです」

「だろうな」


 目に浮かぶ。

 俺の手柄を奪うつもりで、鼻息を荒くしている顔が。

 だが、今回の相手はそういうものではない。

 俺は席を立った。

「アロー様?」

「ギルベルトと話してくる」


 レイシアが不安そうに俺を見る。

「お止めになった方が……」

「分かっている。たぶん聞かない」

「では、なぜ?」

「聞かなくても、言っておくべき事はある」

 俺はそう言って、教室を出た。


 


 ギルベルトは、取り巻きたちに囲まれていた。

 廊下の中央で、いかにも得意げに話している。

「今度こそ、はっきりするだろうな」

 近づく前から、声が聞こえた。


「本物の魔獣退治というものを、俺が見せてやる」

「さすがギルベルト様!」

「前回の件も、少し怪しいですからね」

「ああ。霧の森で一人だけで魔獣を倒したなど、都合が良過ぎる」

 取り巻きの一人がそう言うと、ギルベルトは口元を歪めた。

「化けの皮が剥がれるというものだ」


 俺はそこで足を止めた。

 怒りはあった。

 だが、それよりも先に、面倒くささが来た。

 こういう男に助言をするのか。

 正直、かなり嫌だ。

 しかし、黙って行かせる訳にもいかない。


「ギルベルト」

 俺が声をかけると、取り巻きたちが一斉にこちらを見た。

 ギルベルトは、待っていたとばかりに笑う。

「おや、英雄殿ではないか」

「少し話がある」

「何だ? 俺が討伐に選ばれた事がそんなに悔しいか?」

「そういう話ではない」


 俺は声を抑えた。

 廊下には他の生徒もいる。

 あまり大声で話したい内容ではない。

「霧の森の魔獣は、普通じゃない。小さいからといって侮るな。能力が多いなら、単体の魔獣と考えず、複数の魔獣を同時に相手にするつもりで動け」


「は?」

「毒、跳躍、奇襲。おそらく、見た目と能力が一致しない。魔法も通りにくい可能性がある。初見で深追いするな。まずは情報を取って、撤退する事も考えろ」


 俺は、なるべく具体的に言った。

 言える範囲で。

 自分の正体につながる部分は隠しつつ、それでも役に立つように。

 ギルベルトは、しばらく俺を見ていた。

 そして、大きく鼻で笑った。


「随分と詳しいな」

「前回、霧の森で戦ったからな」

「本当に戦ったのなら、そうだろうな」

 取り巻きたちが小さく笑う。

 ギルベルトは俺に顔を近づけた。

「心配してくれているのか? それとも、自分が行けないのが悔しくて、俺を怖がらせようとしているのか?」


「ギルベルト」

「安心しろ。俺はお前と違って、運やまぐれに頼るつもりはない」

 こいつは駄目だ。

 話を聞く気がない。

 それでも、俺は最後に言った。


「撤退の合図だけは決めておけ。誰か一人が危険だと思ったら、全員で退け。名誉より命を優先しろ」

「黙れ」

 ギルベルトの声が低くなった。

 取り巻きたちも笑うのをやめる。

「俺が本物の魔獣を倒して、お前の化けの皮を剥がしてやるぜ!」

 その言葉を吐き捨て、ギルベルトは俺の横を通り過ぎた。


 取り巻きたちもそれに続く。

 俺は、その背中を見送るしかなかった。

 廊下の空気が、嫌に冷たかった。

 



 失敗する。

 俺はそう思った。

 腹立たしいが、そう思えた。

 ギルベルトの実力は、決して低くない。

 取り巻きの中にも腕の立つ者はいる。

 護衛や学院側の人間もつくだろう。

 普通の魔獣なら倒せるかもしれない。


 だが、今回は違う。

 あれは、普通ではない。

 俺と同じように、多彩な魔獣の力を持っているなら、初見殺しの塊だ。

 毒がある。

 速度がある。

 奇襲がある。

 もしかすると、再生や擬態もあるかもしれない。

 魔法耐性もあるかもしれない。


 小さいからこそ、森の中では捕まえにくい。

 そんな相手に、手柄欲しさで突っ込めばどうなるか。

 考えるまでもない。

 もしギルベルトが失敗すれば、今度こそ俺に討伐命令が下る。

 そうなる。

 必ず。


 そして、前回勝てたのは、僥倖に近い。

 俺は自分の力を過信していない。

 いや、過信しそうになる時もある。

 オークを倒し、オーガを倒し、黄金鎧のミノタウロスを倒した。

 確かに俺は強くなった。


 だが、強くなったからこそ分かる。

 上には上がいる。

 何より、俺は強くなるたびに人間から遠ざかる。

 ミノタウロスの肉をほんの少し食べただけで、俺は角を生やしかけた。

 あれ以上のものを取り込めば、戻れなくなる。

 では、どうする。

 強い魔獣の肉は危険。

 だが、強くならなければ勝てない。


 ならば。

「浅層だ」

 俺は、自室で一人呟いた。

 強力な魔獣ではなく、能力の違う魔獣を集める。

 一つ一つは小さくてもいい。


 毒。

 粘液。

 夜目。

 壁登り。

 硬い皮膚。

 水中行動。

 音を消す能力。

 鋭い嗅覚。

 小型の魔獣なら、取り込んでも変化はまだ抑え込めるはずだ。

 強さではなく、手札を増やす。

 正面から殴り合うだけでは勝てない相手に備える。

 それが今の俺に出来る準備だった。


 


 翌日から、俺は学院の後、ダンジョン浅層に潜った。

 目元を隠し、冒険者ローとして。

 深くは行かない。

 中層にも行かない。

 浅層で、ひたすら種類を探す。


 スライム。

 その粘液。

 直接食べたいものではない。

 まったく食べたいものではない。

 だが、粘着性や衝撃吸収の性質は使えるかもしれない。

 俺は仕留めたスライムの核を砕き、残ったものを収納した。


 バット系魔獣。

 夜目と超音波のような感覚。

 これは役に立つ。

 暗い森でも、霧の中でも、敵の位置を掴める可能性がある。


 小型リザード。

 壁に張りつく脚。

 これはどうかと思ったが、森の木々を移動するなら使えるかもしれない。


 ポイズントード。

 毒。

 毒は既に持っているが、種類が違えば効果も違う。

 相手が毒に耐性を持っている可能性もある以上、複数あるに越した事はない。


 アイアンビートル。

 小さな甲虫型魔獣。

 外殻が硬い。

 防御に使えるかもしれない。


 シャドウラット。

 影に紛れるのが上手い。

 あまり食べたくない。

 とても食べたくない。

 だが、役に立つなら仕方ない。

 俺は魔獣を倒すたび、収納していった。

 人目があれば売る分だけ出し、必要なものは残す。


 ギルドの受付嬢は、俺が浅層の素材ばかり大量に持ち帰るのを不思議そうに見ていた。

「ローさん、今日はずいぶん種類が多いですね」

「研究用だ」

「研究?」

「ああ」

 嘘ではない。

 自分の身体で試す、最悪の研究だ。


 その夜、俺は街の外の森へ向かった。

 いつもの場所。

 誰もいない事を確認する。

 耳を澄ませる。

 鼻を利かせる。

 大丈夫。

 人はいない。

 俺は収納から、浅層の魔獣たちを取り出した。


 並べると、実に食欲の湧かない光景だった。

 肉らしい肉は少ない。

 ぬめり、外殻、皮、毒袋、妙な匂いのする部位。

 貴族の食卓どころか、まともな獣の餌にも見えない。

「……これを食うのか」

 自分で集めたくせに、かなり嫌だった。

 オークやオーガの肉を前にした時は、恐怖の中にも欲望があった。


 食いたい。

 取り込みたい。

 強くなりたい。

 そういう衝動があった。

 だが、スライムやシャドウラットには、あまりそういう気分にならない。

 むしろ、理性の方が嫌がっている。

 ある意味では健全かもしれない。


 俺はまず、バット系魔獣の肉を少し食べた。

 苦い。

 不味い。

 だが、身体の変化は小さい。

 耳の奥が少し熱くなり、暗闇の輪郭が深くなった。


 次に、リザード。

 硬い。

 皮がやたら硬い。

 噛むたびに、自分が何をしているのか分からなくなる。

 指先が少しざらつき、掌に吸い付くような感覚が生まれた。


 ポイズントードは、最悪だった。

 味がどうこうではない。

 舌が痺れた。

 喉が焼けた。

 しばらく地面を転げ回る羽目になった。

 だが、毒袋の感覚は掴めた。

 体内で毒を作り分けるような、非常に嫌な感覚だ。


 アイアンビートルは、外殻を直接食べる訳にはいかず、砕いて中身を取り込んだ。

 身体の表面が一瞬だけ硬質化しかけ、俺は慌てて抑え込む。

 危ない。

 全身に虫の外殻など出たら、それはもう終わりである。


 シャドウラットは、最後まで迷った。

 迷ったが、結局食べた。

 不味かった。

 涙が出るほど不味かった。

 ただ、その直後、気配を薄くする感覚のようなものが身体に沈んだ。

 これは使える。

 使えるが、代償として精神が少し削れた気がする。


 俺は木の根元に座り込み、しばらく空を見上げていた。

 ミノタウロスほどの激変はない。

 角も出ない。

 骨格も大きくは変わらない。

 だが、別の意味で気味が悪い。

 俺の中に、小さな能力が次々と増えていく。


 耳の奥。

 舌の下。

 皮膚の表面。

 指先。

 目の裏。

 身体のあちこちに、魔獣の機能が巣を作っていくような感覚。

 強い力で一気に壊されるのではなく、内側から少しずつ侵食される。

 そんな怖さがあった。


「これで、足りるのか……?」

 分からない。

 まったく分からない。

 だが、やらないよりはましだ。

 俺はそう自分に言い聞かせた。


 


 数日が過ぎた。

 ギルベルトの討伐隊は、霧の森へ向かった。

 学院では、その話題で持ちきりだった。

「ギルベルト様ならやってくれるさ」

「でも、相手はかなり厄介らしいぞ」

「アローが行かなくて良かったのか?」

「政治的なあれだろ」

「声が大きいぞ」

 俺は何も言わなかった。


 言ったところで、どうにもならない。

 レイシアは、ずっと不安そうだった。

 俺の事だけではない。

 ギルベルトの事も、討伐隊の事も、霧の森の近くに住む人々の事も心配しているのだろう。


 優しい子だ。

 だからこそ、俺は何も言えなかった。

 セリオ先生とは、何度か目が合った。

 先生は何も言わない。

 だが、その視線は俺に問いかけているようだった。

 君はどうするのか。

 そう言われている気がした。


 どうするも何もない。

 命令がなければ動けない。

 勝手に動けば、ギルベルトの部隊の邪魔になる。

 政治的にも問題になる。

 そういう理屈はある。

 だが、本音を言えば、俺は怖かった。

 霧の森に行くのが。

 あの魔獣と向き合うのが。

 そして、自分が何者なのかを、突きつけられるのが。


 そんなある日の午後。

 学院に、使者が駆け込んで来た。

 授業中だった。

 廊下が騒がしくなる。

 教師たちが慌ただしく動き、生徒たちもざわめき始める。

 俺の耳は、扉の向こうの声を拾ってしまった。

「霧の森……討伐隊が……」

「壊滅……」


 その二文字を聞いた瞬間、教室の音が遠のいた。

 壊滅。

 ギルベルト隊が。

 やはり、という思いがあった。

 だが、それは何の慰めにもならない。

 俺は立ち上がりかけて、椅子を鳴らした。

 教師がこちらを見る。

 同級生たちも一斉に振り向く。

 レイシアが、青ざめた顔で俺を見ていた。


 俺は拳を握る。

 爪が掌に食い込みそうになる。

 抑えろ。

 今ここで変化するな。

 人前だ。

 学院だ。

 俺はアロー・イーブルナイツだ。

 だが、心臓が激しく鳴っている。


 恐怖。

 焦燥。

 怒り。

 そして、どこかで冷たく納得している自分。

 失敗すると思っていた。

 その通りになった。

 なら、次は俺だ。

 今度こそ、俺に命令が下る。


 霧の森へ。

 あの魔獣の元へ。

 俺と同じものかもしれない相手の元へ。

 教師が低い声で告げた。

「本日の授業は、ここまでとします。生徒は指示があるまで教室で待機するように」


 教室中が騒然となった。

 だが、俺にはそれらが遠く聞こえた。

 レイシアが近づいて来る。

「アロー様……」

 その声だけは、はっきり聞こえた。

 俺はレイシアを見た。

 泣きそうな顔だった。

 セリオ先生の言葉が脳裏をよぎる。

 レイシア様を泣かせる人を許しはしません。

 俺だって、許さない。

 そのはずだった。

 だが、今レイシアを泣かせそうにしているのは誰だ。


 魔獣か。

 ギルベルトを行かせた派閥か。

 それとも、これから霧の森へ向かおうとしている俺か。

 分からない。

 何も分からない。

 ただ、一つだけは分かった。


 最後の戦いが近づいている。

 俺が人間でいられるかどうか。

 アロー・イーブルナイツとして戻って来られるかどうか。

 それを決める戦いが。


 俺は震える手を、机の下で握り締めた。

 掌の中で、爪が少しだけ伸びかけていた。

読んでいただいて、ありがとうございます。

こんなお話でも面白いと思って下さったら、『☆☆☆☆☆』を『★★★★★』にしてポイントを入れてもらえたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ