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魔獣英雄アロー  作者: あおおに


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10/18

魔獣討伐命令

 レイシアと別れた後、俺はしばらく廊下に立っていた。

 正確には、歩き出すつもりだった。

 だが、足が動かなかった。

 教室の中では、まだ生徒たちがざわついている。


 霧の森。

 ギルベルト隊壊滅。

 新たな魔獣。

 その言葉が、あちこちから漏れ聞こえて来る。

 聞きたくなくても、聞こえる。

 最近の俺の耳は、本当に融通が利かない。


 レイシアは、教師に呼ばれて別室へ向かった。

 ミスルランド家の者として、何か説明を受けるのかもしれない。

 別れ際、彼女は何かを言おうとしていた。

 だが、言えなかった。

 俺も、何も言えなかった。


 大丈夫だ、と言えれば良かった。

 必ず戻る、と言えれば良かった。

 けれど、口に出来なかった。

 嘘になるかもしれない言葉を、レイシアに向けたくなかった。


「アロー君」

 背後から声がした。

 振り返るまでもなく分かる。

 セリオ先生だった。

 若い教師。

 穏やかな物腰。

 だが、俺を見る目だけはいつも少し冷静過ぎる。

 まるで、表面の皮膚の奥まで覗こうとしているような目だ。


「少し、よろしいですか」

「……はい」

 俺は頷いた。

 断る理由はない。

 いや、断りたい理由はある。

 あるが、今は逃げても仕方がなかった。


 先生は人の少ない渡り廊下へ歩き出した。

 俺はその後について行く。

 窓の外では、校庭の木々が風に揺れていた。

 いつもなら、葉の匂いや土の匂いが気になる。

 だが、今はそれどころではなかった。


 討伐。

 霧の森。

 あの魔獣。

 俺と同じような何か。

 それらが頭の中でぐるぐる回っている。

 渡り廊下の端で、セリオ先生は足を止めた。


 周囲に生徒はいない。

 それを確認してから、先生は静かに言った。

「次の討伐は、あなたですね」

「そうなるでしょうね」

 俺は、そう答えた。

 冷静な声だったと思う。

 少なくとも、自分ではそう聞こえた。

 実際にはどうだったか知らない。


「一度勝っているあなたなら、心配は要りませんかね?」

 先生の声には、少しだけ試すような響きがあった。

 俺は苦笑した。


「前回もギリギリでしたからね。勝つ自信なんてありませんよ」

「ほう?」

 先生が、わずかに眉を上げる。

「あなたは、もっと自信家なのかと思っていましたが」

「自信なんて、少しもありませんよ」

 それは本音だった。


 俺は強くなった。

 それは分かる。

 以前の俺なら、オークを中級魔法で倒す事は出来ても、オーガと正面からやり合う事など考えもしなかった。

 黄金鎧のミノタウロスの斧を剣で受け止めるなど、なおさらだ。


 だが、強くなったからこそ、分かる事もある。

 俺は無敵ではない。

 むしろ、どんどん危うくなっている。

 強い魔獣を喰らえば強くなる。

 だが、その分だけ、人間から遠ざかる。

 弱い魔獣を集めれば手札は増える。

 だが、身体の中に得体の知れないものが増えていく。


 強くなるほど、勝ちに近づくのか。

 それとも、戻れない場所に近づくだけなのか。

 分からない。

「先生には、俺がどう見えているんです?」

 気づけば、俺はそう尋ねていた。


 セリオ先生は、すぐには答えなかった。

 風が渡り廊下を通り抜ける。

 少しだけ冷たい風だった。

 やがて、先生は言った。

「人間と魔獣の混ざった存在……」


 その言葉は、予想していたはずなのに重かった。

 胸に石を入れられたようだった。

 人間と魔獣の混ざった存在。

 それは、俺自身がずっと恐れていた言葉だ。

 誰かに言われたくなかった言葉だ。

 だが、否定も出来なかった。


「随分、はっきり言いますね」

「曖昧に言っても、あなたは納得しないでしょう」

「まあ、そうですね」

 俺は窓の外に目を向けた。

 校庭の向こうには、学院の門が見える。

 さらにその先には街があり、街の外には森がある。

 そして、もっと遠くに霧の森がある。

 俺が一度死んだ場所。

 いや、死んだようなものになった場所。


「仮にそうだとしたら」

 俺は、ゆっくりと言った。

「どうしたら人間に戻れるんです?」

 その質問を口にした瞬間、自分でも驚いた。

 俺は、そんな事を聞きたかったのか。

 強くなる方法ではなく。

 勝つ方法でもなく。

 人間に戻る方法。

 それが、俺の口から出た。


 セリオ先生も、少しだけ意外そうに俺を見た。

 だが、すぐに思案するような表情になる。

「そうですね」

 先生は顎に手を当てた。

「例えば、霊薬を飲むとか」

「霊薬?」

 聞き慣れない言葉だった。

 いや、完全に知らない訳ではない。

 昔、貴族の子弟向けの神話や伝承の本で読んだ気がする。

 ただ、実在するものとして考えた事はなかった。


「ヒトの身体から、不要な物を取り除くと言われている薬です」

「不要な物……」

「毒、呪い、異物、悪しき魔力。伝承によれば、そうしたものを排出し、身体を本来あるべき姿へ戻す、とされています」

 身体を、本来あるべき姿へ戻す。

 その言葉に、俺は思わず自分の手を見た。

 人間の手。

 今はまだ、そう見える。


 だが、この手の中にはオーガの力がある。

 ウルフの感覚がある。

 毒を持つ魔獣の機能も、スライムの性質も、シャドウラットの気配の薄さも、あちこちに混ざっている。

 それらは、俺の身体にとって不要な物なのか。

 もし霊薬がそれを取り除くのなら。

 俺は、人間に戻れるのか。

 アロー・イーブルナイツに。

 レイシアの前に、何も隠さず立てる人間に。


「それは、本当にあるんですか?」

「存在はするはずです。少なくとも、文献上は」

「先生は見た事が?」

「ありません」

 即答だった。

 そこは少し期待したかった。

 だが、先生は続ける。

「ただ、王家なら秘蔵しているでしょうね」

「王家……」

 俺はその言葉を繰り返した。


 王家。

 この国で、最も貴重な魔法具や薬を保管している場所。

 聖遺物、古代の魔道書、竜の心臓、神殿から献上された薬。

 そういったものが、王家の宝物庫にはあると聞く。

 霊薬が実在するなら、確かにそこだろう。


 しかし、当然ながら簡単に手に入るものではない。

 貴族の次男が欲しいと言って、はいどうぞと渡される物ではない。

 王命に匹敵する功績。

 国を救うほどの働き。

 それくらいが必要になるはずだ。

 つまり。

 霧の森の魔獣を討伐する。

 その褒美として望めば、あるいは。

 俺はそう考えた。


 その瞬間、別の顔が頭に浮かんだ。

 兄上。

 イーブルナイツ伯爵家の嫡男。

 身体が弱く、長く病に伏せっている兄。

 俺が子どもの頃、まだ元気だった兄は、よく本を読んでくれた。

 剣の稽古には付き合えなかったが、魔法の理論や貴族としての立ち振る舞いを、優しく教えてくれた。


 兄が健康であれば、俺は気楽な次男でいられた。

 家を継ぐ事も、重い責任も、本来なら兄のものだった。

 俺はそれを奪いたかった訳ではない。

 だが、兄の病は治らなかった。

 ポーションを飲んでも、回復魔法を受けても、一時的に楽になるだけ。

 失った体力を補う薬は効く。

 傷を塞ぐ魔法も効く。

 しかし、病そのものは消えない。


 身体の中に、何か余計なものがあるように。

 あるいは、身体が何かを抱え込んでいるように。

 そう言われた事があった。

 ヒトの身体から、不要な物を取り除く薬。

 霊薬。

 それは、俺に効くかもしれない。

 そして、兄にも効くかもしれない。


「……先生」

「はい」

「その霊薬は、病にも効くんですか?」

「病の種類によります」

 セリオ先生は慎重に答えた。

「例えば、足りないものを補う必要がある病には向かないでしょう。霊薬は、ポーションのように生命力を補う薬ではありませんから」

「逆に、身体に不要なものがある病なら?」

「効く可能性はあります」

 その言葉で、俺の胸が強く鳴った。


 俺のためなのか。

 兄のためなのか。

 自分でも分からなかった。

 人間に戻りたい。

 戻れるなら、戻りたい。

 レイシアに隠し事をしないで済むなら。

 セリオ先生の問いに怯えずに済むなら。

 それは、どれほど救いだろう。


 だが、同時に。

 兄を治せるかもしれない。

 兄が元気になれば、イーブルナイツ家は本来の形を取り戻す。

 俺は次男に戻れる。

 いや、そんな家の都合だけではない。

 兄が、また普通に笑える。

 庭を歩ける。

 食卓に座れる。

 それを想像しただけで、胸の奥が熱くなった。


「なぜ、俺にその話を?」

 俺は尋ねた。

 セリオ先生は少しだけ目を細める。

「あなたから、人間に戻りたいと聞いたからです」

「俺は、戻りたいと言いましたか?」

「言いましたよ。言葉ではなく、顔で」

「……先生、意外と嫌な人ですね」

「教師ですから」

 よく分からない返答だった。


 だが、不思議と腹は立たなかった。

 先生は、俺を疑っている。

 それは間違いない。

 人間と魔獣の混ざった存在だと、はっきり言った。

 それでも、霊薬の話をした。

 つまり、完全に敵と見なしている訳ではないのかもしれない。


 少なくとも、今この瞬間は。

「アロー君」

 セリオ先生の声が、少しだけ低くなった。

「霊薬を求めるなら、覚悟が必要です」

「討伐の覚悟ですか?」

「それもあります。ですが、それだけではありません」

 先生は俺の目を見た。


「霊薬が本当にあなたの中の魔獣を取り除くなら、あなたは今持っている力を失うかもしれません」

「……でしょうね」

「逆に、取り除けない可能性もある。あるいは、あなた自身を傷つける可能性もある。どこまでがアロー・イーブルナイツで、どこからが魔獣なのか。薬が正しく判断してくれる保証はありません」


 俺は息を呑んだ。

 それは、考えていなかった。

 いや、考えないようにしていた。

 俺の中に混ざった魔獣の力。

 それはもう、単なる異物ではない。

 俺の身体を動かし、俺の命を繋ぎ、俺の戦う力になっている。


 もしそれを全部取り除いたら。

 俺は本当に元に戻るのか。

 それとも、魔獣に喰われた時点で死んでいた身体に戻るのか。

 分からない。

 分からない事ばかりだ。


「それでも」

 俺は言った。

「選択肢があるだけ、今よりましです」

「そうですか」

 セリオ先生は、小さく頷いた。

 その時だった。

 廊下の向こうが急に騒がしくなった。


 硬い靴音。

 複数の足音。

 学院の教師ではない。

 兵士。

 あるいは、王家の使い。

 俺とセリオ先生は、同時にそちらを見た。

 やがて、学院長と数名の教師に案内され、一人の男が現れた。


 王家の紋章が入った外套。

 腰には儀礼用の剣。

 顔は厳めしく、姿勢は真っ直ぐ。

 王家からの使者だった。

 俺の方へ、まっすぐ歩いて来る。

 来た。

 思ったより早い。

 いや、ギルベルト隊が壊滅した以上、早くて当然か。


 使者は俺の前で立ち止まった。

「アロー・イーブルナイツ殿」

「はい」

 俺は姿勢を正した。

 貴族として。

 学院生として。

 そして、これから死地へ向かう者として。


 使者は厳かな声で告げた。

「王命である。霧の森に出現した新たなる魔獣を、速やかに討伐せよ」

 廊下の空気が凍った。

 近くにいた生徒たちが息を呑む。

 教師たちも黙っている。

 セリオ先生だけは、俺の横で静かに立っていた。

「前回、同地にて魔獣を討ったそなたの実績に鑑み、この任を下す。必要な兵、物資、情報は可能な限り与えられる。ついては――」

 使者は一度言葉を切った。

「何か褒美の希望はあるか。王からの仰せだ」

 その言葉を聞いた瞬間、俺の頭の中で、いくつものものが重なった。


 霊薬。

 人間に戻る方法。

 兄の病。

 レイシアの笑顔。

 セリオ先生の問い。

 霧の森の魔獣。

 自分の中で蠢く、魔獣の力。

 褒美。

 希望。

 俺は、何を望むべきなのか。

 自分のために。

 兄のために。

 家のために。

 レイシアのために。

 分からない。

 本当に分からなかった。

 ただ、その名だけが、口の中で形になっていた。


「では」

 俺は、使者の目を見た。

「霊薬をお願いしたく」

 廊下がざわめいた。

 使者の表情も、わずかに変わった。

「霊薬、だと?」


「はい」

「そなた、その薬が何であるか分かって言っているのか」

「ヒトの身体から、不要な物を取り除く薬と聞いております」

 使者は目を細めた。

 俺の背後で、セリオ先生が何も言わずに立っている気配がある。


 レイシアがこの場にいなくて良かった。

 いたら、どんな顔をしただろう。

 心配しただろうか。

 気づいただろうか。

 俺が、自分のためにそれを求めたのか。

 兄のためにそれを求めたのか。

 俺自身にも分からない事を。


「霊薬は、王家の秘蔵に属する」

 使者は重々しく言った。

「容易に与えられるものではない」

「承知しております」

「それでも望むか」

「はい」

 俺は頷いた。


 もう、引けなかった。

 いや、引くつもりもなかった。

 霊薬が本当に存在するなら、それは俺にとって唯一の光かもしれない。

 そして、兄にとっても。

 使者はしばらく俺を見つめた。

 それから、静かに頷く。


「王へ伝える。討伐の成否、また功績の程度によって判断されるだろう」

「ありがとうございます」

 約束ではない。

 保証でもない。

 だが、伝えられる。

 王の耳に届く。

 それだけでも、今は十分だった。


 使者はさらに討伐の日程や準備について話し始めた。

 俺はそれに答えながら、頭のどこかで別の事を考えていた。

 霊薬。

 不要な物を取り除く薬。

 俺の中の魔獣を取り除くのか。

 兄の中の病を取り除くのか。

 それとも、どちらにも届かないのか。

 分からない。

 分からないまま、俺はそれを望んだ。


 王命を受けた英雄として。

 人間に戻りたい怪物として。

 兄を救いたい弟として。

 そのどれが本当の俺なのか。

 今は、まだ分からなかった。

読んでいただいて、ありがとうございます。

こんなお話でも面白いと思って下さったら、『☆☆☆☆☆』を『★★★★★』にしてポイントを入れてもらえたら嬉しいです。

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