魔獣 vs 魔獣
俺は、魔獣へ突っ込んだ。
地面が砕ける。
身体が重い。
いや、重いのではない。
力が詰まり過ぎている。
腕も脚も、以前の俺とは別物だった。
赤黒く膨れ上がった筋肉。
こめかみから伸びた角。
分厚い胸板。
握った剣が、ひどく小さく感じる。
それでも、俺は剣を捨てなかった。
これは俺の武器だ。
魔獣の牙でも爪でもない。
アロー・イーブルナイツの剣だ。
「おおおおおおっ!」
咆哮しながら斬りかかる。
魔獣の触手が何本も伸びて来た。
俺はそれを剣で斬り裂き、肩で弾き、踏み潰して進む。
ミノタウロスの力は凄まじかった。
さっきまでなら、避けるしかなかった触手を正面から弾ける。
足元を絡め取ろうとする蔓のような肉も、力任せに引き千切れる。
魔獣の胴に辿り着き、剣を叩き込んだ。
黒い血が噴き出す。
だが、浅い。
今の一撃で、普通の魔獣なら胴を両断出来たはずだ。
しかし、目の前の魔獣は巨大過ぎた。
肉が厚い。
骨が多い。
そして、再生も早い。
俺が斬った傷口が、じゅくじゅくと音を立てて塞がり始める。
「くそっ!」
俺はさらに斬り込んだ。
だが、すぐに押し返される。
巨大な腕が横から飛んで来た。
俺は剣で受けた。
受けられた。
だが、身体ごと吹き飛ばされた。
地面に爪先を立て、どうにか踏み止まる。
ミノタウロスの姿になっても、勝っている部分は多くない。
小回り。
それだけだ。
巨体同士のぶつかり合いなら、向こうの方が大きい。
力も重さも、物量も、向こうが上。
俺の魔法でさえ、分が悪かった。
「サンダージャベリン!」
雷の槍を放つ。
魔獣の肩に突き刺さる。
だが、その直後に、魔獣の身体のあちこちに魔法陣が浮かんだ。
火、土、水、風、雷。
複数のジャベリンが同時に放たれる。
俺は魔法壁を展開する。
だが、一枚では足りない。
二枚。
三枚。
それでも、いくつかの魔法が脇を抜け、地面を抉った。
魔法の質では負けていない。
たぶん、俺の方が上だ。
だが、数が違う。
向こうは、喰った人間の魔法を何人分も同時に使っている。
一人の魔法使いが、五人、十人の魔法士を相手にしているようなものだ。
勝てる訳がない。
普通なら。
だが、負ける訳にもいかなかった。
俺の背後にはレイシアがいる。
傷ついたカイルたちがいる。
セリオ先生が命を賭けて守ったものがある。
ここで俺が倒れれば、全部終わる。
魔獣が口を開く。
また魔法陣。
狙いは俺ではない。
背後。
レイシアたちの方だ。
「させるか!」
俺は横へ跳びながら、先に魔法を叩き込んだ。
「ファイヤージャベリン!」
炎の槍が魔獣の口元に突き刺さる。
発動しかけていた魔法陣が歪み、爆ぜた。
魔獣が咆哮する。
だが、すぐ別の部位に魔法陣が浮かぶ。
今度は背中。
角度からして、また後方狙い。
「サンダージャベリン!」
雷槍で潰す。
魔獣が身を捩る。
その隙に斬り込む。
傷を入れる。
しかし、深くはない。
すぐに再生する。
また魔法陣。
また後方。
「くそっ!」
俺は攻めながら守らなければならなかった。
魔獣は俺と戦いながらも、レイシアたちを狙ってくる。
狡猾だ。
獣ではない。
喰った人間たちの知恵まで混ざっている。
俺が守りたいものを理解している。
理解して、そこを突いて来る。
何度も詠唱を潰す。
何度も攻撃を受ける。
腕が裂ける。
胸が抉れる。
角に触手が絡む。
引き千切る。
血が流れる。
塞がる。
また裂ける。
じりじりと、俺の体力と魔力が削られていった。
ミノタウロスの肉を喰らって得た力は大きい。
だが、無限ではない。
このままでは、俺が先に尽きる。
どうする。
どうすれば勝てる。
その時、俺の鼻が魔獣の血の匂いを拾った。
濃い。
気持ち悪いほど濃い魔力。
だが、そこには力があった。
喰えば、力になる。
そんな衝動が、腹の底から湧き上がる。
俺は一瞬、ぞっとした。
何を考えている。
目の前の魔獣を喰うだと。
こんなものを。
人間も、魔獣も、何もかも混ざった、この化け物を。
だが、別の声が囁く。
相手は俺より遥かに大きい。
食えば食うだけ、能力や体力を得られるのではないか。
傷を負っても、喰えば戻せるのではないか。
奪われる前に、奪えばいい。
俺は奥歯を噛み締めた。
最悪の考えだ。
だが、勝ち筋でもあった。
「……やるしかないのか」
魔獣の触手が迫る。
俺はそれを避けず、逆に掴んだ。
暴れる触手に、両手でしがみつく。
そして、牙を立てた。
人間の歯ではない。
ミノタウロスの変化に引きずられ、俺の口の中にも鋭い犬歯が伸びていた。
それで、魔獣の肉を噛み千切る。
最悪の味だった。
血。
腐肉。
泥。
毒。
人間の魔力。
獣の臭い。
それらが全部、口の中で暴れた。
吐きそうになる。
だが、飲み込んだ。
瞬間、身体の奥に熱が走った。
「ぐっ……!」
力が流れ込んで来る。
触手の感覚。
魔力の膜。
他者の魔法の断片。
俺の知らない魔獣の筋肉。
ほんの一口で、身体の中に異物が増える。
だが、同時に消耗した体力が少し戻った。
裂けた肩の傷が早く塞がる。
魔力が膨らむ。
これだ。
俺は、最悪の確信を得た。
これなら、戦える。
俺は触手を引き千切り、さらに魔獣本体へ食らいついた。
剣で裂き、手で抉り、そこへ口を押し付ける。
喰う。
噛む。
飲み込む。
そのたびに、力が流れ込む。
身体が熱い。
傷が塞がる。
魔力が戻る。
同時に、頭の中に知らない感覚が混ざる。
誰かの悲鳴。
誰かの恐怖。
魔法の詠唱。
剣を握った記憶。
森の中を逃げる足音。
喰われる瞬間の絶望。
魔獣に取り込まれた者たちの断片が、俺の中に流れ込んで来る。
「う、ぐっ……!」
吐き出したくなる。
だが、吐き出せない。
吐き出せば負ける。
俺はさらに喰らいついた。
魔獣が、初めて明確に怯んだ。
自分が喰われる側になるとは思っていなかったのだろう。
巨体が暴れ、俺を振り落とそうとする。
だが、俺は離れない。
指を肉に突き立てる。
爪が伸びる。
もう抑えなかった。
爪を伸ばし、肉を裂き、噛み千切る。
その時、魔獣の巨大な口がこちらを向いた。
次の瞬間、俺の肩に激痛が走った。
「があああっ!?」
魔獣が、俺に食らいついて来た。
牙が肩から胸にかけて肉を抉る。
俺の血が噴き出す。
魔獣はそれを飲み込んだ。
ぞっとした。
今度は、俺が喰われている。
魔獣の身体が震えた。
俺の血を、肉を、力を取り込んだのだ。
魔獣の傷が塞がる。
さっき俺が抉った場所が、急速に盛り上がっていく。
「こいつ……!」
俺は拳を叩き込む。
魔獣の牙が外れる。
だが、すぐ別の口が開いた。
胴の脇。
裂け目のような場所から、新しい顎が生えた。
それが俺の腕に噛みつく。
また肉を持っていかれる。
俺も負けじと噛み返す。
剣は、もうほとんど役に立っていなかった。
斬る。
喰う。
喰われる。
殴る。
噛む。
引き千切る。
戦いは、一気に泥仕合へと変わった。
英雄の戦いではない。
剣士の決闘でもない。
魔法使い同士の高度な戦術戦でもない。
互いに互いを喰らい合う、怪物同士の争いだった。
背後で誰かが叫んでいる。
レイシアかもしれない。
カイルかもしれない。
もう分からない。
俺は魔獣の肉に食らいつきながら、自分の意識を保つので精一杯だった。
喰えば力が入る。
喰われれば削られる。
だが、こちらが先に大量に喰えば勝てる。
そんな単純で最悪の理屈に、戦いが支配されていく。
魔獣の触手が俺の腹を貫いた。
痛みで意識が白くなる。
俺はその触手を掴んだ。
逃がさない。
逆に、自分の身体の中から何かが伸びる感覚があった。
触手。
俺の内側に、さっき喰った魔獣の力が芽を出していた。
嫌だ。
気持ち悪い。
そんなものを出したくない。
だが、出さなければ勝てない。
「出ろ……!」
俺の脇腹から、赤黒い触手が伸びた。
人間の身体から出ていいものではない。
レイシアには絶対に見られたくないものだった。
だが、もう遅い。
俺はその触手を、魔獣の傷口へ突き入れた。
奥へ。
さらに奥へ。
肉の中を進む。
魔獣が暴れる。
無数の口が俺を噛む。
だが、離れない。
触手を通して、魔獣の内側が分かる。
魔力の流れ。
喰った人間たちの魔法核のようなもの。
複数の意識の残滓。
そして、中心。
そこへ、俺は魔力を流し込んだ。
普通に外から撃っても、魔法壁で阻まれる。
なら、内側から焼けばいい。
「サンダー……」
声が掠れる。
口の中は血だらけだった。
それでも、詠唱する。
「ストーム!」
雷の上級魔法。
本来なら、広範囲に雷撃の嵐を呼ぶ魔法。
それを、俺は魔獣の体内で発動した。
次の瞬間、魔獣の内側で雷が爆ぜた。
轟音は外ではなく、肉の中から響いた。
魔獣の身体が大きく膨らみ、裂け目という裂け目から青白い雷光が漏れる。
内部を灼く雷撃の嵐。
魔法壁では防げない。
外皮でも防げない。
魔獣が、初めて本当の意味で悶絶した。
巨大な咆哮が空を裂く。
触手が千切れ、骨の棘が砕け、黒い血が噴水のように噴き出す。
俺も巻き込まれた。
自分で放った雷が触手を伝って身体に返って来る。
全身が焼けるように痛い。
だが、魔獣へのダメージはそれ以上だった。
「効いた……!」
俺は血を吐きながら笑った。
これならいける。
もう一度。
もう一度、体内から撃てば。
そう思った瞬間だった。
魔獣の身体の裂け目が、ぐにゃりと開いた。
そこから伸びて来たのは、一本の触手だった。
ただの触手ではない。
先端に、あぎとのような口がついていた。
小さな魔獣の頭部そのもののような、牙だらけの口。
それが、雷に焼かれながらも俺へ向かって伸びて来る。
速い。
避ける間もなかった。
あぎとが、俺の脇腹に食らいついた。
「ぐあっ!」
肉を抉られる。
それだけではない。
吸われている。
血。
魔力。
さっき俺が喰らって得た力。
全部を、逆に吸い上げようとしている。
魔獣はただ喰い返しているだけではない。
俺がやった事を学んだのだ。
内側に触手を入れ、そこから力を奪う。
それを、俺にやり返している。
「この……!」
俺はその触手を掴み、引き千切ろうとした。
だが、先端のあぎとは離れない。
牙が肉に深く食い込み、むしろ俺の身体の中へ潜ろうとしてくる。
ぞっとした。
このままだと、また喰われる。
前回のように。
魔獣に取り込まれる。
いや、今度は前回よりひどい。
俺は既に魔獣の力を大量に持っている。
これを取り込まれれば、魔獣はさらに強くなる。
レイシアたちは確実に死ぬ。
「ふざけるな……!」
俺は剣を逆手に持った。
脇腹に食いついた触手ごと、自分の肉を斬る。
激痛。
だが、あぎとの触手が肉片ごと引き剥がされた。
俺はそれを掴み、逆に噛み砕いた。
牙が折れる感触。
嫌な魔力が口の中で弾ける。
飲み込む。
また力が流れ込む。
だが、同時に頭が割れそうになった。
混ざり過ぎている。
俺の中に、魔獣が増え過ぎている。
どこまでが俺なのか、分からなくなりそうだった。
それでも、俺は魔獣から離れなかった。
離れれば、負ける。
離れれば、後ろが狙われる。
なら、喰らい続けるしかない。
喰われながらでも。
俺は再び触手を魔獣の体内へ突き入れた。
魔獣も、あぎとの触手を何本も生やして来る。
互いに、相手の内側へ食い込もうとする。
雷光と黒血と肉片が飛び散る。
もはや戦場ではなかった。
ただの地獄だった。
その中で、俺は歯を食いしばる。
俺はヒトだ。
そう言い続ける。
口の中は魔獣の血で満ちている。
身体からは触手が伸びている。
角を持ち、赤黒い肌をして、互いに喰らい合っている。
それでも。
俺はヒトだ。
レイシアを守ると約束した。
セリオ先生に託された。
なら、どんな姿になっても。
最後まで、俺はアロー・イーブルナイツでいなければならない。
「もう一発……!」
俺は魔獣の体内で、再び雷の魔力を練った。
魔獣の無数の口が、俺へ向かって開く。
喰うか、喰われるか。
その境目で、俺は雷を解き放とうとしていた。
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