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魔獣英雄アロー  作者: あおおに


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11/18

霧の森

 討伐に向かう人数は、最低限でいい。

 俺は、最初からそう主張していた。

 理由は簡単だ。

 人数が増えれば増えるほど、守るものが増える。

 そして、今回の相手は守りながら戦えるような魔獣ではない。


 前回の霧の森でさえ、俺はほとんど運で生き残った。

 今回は、さらに厄介な相手だ。

 毒、跳躍、奇襲、魔法めいた力。

 それらを一体の魔獣が使う。

 おそらく、俺と同じように。

 だから、戦力は俺一人でいい。


 野営の準備をする者。

 その護衛。

 王都への連絡係。

 必要なのは、その程度だ。

 俺が森に入り、俺が探し、俺が戦う。

 勝てば、それでいい。

 負ければ、俺が死ぬ。

 実に分かりやすい。

 少なくとも、俺にとっては。


 だが、世の中というものは、分かりやすくなど動いてくれない。

 出発前日。

 学院の広場に集まった人員を見て、俺はしばらく言葉を失った。

「……どういう事だ?」


 まず、サーダイン家の者たちがいた。

 ギルベルトの実家である。

 先頭に立っているのは、ギルベルトの次兄だという男だった。

 名は、たしかライオネル・サーダイン。

 ギルベルトより少し年上で、顔立ちは似ている。

 ただし、目元はギルベルトよりずっと鋭く、口元には余裕がない。


 当然だ。

 弟が壊滅した討伐隊にいたのだ。

 安否は不明。

 遺体も見つかっていない。

 捜索に出たいという気持ちは分かる。

 分かるが、今回は魔獣討伐だ。

 救助隊ではない。


 さらに、王城から派遣された兵が十数人。

 これはまあ、王命の討伐なのだから分かる。

 ただし、多い。

 多過ぎる。

 イーブルナイツ家からも数人。

 ミスルランド家からも数人。

 それぞれ、俺とレイシアの安全を案じての派遣らしい。

 いや、俺はともかく、なぜレイシアの名が出る。


 そう思った時点で、嫌な予感はしていた。

 そして、その嫌な予感は当たった。

「ロー先輩!」

 明るい声が聞こえた。

 俺は頭を押さえたくなった。

 カイルたち五人である。

 学院の後輩パーティー。

 剣士のカイル、盾役のダン、槍使いのミルド、杖のエナ、弓のリリィ。

 黄金鎧のミノタウロス戦で助けた連中だ。

 あれ以来、妙に懐かれている。

 いや、懐いてくれる事自体は悪くない。

 むしろ、少し嬉しい。

 だが、だからといって霧の森について来ていい訳ではない。


「なぜお前たちがいる」

「学院からの随行実習という形です!」

 カイルが胸を張って言った。

「帰れ」

「即答!?」

「帰れ」

「二回言った!」

 カイルが目を剥く。


 エナが慌てて頭を下げた。

「ご、ご迷惑はかけません! 後方支援です! 学院からも、実戦経験と記録係を兼ねて参加するようにと……」

「誰が許可した」

 俺が低く言うと、後ろから穏やかな声がした。

「私です」

 振り返る。

 セリオ先生がいた。


 いつもの学院教師の格好ではない。

 動きやすい旅装に、短い杖。

 腰には護身用の細剣まで下げている。

「先生」

「はい」

「なぜ、あなたまでいるんです?」

「学院側の引率です」


「引率なら、もっと年長の教師がいるでしょう」

「残念ながら、今回は私が適任と判断されました」

「誰にです?」

「学院長にです」

「本当ですか?」

「半分ほどは」

「残り半分は?」

「私の希望です」

 正直な人だった。

 いや、正直過ぎる。

 俺はため息をついた。


 そこで、さらに問題の人物が姿を現した。

「アロー様」

 レイシアだった。

 旅装を身にまとい、髪もいつもより動きやすくまとめている。

 その隣には、ミスルランド家の護衛らしい者たち。

 全員が真剣な顔をしていた。

 俺は、今度こそ言葉を失った。


「レイシア」

「はい」

「なぜ、ここにいる」

「同行するためです」

「駄目だ」

 俺は即答した。

 考えるまでもない。

 レイシアを霧の森へ連れて行くなど、あり得ない。

 あそこは危険だ。

 前回、俺は死にかけた。

 いや、死んだようなものになった。


 今回も何が起こるか分からない。

 そんな場所に、レイシアを連れて行ける訳がない。

「帰れ」

「帰りません」

 レイシアは、まっすぐ俺を見た。

 その目に、いつもの柔らかさはある。

 だが、それ以上に固いものがあった。

 覚悟。

 そう呼ぶしかないものが。


「旦那様を一人には、させません」

 その言葉に、周囲の何人かが小さく反応した。

 旦那様。

 まだ正式に結婚した訳ではない。

 婚約者だ。

 だが、レイシアはそう呼んだ。

 俺は、少しだけ胸が詰まった。

 それでも、頷く訳にはいかない。


「一人ではない。兵もいる。護衛もいる。学院の者もいる」

「でも、戦う時は一人になるつもりなのでしょう?」

 俺は黙った。

 図星だった。

 レイシアは一歩も引かない。

「あの森で、アロー様が何を背負っているのか、私は全部は知りません」

「なら――」

「でも、一人で行かせてはいけない事だけは分かります」


 声は震えていなかった。

 俺の知っている、優しくて控えめな少女。

 いつも俺を心配して、けれど強く踏み込む事はあまりしなかった少女。

 そのレイシアが、頑として譲らない。


 俺は視線をセリオ先生へ向けた。

「先生」

「私は、レイシア様の護衛です」

「止めてください」

「止めました」

「その結果がこれですか」

「はい」

 まったく止められていない。

 いや、止めた上で無理だったのだろう。

 それくらい、今のレイシアの意思は固い。


 俺は頭を抱えたくなった。

 実際、少し抱えた。

「レイシア。頼む。危険なんだ」

「知っています」

「知っていない。今回の魔獣は、普通じゃない。ギルベルトの隊が壊滅した。何が起こるか分からない」

「だからです」

 レイシアは静かに言った。

「だから、行きます」

 反論出来なかった。


 いや、反論はいくらでもある。

 危険だ。

 足手まといだ。

 守り切れる保証がない。

 そう言えば良い。

 だが、それを言うには、レイシアの目は真っ直ぐ過ぎた。


 それに。

 心のどこかで、俺は少しだけ救われていた。

 一人ではない。

 そう言われた事に。

 来てほしくない。

 危険に晒したくない。

 それは本当だ。

 だが、それでも、一人にしないと言われて、嬉しくなかったと言えば嘘になる。

 自分勝手だ。

 最低だ。

 俺はそう思った。


 


 結局、レイシアを翻意させる事は出来なかった。

 日程にも余裕はない。

 霧の森の魔獣は、既に周辺の村や街道に被害を出し始めている。

 ギルベルト隊壊滅の確認も必要だ。

 俺たちは、翌朝には出発する事になった。


 出立の朝。

 学院の門前には、討伐隊というには少し雑多な集団が揃っていた。

 王城の兵。

 サーダイン家の捜索隊。

 イーブルナイツ家とミスルランド家の護衛。

 学院関係者。

 カイルたち後輩パーティー。

 そして、俺とレイシアとセリオ先生。


 最低限とは何だったのか。

 俺は、真剣に考えた。

 考えても仕方なかった。

「ロー先輩、荷物持ちますか?」

「持たなくていい」

「遠慮しないでください!」

「遠慮ではない。お前が持つと遅くなる」

「正論が痛い!」

 カイルが胸を押さえる。


 その横でダンが真面目に頷いた。

「カイルは荷物を増やすと足が遅くなりますから」

「味方に刺された!」

 こんな調子で、本当に大丈夫なのか。

 不安になる。

 だが、妙に緊張を和らげる連中でもあった。


 レイシアは馬車に乗るよう勧められていたが、途中からは自分の足で歩くと言い張った。

 さすがに森に近づくまでは馬車を使わせたが、彼女の意思は変わらない。

 セリオ先生はその横を静かに歩き、周囲に気を配っていた。

 護衛としては、実に優秀だった。


 数日かけて、俺たちは霧の森へ向かった。

 道中、野営は慎重に行われた。

 王城兵は慣れている。

 サーダイン家の者たちは焦りが見えたが、規律は保っていた。

 イーブルナイツ家とミスルランド家の護衛たちも、それぞれ俺とレイシアの周囲を固める。

 カイルたちは、最初こそ張り切り過ぎて空回りしていたが、セリオ先生に叱られてからは少し落ち着いた。


「張り切るのは構いませんが、疲労を残して本番を迎えるのは愚かですよ」

「はい……」

 セリオ先生は、やはり教師だった。

 俺はなるべく平静を装っていた。

 だが、霧の森が近づくにつれ、身体の奥がざわついていく。


 匂いが変わる。

 空気が湿り、土の匂いが重くなる。

 木々の匂いに、かすかな腐臭が混ざる。

 そして、魔力の匂い。

 嫌な匂いだ。

 懐かしい匂いでもある。

 俺が一度飲み込まれた場所の匂い。

 俺の身体を作り変えたものの匂い。


 夜、焚き火のそばで、レイシアが静かに俺の隣へ来た。

「眠れませんか?」

「少しな」

「私もです」

「怖いか?」

「怖いです」

 レイシアは素直に答えた。

 その上で、俺を見る。

「でも、来なければもっと怖かったと思います」

「どうして」

「アロー様が一人で、どこか遠くへ行ってしまう気がしたからです」

 俺は何も言えなかった。


 遠くへ。

 それは距離の話ではない。

 人間から遠ざかる。

 レイシアから遠ざかる。

 そういう意味に聞こえた。

「俺は……」

 言いかけて、やめた。

 何を言えばいい。

 大丈夫。

 戻る。

 人間のままだ。

 どれも、保証出来ない。

 レイシアは俺の沈黙を責めなかった。


 ただ、そっと言った。

「私は、見ています」

「何を?」

「アロー様が、何者なのかを」

 その言葉に、胸が痛んだ。

 セリオ先生に問われた言葉と、同じ場所を突かれた気がした。

 俺は焚き火の炎を見つめた。

 火の音が、やけに大きく聞こえた。


 


 そして、数日後。

 俺たちは霧の森の入り口に到着した。

 空は曇っていた。

 森の奥から、薄い霧が流れ出している。

 以前来た時と同じだ。

 木々は黒く湿り、枝はまるで骨のように絡み合っている。


 鳥の声はない。

 虫の音も少ない。

 森そのものが息を潜めているようだった。

「ここが……」

 カイルが小さく呟く。

 さすがの後輩たちも、軽口は消えていた。


 王城兵たちは野営予定地を確認し、サーダイン家の者たちは森の奥を睨んでいる。

 レイシアは少し顔色が悪いが、それでもしっかり立っていた。

 俺は、まず周囲を確認した。


 匂い。

 音。

 気配。

 魔獣の気配は濃い。

 だが、すぐ近くにはいない。

 なら、まず野営所を作るべきだ。

「予定通り、森の外縁に野営所を作る。見張りは二重。連絡係はすぐに動けるようにしておけ。森に入る人数は、俺が決めるまで増やすな」

 俺が指示を出すと、王城兵の隊長が頷いた。


 本来、貴族学生の俺が兵に指示するのは奇妙だ。

 だが、今回は王命で俺が討伐の中心になっている。

 誰も反論しなかった。

 その時だった。


「お久しゅう、兄上」

 聞き覚えのある声がした。

 いや、少し違う。

 声そのものは同じだ。

 だが、どこか掠れている。

 喉の奥に獣の唸りが混じっているような、嫌な声だった。


 全員が一斉に振り向いた。

 霧の森の入り口。

 そこに、一人の男が立っていた。

 汚れた外套を頭から被っている。

 泥と血で汚れ、裾は裂けている。

 顔は影になってよく見えない。

 だが、その声で分かった。

 ギルベルトだった。


「ギルベルト!」

 サーダイン家の次兄、ライオネルが叫んだ。

 部下たちも一斉に駆け寄ろうとする。

「生きていたのか!」

「ギルベルト様!」

「よくぞご無事で!」

 サーダイン家の者たちは歓喜した。

 当然だ。

 壊滅した討伐隊の中で、死んだと思われていた弟が生きていた。


 喜ばないはずがない。

 ライオネルはギルベルトの肩を掴もうとした。

 だが、その瞬間、俺は低く言った。

「近づくな」

 声が、思った以上に鋭く出た。


 全員の動きが止まる。

 ライオネルが振り返り、怒りを露わにした。

「何を言う、イーブルナイツ殿! 弟だぞ!」

「分かっている」

「ならば――」

「だから近づくなと言っている」

 俺はギルベルトを見ていた。


 外套。

 汚れ。

 血。

 それだけなら、生還者に見える。

 だが、違う。

 体型がおかしい。

 外套越しでも分かる。

 肩の位置。

 腕の長さ。

 背中の丸まり方。

 立ち方。

 人間のものではない。

 あるいは、人間の形を無理に外套で隠している。


 それに、匂い。

 俺の鼻が拾っている。

 ギルベルトの匂い。

 血の匂い。

 汗の匂い。

 そして、魔獣の匂い。

 濃い。

 ひどく濃い。

 俺は、その匂いを知っている。


 自分の中からもする匂いだ。

 ギルベルトは、外套の奥で笑ったようだった。

「何だ、アロー。久しぶりに会った友人に、随分な挨拶じゃないか」

「友人だった覚えはない」

「つれないな」

 声が軽い。


 だが、軽さの下に、何かがある。

 壊れかけたもの。

 隠しきれないもの。

 サーダイン家の者たちは困惑していた。

 ライオネルは俺とギルベルトを交互に見る。


「ギルベルト、怪我をしているのか? すぐに治療を――」

「必要ありませんよ、兄上」

 ギルベルトは、わずかに身を引いた。

 その動きが、異様だった。

 足ではなく、全身のばねで跳ねるような動き。

 カイルたちが息を呑む。

 セリオ先生の手が、杖に触れた。

 レイシアが俺の名を呼びかける。

「アロー様……」

 俺は一歩前に出た。


「野営所を作れ」

 王城兵たちに向けて言う。

「予定通りだ。外縁に防壁を組む。負傷者がいる可能性もある。だが、森にはまだ入るな」

「しかし――」

「命令だ」

 俺の声に、兵たちが動き出す。


 迷いはあったが、従った。

 サーダイン家の者たちはまだ動けずにいる。

 当然だろう。

 目の前に弟がいる。

 生きていた。

 だが、何かがおかしい。

 その矛盾に、心が追いついていない。


 俺はギルベルトから目を離さなかった。

 外套の下。

 歪な影。

 長過ぎる腕。

 丸まった背中。

 そして、森の魔力を帯びた匂い。

 間違いない。

 こいつは、ただ生き残った訳ではない。

 俺と同じだ。

 いや、もしかすると俺より悪い。


「ギルベルト」

 俺は静かに呼んだ。

「何だよ、英雄殿」

 ギルベルトが、外套の奥で笑う。

 その声には、かすかな震えがあった。

 怒りか。

 恐怖か。

 それとも、喜びか。

 分からない。


 俺は、周囲に聞こえる声ではっきりと言った。

「もうヒトの姿を保てなくなったのか?」

 空気が凍った。

 サーダイン家の者たちが、意味を理解出来ずに固まる。

 王城兵たちの手が武器へ伸びる。

 カイルたちは青ざめ、セリオ先生は目を細めた。

 レイシアの息を呑む音が聞こえた。


 ギルベルトは、しばらく黙っていた。

 霧が、森の奥から流れて来る。

 外套の裾が、かすかに揺れた。

 やがて。

 ギルベルトの喉の奥から、低い笑い声が漏れた。


「……さすがだな、アロー」

 その声は、もう以前のギルベルトのものではなかった。

 そして俺は、手の中で爪が伸びかけるのを、必死に抑え込んだ。

読んでいただいて、ありがとうございます。

こんなお話でも面白いと思って下さったら、『☆☆☆☆☆』を『★★★★★』にしてポイントを入れてもらえたら嬉しいです。

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