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魔獣英雄アロー  作者: あおおに


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16/18

死闘の終わり

 雷が、魔獣の内側で爆ぜた。

 それは、空から落ちる雷ではない。

 黒い肉の奥で暴れ、血管のような管を焼き切り、骨とも臓器ともつかぬものを砕き、魔獣の巨体そのものを内側から揺さぶる雷だった。


 サンダーストーム。

 しかも、二発目。

 魔獣の体内へ直接叩き込まれた雷は、今度こそ致命傷に近い傷を与えたらしい。

 魔獣が、声にならない悲鳴を上げた。

 地面が震える。森がざわめく。霧の奥に潜んでいた小さな獣たちが、一斉に逃げ出す気配がした。


 だが、アローも無事だった訳ではない。

「ぐ……あ……っ!」

 彼の身体も、同じ雷に焼かれていた。

 魔獣の肉に喰らいつくほど密着した状態で放ったのだ。雷が魔獣だけを選んで焼いてくれるはずもない。


 ミノタウロスと化した肉体のあちこちから、白い煙が上がっている。硬い皮膚は焦げ、黒い血が滲み、角の先からも細い火花が散った。

 膝が揺れる。

 視界が暗くなる。

 それでも、倒れる訳にはいかなかった。


 魔獣もまた、よろめいている。

 巨体のあちこちが破裂し、黒い体液を噴き出していた。無数にあった目のいくつかは潰れ、残った目も、焦点が合っていない。

 勝てる。

 そう思った。

 いや、違う。

 今しか勝てない。


 アローは、焼けた肺に無理やり空気を吸い込んだ。

 胸が痛い。喉が痛い。自分の身体の中で、魔獣から奪った何かが蠢いている気がする。

 だが、そんなものに構っていられない。

 ここで仕留め損ねれば、魔獣は再生する。そして、今度こそレイシアたちを喰らう。

 それだけは、許されなかった。


 アローは魔力を練った。

 三発目。

 普通の人間なら、一発で魔力を根こそぎ持っていかれる上級魔法。それを、既に二発撃っている。

 それでも、今のアローには魔力があった。

 喰らった魔獣の力。取り込んだ生命。人間であった頃には到底届かなかった、底知れない力。

 その事実に、アローは一瞬だけ寒気を覚えた。


 自分はもう、本当に人ではないのかもしれない。

 だが、その恐怖すら飲み込んで、アローは魔力を練り続けた。

 魔獣も、黙ってそれを見てはいなかった。

 裂けた肉の隙間から、ずるり、と黒いものが伸びる。

 一本ではない。二本でもない。

 十本。二十本。いや、数える事さえ馬鹿らしいほどの触手が、魔獣の全身から噴き出した。


 槍のように尖ったもの。鞭のようにしなるもの。  先端に牙を生やしたもの。

 それらが一斉に、アローへ襲いかかる。

「邪魔だ!」

 アローは剣を振るった。

 一本を斬る。二本を弾く。三本目を角で受け止め、四本目を踏み潰す。


 その戦い方は、もはや学院で学んだ剣術ではなかった。

 身体ごとぶつかり、角で裂き、脚で潰し、剣で払う。獣じみた戦い方。

 それでも、アローは必死に剣を振るった。

 レイシアへ伸びる触手を斬る。倒れている騎士へ向かう触手を弾く。傷ついた生徒たちを狙う触手を、身体で受け止める。


 魔獣は、アローと戦いながらも、なお周囲を狙っていた。

 いや、違う。

 分かっているのだ。

 アローが誰を守ろうとしているのか。何を人質にすれば、動きが鈍るのか。

 魔獣は、ただの獣ではない。

 悪意がある。

 アローは歯を食いしばった。


 獣の牙が、ぎり、と嫌な音を立てる。

 詠唱を続ける。

 その瞬間、また一本の触手がレイシアへ向かった。

 アローは咄嗟に踏み込み、剣を振った。

 触手は斬れた。

 だが、同時に。

 きぃん、と。

 澄んだ音が響いた。

 折れた。

 アローの愛剣が、半ばから折れていた。


「あ……」

 刃の先が、地面に落ちる。

 学院へ入る時に父から渡された剣だった。兄のように完璧でなくてもいい。お前はお前の戦い方を見つけろ。

 そう言われた日の事を、なぜかはっきり思い出した。


 だが、感傷に浸る時間などない。

 剣が折れたその一瞬を、魔獣は見逃さなかった。

 黒い触手が、アローの腕に巻きつく。脚に絡む。胴を締め上げ、首に巻きつき、角まで押さえ込む。

「ぐ、ああっ!」

 ミノタウロスの膂力で引き千切ろうとしても、触手はびくともしない。


 いや、一本一本なら引き千切れる。だが、多すぎる。

 切っても切っても湧いてくる。払っても払っても絡みつく。

 やがて、アローの身体が魔獣の方へ引き寄せられ始めた。

 喰われる。

 それが分かった。


 魔獣はアローを殺すだけではない。取り込もうとしているのだ。

 アローが自分を喰って力を得たように。今度は、魔獣がアローを喰い返そうとしている。

「ロー先輩!」

 カイルの声が響いた。


 悲鳴に近かった。

「ロー先輩、駄目です! 逃げて下さい!」

 逃げられるなら、とっくに逃げている。

 そう思ったが、声にはならなかった。

 レイシアの声も聞こえた。

「アロー様!」

 その声は、胸を裂くようだった。


 子どもの頃から聞き慣れた、丁寧で、少し遠慮がちな声ではない。大切なものを失う寸前の、剥き出しの声だった。

 アローは、一瞬だけ目を閉じた。

 すまない。

 そう思った。

 だが、魔力を練る事は止めなかった。


 このままサンダーストームを撃てば、魔獣は倒せる。

 おそらく、倒せる。

 ただし、自分もただでは済まない。

 いや、ただでは済まないどころではない。魔獣と繋がりかけた状態で、雷を爆ぜさせるのだ。

 手足が飛ぶか。身体が裂けるか。心臓が焼けるか。


 分からない。

 だが、止める理由にはならなかった。

 レイシアが生きている。カイルが生きている。まだ息のある者たちがいる。

 ならば、アローが止まる理由などない。

 詠唱を続ける。

 魔獣の触手が、さらに強く締め上げてきた。


 肋骨が軋む。視界が赤く滲む。

 その時だった。

 一陣の風が、霧の森から吹き抜けた。

 冷たい風だった。

 次の瞬間、アローを縛っていた触手が、一斉に宙を舞った。

 斬られたのだ。


 それも、無造作に斬ったのではない。

 アローの身体を傷つける事なく、触手だけを正確に切断している。

 そんな真似が出来る者を、アローは一人しか知らなかった。

「……ギルベルト」

 霧の向こうに、ギルベルトが立っていた。


 いや、正確には、かつてのギルベルトとは少し違っていた。

 身体の一部は異形に歪み、肌の色も人のものではない。片目は獣のようにぎらつき、背中には黒い突起のようなものが見える。

 それでも、剣を構える姿だけは、間違いなくギルベルトだった。


 学院で、何度もアローを負かした。剣ならば自分が上だと、当然のように笑っていた。腹立たしいほど強く、認めたくないほど鋭かった、あのギルベルトだった。

 ギルベルトは、こちらを見て鼻を鳴らした。

「勘違いするなよ」

 声は掠れていた。

 だが、その不遜な口調だけは、少しも変わっていない。


「お前を倒すのは、俺だ。そんな化け物に喰われるんじゃねぇ」

「ギルベルト、お前……」

「黙れ」

 ギルベルトは剣を振り、刃についた黒い体液を払った。

「礼なんざ言うな。気色悪い」

 それだけ言うと、ギルベルトは背を向けた。


 霧が揺れる。

 カイルが何か叫ぼうとした。レイシアも息を呑んだ。

 だが、誰も動けなかった。

 ギルベルトは、そのまま霧の森へ消えていった。

 まるで、最初から霧そのものだったかのように。

 アローは追わなかった。

 追えるはずがなかった。


 今は、目の前の魔獣を倒す。

 それだけだ。

「……借りにしておく」

 届かないと分かっていて、アローは呟いた。

 そして、折れた愛剣を手放した。


 アローは収納魔法を開く。

 空間に青白い亀裂が走る。

 そこから取り出したのは、一振りの剣だった。

 蒼雷剣アルゼイン。

 青い雷を宿す魔剣。

 かつてのアローには、扱いきれない剣だった。


 強すぎる。危うすぎる。そう思っていた。

 だが、今なら分かる。

 危ういのは剣ではない。

 自分だ。

「なら、せめて最後まで付き合え」

 アローが握ると、アルゼインが応えた。


 青白い雷が刃を走る。その雷は右手から肩へ、胸へ、全身へと流れ込んでくる。

 焼けるように痛い。

 だが、心地良くもあった。

 自分がまだ雷を操れている。魔獣に呑まれきってはいない。

 そう思えたからだ。


 魔獣が再び触手を伸ばす。

 アローは大地を蹴った。

 ミノタウロスの脚力が、地面を砕く。巨体が雷を纏って突進する。

 触手が襲いかかる。いくつかは身体に突き刺さった。いくつかは肉を裂いた。

 だが、止まらない。

 アローは魔獣の懐へ飛び込んだ。


 そして、魔獣の奥にある、核のようなものを見た。

 黒い肉の中で脈打つ、濁った光。

 あれだ。

 あれを潰せば終わる。

「これで……」

 アローはアルゼインを突き立てた。


 肉を裂く。骨のようなものを砕く。さらに奥へ。

 魔獣が絶叫した。

 周囲の空気が歪む。残った目が、一斉にアローを睨む。

 そこには怒りがあった。憎悪があった。そして、恐怖もあった。

 アローは目を逸らさなかった。


「終わりだ」

 魔力を解き放つ。

「サンダーストーム!」

 青い雷が、世界を塗り潰した。

 アルゼインが魔法を喰らい、増幅する。アローが練った雷は、剣を通して何倍にも膨れ上がり、魔獣の内側で暴れ狂った。


 空が青白く染まる。

 音が消えた。

 いや、音が大きすぎて、耳が何も拾えなくなった。

 魔獣の巨体が内側から膨らむ。

 次の瞬間、爆ぜた。


 黒い肉片が飛び散る。焼けた体液が雨のように降る。無数の目が光を失い、地面に転がる。

 そして同時に、アローの右腕も吹き飛んだ。

 肩口から先が、なかった。

「――っ!」

 痛みは、遅れてきた。


 アローの身体が後方へ吹き飛ばされる。地面を転がり、岩にぶつかり、土を削り、ようやく止まった。

 空が見えた。

 霧の森の上に広がる、灰色の空。

 そこに、青い雷の残滓が細く消えていく。


 魔獣の気配は、もうなかった。

 あれほど濃かった魔力も。背筋を凍らせる殺意も。  森そのものを支配していたような圧迫感も。

 全て消えていた。

 倒した。

 ついに、倒したのだ。


 だが、歓声は上がらなかった。

 誰も叫ばない。誰も笑わない。誰も勝利を喜ばない。

 ただ、静かだった。

 不気味なほどに。

 アローは、ゆっくりと身を起こした。

 右腕はない。肩口から黒い血が流れ、焼け焦げた肉が煙を上げている。


 だが、それ以上に、周囲の視線が痛かった。

 生き残った騎士たち。学院の生徒たち。倒れた仲間を抱えた者たち。カイル。そして、レイシア。

 皆が、アローを見ていた。

 魔獣を倒した英雄としてではない。

 角を生やし、獣の脚で立ち、片腕を失った異形として。


 アローは、自分の身体を見下ろした。

 ミノタウロスの身体。獣の筋肉。黒く硬くなった皮膚。人間とは違う呼吸。体内で蠢く、喰らった魔獣の力。

 もう、戻れない。

 その事が、理屈ではなく分かった。

 アローは、ゆっくりとレイシアの方を向いた。

 レイシアは立ち尽くしていた。


 顔は涙で濡れている。それでも、逃げてはいなかった。

 それだけで、十分だった。

「レイシア」

 呼びかける声は、低く、獣じみていた。

 自分の声ではないように聞こえた。

 レイシアの肩が震える。

 それでも彼女は答えた。

「……はい」

「無事か?」

「はい……」

「そうか」

 アローは、笑ったつもりだった。


 この顔で笑えているかは分からない。むしろ、余計に恐ろしい表情になっているかもしれない。

 だが、レイシアが無事なら、それで良かった。

「良かった」

 その一言を言えただけで、胸の奥が少し軽くなった。

 カイルが、ふらふらと近づこうとする。

「ロー先輩……」

「来るな」

 アローは静かに言った。


 カイルの足が止まる。

 その顔は泣きそうだった。

 いや、もう泣いていたのかもしれない。

「でも、ロー先輩、腕が……」

「カイル」

 アローは彼を見る。

「お前も、無事で良かった」

 カイルの顔が歪んだ。


「そんな……そんな言い方、やめて下さいよ」

 アローは返事をしなかった。

 その代わり、レイシアを見る。

 今、頼めるのは彼女だけだった。

 レイシアの浄化魔法。

 聖なる光で穢れを祓う、彼女の魔法。


 魔獣と化したこの身体を終わらせるなら、それしかない。

 剣で斬られるよりも。炎で焼かれるよりも。魔法で吹き飛ばされるよりも。

 レイシアの浄化ならば、きっと自分は人として終われる。

 そう思った。


「レイシア」

「はい」

「悪いが、頼みがある」

 レイシアの唇が震えた。

 彼女も、薄々分かっているのだろう。

 アローが何を言おうとしているのか。


 それでも、聞かない訳にはいかない。アローも、言わない訳にはいかない。

「俺を討ってくれ」

 レイシアの目が見開かれた。

 周囲で、誰かが息を呑む。

 カイルが叫ぶ。

「ロー先輩!」

 だが、アローは続けた。


「すまんが、もうヒトの姿に戻れそうにない」

 静かな声だった。

 自分でも驚くほど、穏やかな声だった。

 恐怖がない訳ではない。死にたくない気持ちがない訳でもない。


 だが、それ以上に怖いものがあった。

 このまま自分が、自分でなくなる事。

 レイシアを傷つける事。

 カイルを喰らう事。

 守ったはずの者たちを、次は自分の爪で引き裂く事。

 それだけは、絶対に嫌だった。


 アローは左手で、残った胸元を押さえる。

 そこでは、まだ何かが蠢いていた。

 魔獣を喰らった力。取り込んだ命。人の形を押し流そうとする、黒い衝動。

 今はまだ、抑え込めている。

 だが、いつまで保つかは分からない。


「レイシアの浄化魔法なら、俺を止められる」

「……」

「お前の魔法で終われるなら、俺は……たぶん、最後まで俺でいられる」

 レイシアは答えなかった。

 ただ立ち尽くしていた。

 涙が頬を伝って落ちる。

 その手は震えている。浄化魔法を使うために掲げる事も出来ず、ただ胸の前で握り締められている。


 アローは、彼女を見つめた。

 五歳下の婚約者。

 守るべき相手。未来を約束された相手。自分が人であり続けたかった理由。

 その彼女に、自分を討てと頼んでいる。

 なんて酷い願いだろう。

 自分勝手で、残酷で、卑怯だ。

 だが、それでも頼むしかなかった。


「レイシア」

 アローは、もう一度名前を呼んだ。

「頼む」

 レイシアは、動けなかった。

 ただ、涙を流しながら、アローを見つめていた。

 焼け焦げた戦場に、誰の声もなかった。


 魔獣を倒したはずの場所に、勝利の歓声はなかった。

 ただ、片腕を失った異形の英雄と。

 その英雄を討たねばならない少女だけが。

 霧の森の前で、向かい合っていた。

読んでいただいて、ありがとうございます。

こんなお話でも面白いと思って下さったら、『☆☆☆☆☆』を『★★★★★』にしてポイントを入れてもらえたら嬉しいです。

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