後輩パーティー
俺は、セリオ先生を見返した。
あなたは、誰なのですか。
その問いは、思った以上に深く刺さっていた。
誰か。
何者か。
そんなもの、決まっている。
俺は俺だ。
昨日、森の奥でオーガを喰らった俺も。
ホーンラビットの脚で走りたくなった俺も。
ウルフの嗅覚で世界を嗅ぎ分けている俺も。
全部、俺だ。
だから、俺は答えた。
「俺は、アロー・イーブルナイツですよ」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
「それ以外の何者でもありません」
セリオ先生は、しばらく俺を見つめていた。
その目は、教師の目であり、魔法使いの目でもあり、そして何より、誰かを守る者の目だった。
嘘を見抜こうとしている。
あるいは、俺自身も気づいていない真実を探ろうとしている。
そんな目だった。
沈黙が続く。
俺の耳には、廊下を歩く生徒たちの話し声が聞こえていた。
窓の外の葉擦れ。
遠くの鐘。
セリオ先生の呼吸。
そして、自分の心臓の音。
やがて、先生は小さく息を吐いた。
「今は良いでしょう」
今は。
その言葉が、妙に重かった。
「ただ、これだけは言っておきます」
先生は、いつもの穏やかな顔に戻っていた。
だが、声だけは少しも柔らかくない。
「私はミスルランド家の寄り子として、レイシア様を泣かせる人を許しはしません」
ミスルランド家。
レイシアの実家だ。
セリオ先生がその寄り子である事は、俺も知っていた。
ただ、普段の先生は学院の教師として振る舞っているから、あまり意識した事はなかった。
そうか。
この人は、教師としてだけでなく、レイシア側の人間として俺を見ているのだ。
「それだけは、憶えておいて下さい」
そう言い残し、先生は扉を開けた。
俺は何も言わず、その背中を見送った。
扉が閉まる。
準備室に、俺一人が残された。
しばらくして、俺は小さく呟いた。
「俺だって、レイシアを泣かせる人を許しはしないさ」
それが誰であっても。
たとえ、それが俺自身であっても。
自重しよう。
俺は本気でそう思っていた。
嘘ではない。
少なくとも、思った瞬間は本気だった。
だが、人間の決意というものは弱い。
特に、身体の奥で何かが疼いている時は。
数日後。
俺は再び、目元を隠す装備を身に着け、冒険者ローとしてダンジョンに入っていた。
「少しだけだ」
階段を下りながら、俺は自分に言い聞かせる。
「身体が鈍らない程度。新しい魔獣を少し確認するだけ。食べ過ぎない。深入りしない」
まるで酒飲みの言い訳みたいだ。
一杯だけ。
今日だけ。
最後だから。
そんな言葉が、ろくな結果を招かない事くらい分かっている。
分かっているのだが、足は止まらなかった。
浅層では、もう大した相手は出ない。
ホーンラビットも、スライムも、ゴブリンも、俺の足を止めるほどではなかった。
ウルフは少し気になったが、今回は無視する。
俺はなるべく人目を避けながら、さっさと中層へ進んだ。
中層の空気は、浅層とは違う。
湿気が濃く、魔力も重い。
石壁にこびりついた苔は黒っぽく、通路の奥からは時折、獣の唸り声が響いて来る。
その音を、俺の耳は必要以上に拾ってしまう。
近い。
遠い。
右。
左。
壁の向こう。
通路の先。
分かり過ぎるというのも、なかなか落ち着かない。
そんな時だった。
「あれって、アロー様じゃ……?」
小さな声が、耳に届いた。
俺は足を止めそうになり、寸前でこらえた。
聞こえないふりをする。
だが、耳は勝手に声を拾う。
「え? どこ?」
「ほら、あそこの目元隠してる人。髪型は違うけど、背格好が……」
「いや、でもアロー様が一人で中層なんかにいるか?」
「英雄ったって、一人で大丈夫なのか?」
「失礼よ!」
俺は横目で、声のした方を確認した。
少し離れた分岐の先に、五人組のパーティーがいた。
年齢は俺より少し下だろう。
学院の後輩か。
男三人、女二人。
剣士らしい少年が前衛に立ち、槍を持った少年がその横。
後ろには杖を持った少女と、弓を持った少女。
もう一人は盾を構えた少年で、動きからして防御役らしい。
装備は新品に近いが、ただの見栄え重視ではない。
傷も汚れもある。
何度か実戦を経験しているのだろう。
しかも、護衛がいない。
自力で中層まで来たという事だ。
その上、変装気味の俺に気づいた。
なるほど。
有望なパーティーらしい。
「声かける?」
「やめなさいよ。迷惑でしょ」
「でも本当にアロー様なら、挨拶くらい……」
「だから、迷惑でしょ!」
聞こえている。
全部聞こえている。
聞こえ過ぎて、逆に気まずい。
俺は気づいていないふりをしたまま、別の通路へ向かった。
見られているとやりにくい。
魔獣を倒すだけならまだしも、収納して、後で食べるなど論外だ。
いや、そもそも人に見られていなくても論外かもしれないが。
とにかく、俺は後輩たちから離れる事にした。
それから、しばらく探索を続けた。
新しい魔獣はいくつか見つけたが、今日は控えめにするつもりだった。
本当に。
かなり本当に。
少なくとも、オーガを見つけても一体だけにしておいたのだから、俺としては相当な自制である。
そんな自制が自制と呼べるのかは、知らない。
通路の奥で、俺は収納したオーガの死骸を確認しながら考えていた。
これを食べるか。
いや、今日はやめるべきか。
しかし、倒したのだから無駄にするのも良くない。
そもそも魔獣の肉は、普通に売れる。
いや、俺の場合は売る前に食べたいだけだ。
などと、ろくでもない悩みをしていた時。
悲鳴が聞こえた。
遠い。
だが、確かに聞こえた。
「きゃあああああっ!」
俺の身体が、考えるより先に動いた。
後輩たちだ。
根拠はない。
いや、ある。
声の方向。
距離。
さっき別れた場所からの移動経路。
そして、悲鳴に混じった剣士の少年の声。
「下がれ! 下がれって!」
やはり、あの五人だ。
俺は駆け出した。
速い。
自分でも少し引くくらい速い。
足が床を蹴るたび、景色が後ろへ流れる。
四つ足になれば、もっと速い。
一瞬、そんな衝動が湧く。
だが、それは堪えた。
俺は人間だ。
少なくとも、今は人間の走り方で行く。
通路を曲がる。
階段を飛び降りる。
壁を蹴って、崩れた床を越える。
そして、悲鳴の現場に着いた。
そこは広い空洞だった。
中央に、巨大な影が立っている。
牛の頭。
人の胴。
丸太のような腕。
手には、巨大な両手斧。
ミノタウロス。
ただし、普通ではない。
その身体を覆っているのは、黄金の鎧だった。
鈍い光を放つ金色の装甲が、胸、肩、腕、腰を守っている。
妙に豪奢で、妙に禍々しい。
明らかに、中層にいて良い存在ではなかった。
後輩たちは崩れかけていた。
盾役の少年が膝をつき、盾ごと押し潰されそうになっている。
剣士の少年は肩から血を流し、槍の少年は足を引きずっていた。
杖の少女は涙目で詠唱しようとしているが、手が震えている。
弓の少女は矢を放つが、黄金の鎧に弾かれてしまう。
まずい。
そう思った時には、俺は魔力を練っていた。
「サンダージャベリン!」
雷の槍が一直線に飛ぶ。
ミノタウロスの胸へ。
だが、黄金の鎧に触れた瞬間、雷は弾けて散った。
「なっ……!」
魔法を弾いた。
完全にではないにせよ、ほとんど通っていない。
ミノタウロスが、こちらを見た。
赤い目。
牛の鼻から白い息が漏れる。
次の瞬間、巨大な両手斧が振り下ろされた。
俺は後輩たちとミノタウロスの間に飛び込む。
腰の剣を抜いた。
元々持っていた愛剣。
貴族の次男として与えられ、学院でもずっと使って来た剣だ。
魔獣の爪でも牙でもない。
人間の俺の武器。
その剣で、俺は両手斧を正面から受け止めた。
轟音。
腕に衝撃が走る。
床石が足元で砕けた。
だが、止めた。
止められた。
オーガの力が、腕と背中を支えている。
ホーンラビットの脚が、踏ん張りを助けている。
俺は歯を食いしばり、叫んだ。
「今のうちに立て直せ!」
「は、はいっ!」
盾役の少年が、慌てて仲間を下がらせる。
剣士の少年も、悔しそうにしながら後退した。
「す、すみません!」
「謝るのは後だ!」
ミノタウロスがさらに力を込める。
重い。
だが、耐えられないほどではない。
俺は斧を受け流すように剣を傾け、身体を横へずらした。
両手斧が床を叩き割る。
その隙に、俺は口の中に魔力を集めた。
人間の魔法ではない。
魔獣の力。
森で得た、毒を持つ小型魔獣の能力。
できれば、人前では使いたくなかった。
だが、今はそうも言っていられない。
俺はミノタウロスの顔面に向けて、毒液を吐き出した。
びしゃり、と音がする。
「ブモオオオオオッ!」
ミノタウロスが大きく怯んだ。
鎧は強い。
魔法も弾く。
だが、顔面そのものは守り切れていない。
牛の目に毒が入り、巨体がたたらを踏む。
後ろで誰かが息を呑んだ。
見られた。
だが、もういい。
どうせ今さらだ。
俺は床を蹴った。
ウルフの速さ。
ホーンラビットの瞬発力。
オーガの膂力。
全部を、人間の形の中に押し込んで使う。
ミノタウロスの横へ回り込み、鎧の隙間を狙って剣を叩き込む。
硬い。
普通に斬っても通りにくい。
だが、鎧にも継ぎ目はある。
肩。
脇。
膝裏。
腰。
俺はそこだけを狙った。
ミノタウロスが斧を振る。
速い。
重い。
掠っただけで骨が砕けそうだ。
だが、当たらなければどうという事はない。
俺は避ける。
踏み込む。
斬る。
下がる。
また避ける。
ミノタウロスの巨体が少しずつ崩れていく。
後輩たちは、まだ戦場に残っていた。
逃げろと言っていないからだ。
いや、逃げろと言うべきだったかもしれない。
だが、彼らは立て直していた。
盾役が前に出て、負傷者を守る。
杖の少女が震えながらも回復魔法を使う。
弓の少女がミノタウロスの目を狙う。
槍の少年は動ける範囲で牽制し、剣士の少年は歯を食いしばって剣を握り直している。
悪くない。
かなり、悪くない。
「どうする?」
俺は戦いながら叫んだ。
「最後だけ代わるか!?」
普通なら、経験の為に止めを譲る。
冒険者なら、名誉にもなる。
だが相手は危険過ぎる。
無理強いはできない。
剣士の少年が、一瞬だけ目を見開いた。
そして、すぐに首を横に振った。
「いえ、代わりません!」
声は震えていた。
だが、逃げた声ではなかった。
「俺たちじゃ、まだ無理です!」
「そうか」
俺は笑った。
良い判断だ。
勇気と無謀は違う。
今それを分かっているなら、このパーティーはきっと伸びる。
「じゃあ……!」
俺は一気に踏み込んだ。
ミノタウロスが斧を横薙ぎに振る。
俺は低く沈み込み、その下を潜った。
そのまま床を蹴る。
身体が跳ね上がる。
首元。
鎧の守りが薄い場所。
そこへ、全力で剣を振り抜いた。
「終わりだ!」
刃が肉を断つ。
骨を砕く。
次の瞬間、ミノタウロスの首が飛んだ。
巨大な身体が、ゆっくりと傾く。
地響きとともに倒れた。
広間に沈黙が落ちる。
俺は着地し、剣についた血を払った。
少し息が上がっている。
だが、身体の奥は熱かった。
強敵を倒した高揚。
そして、それ以上に。
間に合った。
誰も死なせなかった。
その事が、妙に胸に染みた。
「す……」
剣士の少年が声を漏らす。
「すげえ……」
「本当に、アロー様だ……」
「だから言ったでしょ……」
「いや、でも、今の毒みたいなの何……?」
「そこは聞いちゃ駄目なやつじゃない?」
聞こえている。
全部聞こえている。
俺は少しだけ顔を引きつらせた。
その後、俺はミノタウロスの死骸を収納した。
黄金の鎧ごとである。
後輩たちがぽかんとしていたが、さすがにこれは放置できない。
何より、食べるかどうかは別として、貴重な素材だ。
いや、食べるかどうかは別として。
本当に別として。
「帰るぞ」
俺は後輩たちに言った。
「中層にこの級の魔獣が出るのは異常だ。ギルドに報告する」
「はい!」
五人は素直に頷いた。
負傷者もいたので、俺は彼らと一緒に出口へ向かう事にした。
道中、彼らは自己紹介をして来た。
剣士の少年がカイル。
盾役がダン。
槍使いがミルド。
杖の少女がエナ。
弓の少女がリリィ。
全員、学院の二年下の後輩だった。
「やっぱり、アロー様ですよね?」
リリィが遠慮がちに尋ねて来る。
「違う」
俺は即答した。
「今日はローだ」
「え?」
「冒険者ローだ」
「えっと……はい。ロー先輩」
なぜか先輩は残った。
まあ、いい。
「でも、ロー先輩って、あのアロー様に似てますよね」
「他人の空似だ」
「声も似てます」
「よくある事だ」
「剣も同じに見えます」
「量産品だ」
「貴族用の特注剣に見えますけど」
「気のせいだ」
沈黙。
そして、カイルたちは顔を見合わせた。
どうやら、これ以上は追及しない事にしたらしい。
賢い後輩たちである。
出口に着く頃には、彼らもだいぶ落ち着いていた。
ギルドで報告を済ませると、職員たちは大騒ぎになった。
中層に黄金鎧のミノタウロス。
どう考えても異常個体である。
俺は素材を提出し、後で詳しく調べてもらう事にした。
ただし、肉の一部はちゃっかり収納に残しておいた。
自分でもどうかと思う。
だが、どうしても気になったのだから仕方ない。
報告が終わると、カイルたち五人が揃って俺の前に立った。
そして、深々と頭を下げる。
「助けていただき、本当にありがとうございました!」
ギルド中の視線がこちらに集まる。
やめろ。
目立つ。
俺は目元を隠しているのだ。
目立ちたくないから隠しているのだ。
なのに、五人揃って頭を下げられたら、逆に目立つに決まっている。
「分かった。分かったから顔を上げろ」
「それで、その……」
カイルが少し言いにくそうにした後、勢いよく言った。
「一杯奢らせて下さい!」
「いや、俺は――」
「お願いします!」
今度は五人全員で頭を下げた。
だから目立つ。
非常に目立つ。
俺は困った。
正直、すぐに森へ行ってミノタウロスの肉を確認したい気持ちもあった。
黄金鎧のミノタウロス。
あれを喰らえば、何を得られるのか。
耐久力か。
魔法耐性か。
牛の角か。
いや、角は要らない。
かなり要らない。
だが、その一方で。
後輩たちの顔を見ていると、断りにくかった。
助かった事を喜んでいる顔。
憧れと感謝が混ざった顔。
そして、ほんの少しだけ、俺を仲間の側に置いてくれる顔。
最近の俺は、人間から遠ざかる事ばかり考えていた。
いや、考えていたというより、身体が勝手に遠ざかっていた。
だからだろうか。
こうして真っ直ぐに礼を言われると、妙に胸が温かくなった。
「……一杯だけだぞ」
「ありがとうございます!」
五人の顔がぱっと明るくなった。
本当に、子犬みたいな連中だ。
ウルフの嗅覚を持っている俺が言うと、少し洒落にならないが。
その夜、俺はギルド近くの居酒屋で、後輩たちと食事をした。
安い肉串。
豆の煮込み。
黒パン。
薄い酒。
貴族の食卓とは比べ物にならない料理ばかりだった。
だが、不思議と悪くなかった。
「ロー先輩、あの時の受け止め方、どうやったんですか?」
「力で」
「力で!?」
「あと、足腰だ」
「なるほど……!」
なるほどではない。
だが、カイルは真剣に頷いていた。
「魔法を弾く鎧相手に、すぐ剣に切り替えた判断も凄かったです」
エナが目を輝かせる。
「まあ、魔法が駄目なら殴るか斬るしかないからな」
「判断が早い……!」
だから、そういう事ではない。
「毒を吐いたのは?」
リリィが小声で聞く。
俺は肉串を噛みながら、少し考えた。
「秘密だ」
「ですよね!」
「聞いちゃ駄目なやつだった!」
なぜか盛り上がる後輩たち。
俺は困りながらも、少し笑ってしまった。
ダンが盾の構えについて相談して来る。
ミルドは槍の間合いについて質問して来る。
カイルはいつか止めを譲ってもらえるよう強くなると言った。
エナは回復魔法をもっと早く使えるようになりたいと悔しそうに拳を握った。
リリィは、次は鎧の隙間を狙えるよう練習すると言った。
いいパーティーだと思った。
未熟だ。
危なっかしい。
今日も、俺が間に合わなければ死んでいた。
だが、折れていない。
自分たちの弱さを認めて、次に繋げようとしている。
それが、少し眩しかった。
「無茶はするなよ」
俺は言った。
「はい!」
「中層に行くなら、撤退判断を早くしろ。勝てないと思ったら逃げろ。逃げるのは恥じゃない」
「ロー先輩も逃げるんですか?」
カイルが尋ねる。
俺は少し考えた。
「逃げるべき時は逃げる」
「なるほど!」
嘘ではない。
たぶん。
ただ、俺の場合、逃げるべき時に食欲が勝たないか少し不安なだけだ。
夜が更ける頃、後輩たちはすっかり俺に懐いていた。
ロー先輩、ロー先輩と、やたら呼んで来る。
アロー様と呼ばれるよりは気楽だった。
英雄として見られるより、冒険者の先輩として見られる方が、少しだけ息がしやすい。
俺は酒杯を傾けながら、ふと思った。
俺の中には、魔獣が増えている。
身体も、力も、感覚も、少しずつ人間から離れている。
だが、それでも。
誰かを助けて、礼を言われて、後輩たちと飯を食って笑えるなら。
まだ、俺はこっち側にいられるのかもしれない。
そんな事を考えてしまった。
もちろん、その後で収納魔法の中のミノタウロス肉を思い出し、喉が鳴った。
台無しである。
だが、まあ。
今日くらいは、すぐに食べなくてもいいか。
そう思えただけでも、少しは進歩なのかもしれない。
読んでいただいて、ありがとうございます。
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